https://news.yahoo.co.jp/articles/3683d7360dd257082cade5d588a1cd7d5b53a134
に書かれていることを読んで、教育(テストや教科書など)や最近、高市さんが政治でやろうとしていることも同じだな~、と思ってしまいました。
(『ギヴァー』を全国の読者に届ける会)は、ロイス・ローリーの『ギヴァー 記憶を注ぐ者』を一人でも多くの読者に届けるためにつくられました。(2009年12月14日、旧称「『ザ・ギバー』復刊プロジェクト」より改称) 『ギヴァー』に関連する情報や、『ギヴァー』を読んで考えたことなどを発信し続けます。
https://news.yahoo.co.jp/articles/3683d7360dd257082cade5d588a1cd7d5b53a134
に書かれていることを読んで、教育(テストや教科書など)や最近、高市さんが政治でやろうとしていることも同じだな~、と思ってしまいました。
回を重ねるごとに、うっとおしさが増しています。党首や幹部、そして候補者たちが発する言葉が「ほぼウソ!」というのが伝わってきてしまうからです。ほとんど、「壊れたテープレコーダー」(いまは、この表現の代わりに何というのでしょうか? 「エンドレス再生みたいに、同じことを繰り返す」)のように! 「うっとおしさ」と同じレベルで、どんどん「虚しさ」が肥大化しています! これだけ巨額な税金を無駄に費やしても、何も変わらないのですから。
今朝読んでいた文章に、次のようなものがありました。
集団としての効力感があるからこそ、私たちは協働し、集団としての影響力を発揮することができ、現代の世代とこれからの世代のために、より充実し、公平で、変革的な教育システムを築くことが可能になります。
これを読んでの私のコメントは、「ウ~ン、逆に、集団としての効力感なしでは、それらを得るのは難しい! それが、日本の教育の現状」でした。そして「政治の季節」とは言えない今の「選挙の季節」のなかでは、「教育」の部分は、そのまま「社会」や「政治」に置き換えることができます。
悲しいです、集団としての効力感を失っている学校や社会は! 個々人としての効力感は、まだ失っているとは思いませんが、それをもっている人はドンドン少なくなっており、その人たちの頑張りでなんとかもっている学校や社会と言えるでしょうか?
2冊の本は、両方ともローマン・クルツナリックによる本です。
1冊目は、生活の発見 | フィルムアート社。このなかで扱っているテーマ(愛、家族、感情移入、仕事、時間、お金、感覚、旅、自然、信念、創造性、死生観)は、『ギヴァー』は、哲学書!? や 『ギヴァー』は、哲学書 その2で紹介しているテーマとかなりオーバーラップし、いずれも大切なものばかりです。
特に印象的なのは、PartⅣとして括られている信念、創造性、死生観でした。つい数十年前までは、死が生活の一部になっていたのに、ここ30、40年ぐらいは、死を見なくなった、話さなくなったことに著者は危機意識をもっています。そこで、「ライフスタイル」ならぬ「デススタイル」を提唱しています。それには、歳のとり方、死ぬ運命との向き合い方、満足して死ぬ方法が含まれます。そして「これらの技術は、開けた場で率直に死について語る文化でのみ習得することができる」と書いています。
ちなみに、たまたま1997年にオランダを訪問した時、「Death Education(死についての教育ではなく、死に向けての教育)」が盛んにおこなわれていると聞きました。それは、死に向き合う態度・グリーフケア・倫理的選択・人生の意味づけを学ぶ包括的な教育です。特にオランダでは、安楽死や尊厳死をめぐる社会的議論が活発であるため、死の教育は「公共的・倫理的・心理的」側面を強く含んでいます。
その特徴として、
・安楽死・尊厳死の理解 ~ オランダ安楽死協会が中心となり、安楽死や自己決定権について市民向けに講座や相談を提供。
・パブリック・ディスカッション ~ 学校や地域で「Death Education」「人生の終末期の選択」について対話を促す。
・医療教育との統合 ~ 医療従事者は初期教育から緩和ケアを学び、死に直面する患者や家族への支援を必須とされる。
・グリーフケア(悲嘆教育) ~ 死別後の心理的ケア、喪失体験の共有、社会的サポートの重要性を学ぶ。
死がタブー化しつつある日本とは、対極にある感がします(それも、なんと30年近く前のことです!)。
2冊目の本は、共感する人
- ぷねうま舎を読みました。これは、1冊目の「感情移入」を一冊のテーマに広げた内容と捉えられると思います。こちらでは、
共感力の高い人々がもっている以下の六つのエートスが詳しく各章で論じられています。
エートス1 共感脳にスイッチを入れる
エートス2 想像力の跳躍を
エートス3 あえて実験的な冒険に挑む
エートス4 語らう技を稽古する
エートス5 肘掛け椅子の旅
エートス6 革命を始めよう
どの章も面白かったですが、もっとも印象に残っているのは、エートス4の「語らう技を稽古する」で紹介されていた「異邦人への好奇心」と「ヒューマン・ライブラリー」です。
学校はもとより、社会全体としても、好奇心を萎えさせる場になっていますから、自分とは違う人への好奇心は大切です(それを、日々の授業のなかでやりましょうというのが『「おさるのジョージ」を教室で実現』ですので、ぜひご一読を)! スマホやパソコンは、好奇心を喚起するのに役立っているでしょうか? 語らうのには、役立っていない気がします。
「ヒューマン・ライブラリー」は、その名の通り、本を貸し出す代わりに、人を貸し出す図書館活動です。「ヒューマン・ライブラリー」で検索したり、生成AIに尋ねるとかなりの情報が得られます。
今は東京と富山で二重生活を送っている『ギヴァー』の伝達者=普及協力者の伊藤さんが、以下の文章を送ってくれました!
*****
最近、「ギヴァー」4部作を読み直しました。
正確に言うと、「ギヴァー」は何度も読んでいるので、その他の3作を読み直したのですが。
私は約半世紀の間、学校での公教育の仕事に携わってきました。
ずっと大切にしてきたのは、「一人ひとりに必ずある可能性を見出し拓き育てる学び」、「自分の価値観を礎に得意なことや好きなことがライフワークになる学び」、「民主的で平和な社会の担い手になる学び」ということです。
そして人との関係においては、「異なる者との相互の理解と寛容と協働」です。
でも、最近の日本や世界の在り方に不安を感じるたび、なんとなくこれまでやってきた日本の公教育への無力感が襲ってきます。
相変わらず一人ひとりに必ずある何らかの才能を見出し拓こうとしない(利用しようとさえしない)学校、多様性への寛容を失いつつある政治、蔓延する暴力、激甚災害やクマ騒動などの自然からの脅威。私は里山に住んでいますが、大雨による遊歩道の決壊や熊への恐怖でもう家の前の森に入れなくなってしまい、耕作放棄地と空き家が増え柿の木が伐採されていくなどして失われていく里山の風景。
「ギャザリング・ブルー」で、才能を搾取されながらも残って闘おうとするキラたちを思い出し、「メッセンジャー」では、変わりゆく人々と社会へのジョナスたちの闘いを思い出します。もし私たちの世界にもヒーラーのマティがいるとしたら、それはいったい何なんだろう?
為政者からディールという言葉を聞くたび「トレード・マーケット」も思い出します。
最後にどうやってゲイブはトレードマスターを倒したんだっけ?
そんなことを思い出したくて、島津やよいさんの翻訳本を手に取りました。以前は原文で読んだため当時は理解がアヤフヤだったことがハッキリして、もう10年以上?の時が経ってから、改めて色々と考え直しています。
今だからこそ、もう一度、読み直すべき本であると思います。
悪い意味でマスコミをにぎわしている伊東市ではこれから数か月のうちにかかる経費が市議会議員選挙に約4500万円、市長選挙に約3000万円かかるとみられています。
国会も含めて、すべてのレベルの議員や首長選挙で、伊東市も含めて約半分の有権者しか投票しない現実や、当選した議員や首長の資質がはなはだ疑われる人たちが多い現実や、そして有権者にとっては、選挙のたびに投票する候補者を見いだせない現実を考えると、この制度が機能していないことは確実です(さらに、下に貼り付けた理由も全国で蔓延しています!)。したがって、これだけ多額な税金をドブに捨てるようなことを毎回繰り返すのではなく、他の方法を真剣に考える時がきています。マスコミも、機能していないことをそのまま報じ続けるのではなく、機能する方向で政治を変えるための情報提供をすることが役割だと思います。
「結局、誰がなっても同じだね。(田久保)市長には期待していましたが、嘘や逃げはよくない。生活が政治で変わるという期待感がこの地域にはない」 抜本的な変化を求める市井の人々の思いが投票に反映されるというのは、昨今の国政の選挙戦にも重なる部分が大きい。政治と市民感覚の間に埋めがたいズレがあるのだ。 「誰がなっても私たちの生活は変わらない、という諦めに近い意識を市民の方から感じます。いまだに、特定の業界を対象とした政治資金パーティーが行われるような古い体質の地域ですから。そこへ政党色がない田久保市長が突然現れた。市民には、これまでの政治への憤りが根本にあったんです。 図書館を豪華なものにするために40億円もの税金を使うなら、インバウンドなど観光への”投資”に回して地域が潤うような政策に回してほしいという意見は根強い」(前出・議会関係者)https://news.yahoo.co.jp/articles/e0beb2da5027a6eab46b79d4365327343882a5ac
この感覚は、伊東市だけでなく、先の参議院選や都議選を含めて、全国同じなのですから!
あさ(6時半前)、落合恵子の絵本を紹介してくれるラジオ番組に登場したのが『とべ
バッタ』田島征三さく・えでした。
この絵本を、『ギヴァー』と関連する本として紹介していなかったか確認したら、まだでした。
10~20年ぐらい前は、飛躍してほしい先生たちに紹介していた本でしたが、ここ10年ぐらいはどういうわけか、頭のなかから消えていました。それを、落合さんが思い出させてくれました。
「絵本読み聞かせ とべ
バッタ」で検索すると、読み聞かせを聞く(見る)ことができます。
『ギヴァー』のジョナスがしたことに似ていると思いませんか?
誰でも、飛躍する気にさえなれれば、飛べます!
ポイントは、これまでの自分ではなくなることの決断!?
日本の有権者、「自民・公明の従順、服従、忖度の政治にノー」を突き付けました。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6546319
海外から見ても、確かにそうとしか見えないと思います。
ある意味、自民党の最右翼に位置づくか、「国粋党」ないし、アメリカのトランプ党の日本版というか。これは、参政党に限らず、似たような主張をする候補者や党が増えたことからも選挙の度の右翼化ないし国粋化は、かねがね感じるところです。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2025072000197&g=pol
基本的に、毎度毎度、「だれに投票しても何も変わらない」の繰り返しですから、「投票に行くだけムダ」と思うのは無理もありません。投票に値する人や党を見出すのが不可能なのですから・・・・(学校での勉強も、大筋ではこれに近い状態になっているのでは? 結果的に、政治も学校も、60年前、70年前に抱えていたのと同じ問題を抱え続けています。有権者は、これに対してこそ「ノー」を突き付けないと根本のところでは何も変わらないのですが、選挙制度が変わりませんから・・・・変えようがない。マスコミも、現在の制度を維持するための報道しかしませんし! https://thegiverisreborn.blogspot.com/2025/07/5-nhk.html)