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2017年3月19日日曜日

私たちは常に選択している!


大地震と津波、そして原発事故は、「常日頃私たちが当たり前と思っていることが、実は当たり前ではないんだ」「他の選択肢もあり得るんだ」ということを考えるまたとないチャンスを提供してくれた、と書きました。

個人的には、その前からも、7年経たいまも同じ気分でいるのですが、日本人の多くは先日紹介した安倍さんのように記憶の中から消し去っています。(それは、すでに震災1年後ぐらいから起こりつつあったことのような気がします。) 経済成長路線以外に考えられないという選択のもとに。(経済成長路線というのは、どこかに必ず迷惑 ~確か、経済用語では「外部効果」といったはずです。プラスの場合もあり得ますが、マイナスのもののほうが多いですし、しかもそれは見えにくいという難しさもあります。さらには、時差もあります~ を撒き散らすことになります。)

ジョナスの行動も、もちろん選択の結果でした。


2017年3月13日月曜日

消し去っていい記憶 と 消し去ってはまずい記憶


記憶は、ギヴァーのテーマの一つです。それに関連して・・・

<福島知事>安倍首相式辞に違和感 「原発事故」文言使わず

国レベルと地域レベルの捉え方の違い??

原発推進派の安倍さんとしては、自分の記憶からはもちろん、国民の記憶からも原発事故は早く消し去りたいことなのでしょうが、福島県民をはじめ、それはあり得ないと思っている人は少なくありません。
福島県の事情は、他の被災地域に比べて、あまりにも違いすぎます。
それを、「東日本大震災」で全部同じ扱いにしてしまっていいのかというと、そういうわけにはいかないわけです。 
あくまでも、「大震災+原発事故」のダブルパンチなわけであり、後者の方が大きいのです。前者は天災だったのに対して、後者が人災だったという大きな違いもありました。
   
全国で、いまだに数十人の福島出身の子どもたちが原発事故を理由にいじめに合い続けているという被害も報じられました。同じことが、宮城や岩手の子どもたちに対してあったとは聞いたことがありません。子どもたちが犯しているこの過ちは、大人社会を映し出している鏡のように思います。子どもたちは、それを感じとってしまっているだけで・・・  
 <原発事故6年>牛舎に生きた証し 空腹乳牛が柱かじった跡 のアプローチとは対照的です。