(『ギヴァー』を全国の読者に届ける会)は、ロイス・ローリーの『ギヴァー 記憶を注ぐ者』を一人でも多くの読者に届けるためにつくられました。(2009年12月14日、旧称「『ザ・ギバー』復刊プロジェクト」より改称) 『ギヴァー』に関連する情報や、『ギヴァー』を読んで考えたことなどを発信し続けます。
2012年6月26日火曜日
自動排気ガス製造車 兼 自動殺人車
今日も、大阪市で「ワゴン車暴走、はねられ6人ケガ」というニュースが流れました。
ここ1~2ヶ月ぐらいの間に、この種の暴走事故がいくつ報道されたでしょうか?
連鎖反応を起こしてしまうのか、と疑いたくなるぐらいに。
(それとも、これまでにも起こっていたのに、単に報道されなかっただけなのでしょうか?)
これらの事故を耳にするにつけ、「自動車」という名称は、理想的過ぎるような気がします。
これまでは、しっかり「自動排気ガス製造車」と称してほしかったとは思っていましたが、最近のニュースで、「自動殺人車」も併用するようにしたらいいと思うようになりました。
ここ1年ちょっと原発への風当たりは相当なレベルまで上がっていますが、確実にそれよりも多くの死者(やけが人)を出している自動車に対しては、そういうことはありません。
「慣れ」の恐ろしさというか、「放射能」の恐ろしさゆえなのか?
『ギヴァー』のコミュニティは、自転車優先社会です。★
車がないわけではありません。
最後に、ギヴァーが運転して、ジョナスを逃がす予定だったぐらいですから、車は確実にあると書かれていましたし、おそらく朝夕の食事も係によって宅配されていましたし、食器も回収されていたように記憶しています。それをどのような手段でしているかは書かれていなかったように記憶していますが、車以外には困難だと思います。
ですから、必要最低限の車は使っている社会です。
それに比べて、私たちの社会はどうでしょう?
必要最低限をはるかに越えている気がします。
飽くなき利便性の追求の象徴という気もします。
そして、少なくとも原発と同じレベルで考え直してもおかしくないと。
★ 鍵は、コミュニティのスケール(規模)です。
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