●学校教育の「第四の目的」
働き手を育てること。無知な労働者の養成。
指示に従う人間、考えない人間の養成
65 何も伝えてくれないテストの点数 ノーベル賞受賞者、アメリカ大統領
71 百のことを知っている百姓から指示に従う無知な工場労働者へ
81~2 従順な大衆の存在が都合のいい制度・システム
82 学校生活の単調さ、退屈さと、消費社会(コーラとマックに代表される)はつながっている!
84 子どもたちをダメにする学校 ~ 教師に気に入られようと、次第の臆病になり、慢性的に退屈になり、やがて生きる目的を失ってしまう。本来、教室は感動的な場所であるべきなのに、そうした教室の意義は一度も見直されてこなかった。
子どもをもっともダメにするのはマンネリである。学校に監禁され、同じことを繰り返される子どもたちは、やがて思考が停止する。こうした罠にはまった子どもたちは、ネズミと同じく、徹底した管理が必要になる。
94 エドワード・バーネイス著『プロパガンダ教本 こんなにチョろい大衆の騙し方』
95 ケネディの有名な演説「国が諸君に何をしてくれるかではなく、諸君が国のために何ができるかを問うてほしい」 ~ 民主主義国家から統治国家への転換
→124 「国家」の要求が「家庭」の要求に勝るという政治哲学を表現したもの
96~7 豊かになれない(ならない)多くの人々 ⇔ 教育との関係
2012年1月16日月曜日
2012年1月15日日曜日
『バカをつくる学校』 4
49 時間割(子どもたちのスケジュール)は、依存的な/従順な人間を作り出すための隠れた手段だ。彼らは自分の時間の使い方がわからず、自己の存在の意味も目的もわからない。この依存的で無目的な生き方は、国民的な病気である。それは学校やテレビ、習い事と深い関係があるはずだ。
深刻な社会問題 ~ 麻薬や暴力、愚かな競争、性の乱れ、ギャンブル、アルコール、そして金品への執着 ~ もまた、じつは依存的な人格による病気であり、学校教育の産物にほかならない。 ← 他者依存症を作り出す学校が、依存症の社会を築き上げるのに大きく貢献している。自立した人間、自らの責任で行動する人間を探すことの難しさ?
50~52 そして子どもはこうなった
① 大人の世界に無関心になる
② 集中力がほとんどなく、あっても長続きしない
③ 未来に対する認識が乏しく、明日が今日とつながっているという感覚がない
④ 歴史に関心がない
⑤ 他人に対して残酷になる
⑥ 親しさや正直さを拒絶する
⑦ 物質主義になる
⑧ 依存的で、受け身で、新しい挑戦に臆病になる
← まさに現代の日本!? (東日本大震災+東電原発事故は、こういう流れにストップをかけてくれるきっかけになるのか?) 『ギヴァー』で描かれている世界もこれらとオーバーラップするところが多分にある。
53 この140年間、アメリカは「専門家」からなる司令部 ~ 中央のエリート集団 ~ の命令を、人々に押しつけようとしてきた。しかし、それはうまくいかなかったし、これからもうまくいかないだろう。そもそも、国民を中央の命令に従わせることは、民主主義というこの国の壮大な実験を否定するものだ。 ← アメリカの中央は、日本のそれよりもはるかに弱い。50の州がすべて中央と言っていいぐらいだから。
スウェーデンと神奈川県の人口が近いことを考えると、文科省がすべてをコントロールする形よりも、各県が独立国のように競争した方が(いい意味で)、はるかにいいものができる可能性は高い。少なくとも、受身的でなくなり、主体的に行動する人が増えるわけだから。
54 (ヨーロッパの)エリート教育の根底には、自己認識こそ真の認識の土台だとする信念がある。そこでは、どの年齢の子どもも、自分一人で対処すべき課題を与えられる。その課題には、孤独に打ち勝つということも含まれる。 → 「7つの大罪」と対極にある教育
55 ところが、いまの学校教育は、子どもたちが自己認識を深めるための時間を奪い去っている。・・・どんな幼い子どもでも、自分で学習できることを信じなければならない。私たちは、子どもたち一人ひとりが、それぞれの個性や自信を深められるようなカリキュラムをつくらなければならない。 → WW&RW。一斉授業で教科書をカバーする授業では、それは無理。
56 自己認識さえ身につけば、彼らは自力でどんどん学んでいくだろう。そして自己教育にこそ、永遠の価値がある。
子どもたちには、今すぐ自由な時間を与えるべきである。そして、できるだけ早く、現実社会との接点を取り戻してやるべきである。→ METやCPEHSやCoalition of Essential Schools、Best Practice High Schoolなどが試みていること。 そのためには抜本的な改革が必要だ。 → 学校の中だけに閉じ込めておくことは、子どもたちのためにならない!! 48ページの「テレビ・学校・習い事」では、悲劇が続くだけ。
58 自立学習や社会奉仕、冒険、プライバシーの保護、多様な研修プログラム(1日以上の体験学習) ~ これらはいずれも、学校教育の真の改革にとって有力で、安上がりで、効果的な方法である。しかし、どんな大規模な改革を行おうと、教育の中心に家庭を置かないかぎり、病んだ子どもや病んだ社会を救うことはできない。学校が子どもを親から引き離すかぎり、悲劇は終わらないのである。
豊かな人生の基礎となるのは、国のカリキュラムではなく、「家庭のカリキュラム」だ。健全な教育のためには、まず学校が率先して家庭生活を尊重し、親子の交流を促して、家族の絆を強めなければならない。
抜本的な教育改革にとって最大の問題は、強大な既得権益がマスコミを支配し、学校制度そのものから利益を得ているということだ。
私たちが耳にするのは、じつはマスコミが伝える公認の意見だけである。 ← 2011年の原発事故報道と同じレベル!!
深刻な社会問題 ~ 麻薬や暴力、愚かな競争、性の乱れ、ギャンブル、アルコール、そして金品への執着 ~ もまた、じつは依存的な人格による病気であり、学校教育の産物にほかならない。 ← 他者依存症を作り出す学校が、依存症の社会を築き上げるのに大きく貢献している。自立した人間、自らの責任で行動する人間を探すことの難しさ?
50~52 そして子どもはこうなった
① 大人の世界に無関心になる
② 集中力がほとんどなく、あっても長続きしない
③ 未来に対する認識が乏しく、明日が今日とつながっているという感覚がない
④ 歴史に関心がない
⑤ 他人に対して残酷になる
⑥ 親しさや正直さを拒絶する
⑦ 物質主義になる
⑧ 依存的で、受け身で、新しい挑戦に臆病になる
← まさに現代の日本!? (東日本大震災+東電原発事故は、こういう流れにストップをかけてくれるきっかけになるのか?) 『ギヴァー』で描かれている世界もこれらとオーバーラップするところが多分にある。
53 この140年間、アメリカは「専門家」からなる司令部 ~ 中央のエリート集団 ~ の命令を、人々に押しつけようとしてきた。しかし、それはうまくいかなかったし、これからもうまくいかないだろう。そもそも、国民を中央の命令に従わせることは、民主主義というこの国の壮大な実験を否定するものだ。 ← アメリカの中央は、日本のそれよりもはるかに弱い。50の州がすべて中央と言っていいぐらいだから。
スウェーデンと神奈川県の人口が近いことを考えると、文科省がすべてをコントロールする形よりも、各県が独立国のように競争した方が(いい意味で)、はるかにいいものができる可能性は高い。少なくとも、受身的でなくなり、主体的に行動する人が増えるわけだから。
54 (ヨーロッパの)エリート教育の根底には、自己認識こそ真の認識の土台だとする信念がある。そこでは、どの年齢の子どもも、自分一人で対処すべき課題を与えられる。その課題には、孤独に打ち勝つということも含まれる。 → 「7つの大罪」と対極にある教育
55 ところが、いまの学校教育は、子どもたちが自己認識を深めるための時間を奪い去っている。・・・どんな幼い子どもでも、自分で学習できることを信じなければならない。私たちは、子どもたち一人ひとりが、それぞれの個性や自信を深められるようなカリキュラムをつくらなければならない。 → WW&RW。一斉授業で教科書をカバーする授業では、それは無理。
56 自己認識さえ身につけば、彼らは自力でどんどん学んでいくだろう。そして自己教育にこそ、永遠の価値がある。
子どもたちには、今すぐ自由な時間を与えるべきである。そして、できるだけ早く、現実社会との接点を取り戻してやるべきである。→ METやCPEHSやCoalition of Essential Schools、Best Practice High Schoolなどが試みていること。 そのためには抜本的な改革が必要だ。 → 学校の中だけに閉じ込めておくことは、子どもたちのためにならない!! 48ページの「テレビ・学校・習い事」では、悲劇が続くだけ。
58 自立学習や社会奉仕、冒険、プライバシーの保護、多様な研修プログラム(1日以上の体験学習) ~ これらはいずれも、学校教育の真の改革にとって有力で、安上がりで、効果的な方法である。しかし、どんな大規模な改革を行おうと、教育の中心に家庭を置かないかぎり、病んだ子どもや病んだ社会を救うことはできない。学校が子どもを親から引き離すかぎり、悲劇は終わらないのである。
豊かな人生の基礎となるのは、国のカリキュラムではなく、「家庭のカリキュラム」だ。健全な教育のためには、まず学校が率先して家庭生活を尊重し、親子の交流を促して、家族の絆を強めなければならない。
抜本的な教育改革にとって最大の問題は、強大な既得権益がマスコミを支配し、学校制度そのものから利益を得ているということだ。
私たちが耳にするのは、じつはマスコミが伝える公認の意見だけである。 ← 2011年の原発事故報道と同じレベル!!
2012年1月14日土曜日
『バカをつくる学校』 3
●精神病の学校
43 「階級分類装置」としての学校
現在、学校は深刻な危機にある。そしてそれは、さらに深刻な社会の危機と関係している。
アメリカの識字率の低下、麻薬の売買、10代の自殺率は世界最高(裕福な家庭の子どもたち)、そして貧困の問題、離婚の問題、犯罪の問題等、山積みの問題
学校の危機は、地域社会の危機と関係がある。子どもと高齢者は隔離され、世間から完全に無視されている。もはや彼らに話しかける人はなく、日常生活で両者がふれあうこともない。そんな地域社会では、未来も過去もなく、ただ現在が続くばかりだ。実際、「地域社会」という言葉は死語かもしれない。私たちは地域社会ではなく、ネット社会に生きており、そこでは誰もが一人ぼっちだ。 ← この辺、まさに日本を描いているよう?!
44 30年の教師生活をとおして、私はある興味深い現象に気づいた。学校は、世の中の創造的活動から取り残されている。もはや科学者が科学のクラスから生まれるとか、政治家が公民のクラスから生まれるとか、詩人が国語のクラスから育つなどと思っている人はいない。
実際、学校は命令に従うことしか教えていない。優しく、思いやりのある多くの人々が、教師として、助手として、管理者として働いているにもかかわらず、彼らの努力は学校の抽象的な論理の押しつぶされている。教師たちが奮闘する一方で、学校は精神病にかかったかのように、分別のかけらも示さない。学校がチャイムを鳴らすと、詩を書いていた生徒はノートを閉じ、別の教室へ移動して、今度は進化論を覚えなければならないのである。 ~ 先の「7つの大罪」がすべてをコントロールしているところ
46 最初に学校制度を構想した人たちの目的は、大衆を厳しく管理することだった。つまり、学校は公式どおりに行動する人間、コントロール可能な人間を生み出すためにつくられたのである。 ← まさに、『ギヴァー』の世界。 そして、日本?
この役割は見事に果たされ、社会ではますます階級化が進んでいる。
48 テレビ・学校・習い事
現在、子どもたちの生活は2つの慣習に支配されている。それは、テレビと学校である。
そもそも、幼少期や思春期というのは、実際に仕事を体験したり、冒険したり、思いやりを知ったり、自分が本当に学びたいと思うことを見つけたりする時期だった。子どもはその時期の大半を地域社会で過ごし、あらゆる人々との交流を通して、家庭を築く方法など、一人前の大人になるための知恵を学んだ。ところが、今の子どもたちにはそうした時間がない。 ← 地域を奪われた子どもたち!! 確かに、私も娘も、中学に入る前までは、地域で遊んだ!(中学や高校でも同じようにやれる方がいいんだろうが。) 『ギヴァー』にはそれがある?? 山田洋次監督は、満州から引き上げてきた中学校時代に「アルバイト先で年の行った人たちがいろいろと助けてくれたし、めんどうを見てくれた」と言っていた。それを通して、いろいろ学び、人間のよさも学んだと。
ちなみに、アメリカを中心に欧米で20年ぐらい前から盛んに取り入れられているのが、週のある曜日(の午前や午後)を、最低でも1学期、可能なら年間を通して職場体験にあてるサービス・ラーニングというアプローチ。日本で行われている3~5日間の職場体験は、体験する側にとっても受け入れ側にとっても「お客さん」意識が拭えないが、1学期間ないし1年間となると、職場の人とメンターとメンティー(指導者と弟子)の関係が築かれる。弟子のサイドが、少しは当てにされる存在にもなる。
43 「階級分類装置」としての学校
現在、学校は深刻な危機にある。そしてそれは、さらに深刻な社会の危機と関係している。
アメリカの識字率の低下、麻薬の売買、10代の自殺率は世界最高(裕福な家庭の子どもたち)、そして貧困の問題、離婚の問題、犯罪の問題等、山積みの問題
学校の危機は、地域社会の危機と関係がある。子どもと高齢者は隔離され、世間から完全に無視されている。もはや彼らに話しかける人はなく、日常生活で両者がふれあうこともない。そんな地域社会では、未来も過去もなく、ただ現在が続くばかりだ。実際、「地域社会」という言葉は死語かもしれない。私たちは地域社会ではなく、ネット社会に生きており、そこでは誰もが一人ぼっちだ。 ← この辺、まさに日本を描いているよう?!
44 30年の教師生活をとおして、私はある興味深い現象に気づいた。学校は、世の中の創造的活動から取り残されている。もはや科学者が科学のクラスから生まれるとか、政治家が公民のクラスから生まれるとか、詩人が国語のクラスから育つなどと思っている人はいない。
実際、学校は命令に従うことしか教えていない。優しく、思いやりのある多くの人々が、教師として、助手として、管理者として働いているにもかかわらず、彼らの努力は学校の抽象的な論理の押しつぶされている。教師たちが奮闘する一方で、学校は精神病にかかったかのように、分別のかけらも示さない。学校がチャイムを鳴らすと、詩を書いていた生徒はノートを閉じ、別の教室へ移動して、今度は進化論を覚えなければならないのである。 ~ 先の「7つの大罪」がすべてをコントロールしているところ
46 最初に学校制度を構想した人たちの目的は、大衆を厳しく管理することだった。つまり、学校は公式どおりに行動する人間、コントロール可能な人間を生み出すためにつくられたのである。 ← まさに、『ギヴァー』の世界。 そして、日本?
この役割は見事に果たされ、社会ではますます階級化が進んでいる。
48 テレビ・学校・習い事
現在、子どもたちの生活は2つの慣習に支配されている。それは、テレビと学校である。
そもそも、幼少期や思春期というのは、実際に仕事を体験したり、冒険したり、思いやりを知ったり、自分が本当に学びたいと思うことを見つけたりする時期だった。子どもはその時期の大半を地域社会で過ごし、あらゆる人々との交流を通して、家庭を築く方法など、一人前の大人になるための知恵を学んだ。ところが、今の子どもたちにはそうした時間がない。 ← 地域を奪われた子どもたち!! 確かに、私も娘も、中学に入る前までは、地域で遊んだ!(中学や高校でも同じようにやれる方がいいんだろうが。) 『ギヴァー』にはそれがある?? 山田洋次監督は、満州から引き上げてきた中学校時代に「アルバイト先で年の行った人たちがいろいろと助けてくれたし、めんどうを見てくれた」と言っていた。それを通して、いろいろ学び、人間のよさも学んだと。
ちなみに、アメリカを中心に欧米で20年ぐらい前から盛んに取り入れられているのが、週のある曜日(の午前や午後)を、最低でも1学期、可能なら年間を通して職場体験にあてるサービス・ラーニングというアプローチ。日本で行われている3~5日間の職場体験は、体験する側にとっても受け入れ側にとっても「お客さん」意識が拭えないが、1学期間ないし1年間となると、職場の人とメンターとメンティー(指導者と弟子)の関係が築かれる。弟子のサイドが、少しは当てにされる存在にもなる。
2012年1月12日木曜日
『ギヴァー』と関連のある本 78
前回紹介した大分県姫島のサイトを見ると、左側に「教育に関する点検及び評価」「姫島村学力向上支援プラン」があります。これらは、全国に右へ倣えであることもあって(つまり、主体的に取り組んでいるわけではないので)、これらを毎年繰り返しても教育はよくなりません。(accountabilityを「説明責任」と誤解してしまったがゆえの悲劇=時間と税金の無駄づかいです。)
この教育と関連して極めて刺激的な本を年の初めの休み期間中に読みました。
タイトルは、なんと『バカをつくる学校』(ジョン・テイラー・ガット著)です。
タイトルが正しいようでは困るのですが、読んでみると納得してしまいます。内容はアメリカの学校教育についてですが、残念ながらそのまま日本にもあてはまってしまいます。ほとんどすべてにわたって、アメリカの5~20年ぐらい後を追いかけているのが日本ですから。
ガットさんは、評論家ではありません。30年間公立学校の教壇に立ち、ニューヨーク州最優秀教師賞にまで輝いた人ですから、体制側にも認められる実践をしていた人です。
それでは、本の内容を数回にわたって紹介していきます。
3 学校の目的? ~ 「子どもが授業に影響されることなく、自分で自分の信念を築き、みずからの経験にもとづいて判断する」=「自立した学び手になる」ということは、国の指導的な教育者たちのリストの上位にはランクされていないはずだ。 ← 同感です。
●学校という神話
14 自分は教師として、子供たちの力を伸ばすどころか、抑えつけているのではないか・・・そして次第に、チャイムによる中断、まとまりのない時間割、年齢による区別、プライバシーの欠如、絶え間ない監視といった国の教育制度全体が、子どもたちを自分で考えて行動することから遠ざけ、依存的な人間にしようとしていることがわかった。 ← まさに『ギヴァー』の世界でしていること。でも、日本もまったく同じ気がしてきます。
そこで私は、ときどきゲリラ的な授業を企画し、出来るだけ多くの子どもたちを生の素材 ~ さまざまな交流や自由な環境 ~ に触れさせようとした。つまり、私は彼らが自ら考え、自ら学べるような実体験の場所を提供したのである。 ← 『ギヴァー』の世界でも、日本でも、こういう試みは許されないような空気があります。橋本武さんが灘中学校で実践していた『銀の匙』を3年かけて教えるような実践を。いまでも、やる気さえあれば、いくらでもやれてしまうのに。
15 私の考えを理論的、あるいは比喩的に表現すれば、教育は「油絵」よりも「彫刻」に似ている。つまり、油絵では、キャンバスに絵の具という素材を「加える」ことでイメージが生まれるが、彫刻では、素材を「削る」ことによって、石(や木)の中に閉じ込められたイメージが浮かび上がる。ここに決定的な違いがある。 ← どちらか一方だけというよりは、バランスの問題の気がする。相手によって。量的には後者の部分が多いことには賛成だが。WW&RWのアプローチはまさにそう。教科書をカバーするアプローチは、振り子が前者に行き過ぎている!
私は自分の専門知識を子どもに押し付けるのをやめた。その代わりに、彼らの本来の才能を邪魔しているものを取り除こうとした。私にとって、教師の仕事は、もはや教室で生徒に知識を授けることではなくなった。学校は今もその無益な教育方針を続けているが、私はこうした教育の伝統をできるだけ打ち破り、生徒一人ひとりの可能性を引き出そうとした。
政府に支配された学校は、私のような教師が増えると、学校制度全体が危機にさらされるとして警戒する。 → 学校という制度は、あくまでも社会全体の歯車のひとつであることを思わされます。少なくとも、社会のあり方と教育のあり方は強固に関連しているわけです。
この教育と関連して極めて刺激的な本を年の初めの休み期間中に読みました。
タイトルは、なんと『バカをつくる学校』(ジョン・テイラー・ガット著)です。
タイトルが正しいようでは困るのですが、読んでみると納得してしまいます。内容はアメリカの学校教育についてですが、残念ながらそのまま日本にもあてはまってしまいます。ほとんどすべてにわたって、アメリカの5~20年ぐらい後を追いかけているのが日本ですから。
ガットさんは、評論家ではありません。30年間公立学校の教壇に立ち、ニューヨーク州最優秀教師賞にまで輝いた人ですから、体制側にも認められる実践をしていた人です。
それでは、本の内容を数回にわたって紹介していきます。
3 学校の目的? ~ 「子どもが授業に影響されることなく、自分で自分の信念を築き、みずからの経験にもとづいて判断する」=「自立した学び手になる」ということは、国の指導的な教育者たちのリストの上位にはランクされていないはずだ。 ← 同感です。
●学校という神話
14 自分は教師として、子供たちの力を伸ばすどころか、抑えつけているのではないか・・・そして次第に、チャイムによる中断、まとまりのない時間割、年齢による区別、プライバシーの欠如、絶え間ない監視といった国の教育制度全体が、子どもたちを自分で考えて行動することから遠ざけ、依存的な人間にしようとしていることがわかった。 ← まさに『ギヴァー』の世界でしていること。でも、日本もまったく同じ気がしてきます。
そこで私は、ときどきゲリラ的な授業を企画し、出来るだけ多くの子どもたちを生の素材 ~ さまざまな交流や自由な環境 ~ に触れさせようとした。つまり、私は彼らが自ら考え、自ら学べるような実体験の場所を提供したのである。 ← 『ギヴァー』の世界でも、日本でも、こういう試みは許されないような空気があります。橋本武さんが灘中学校で実践していた『銀の匙』を3年かけて教えるような実践を。いまでも、やる気さえあれば、いくらでもやれてしまうのに。
15 私の考えを理論的、あるいは比喩的に表現すれば、教育は「油絵」よりも「彫刻」に似ている。つまり、油絵では、キャンバスに絵の具という素材を「加える」ことでイメージが生まれるが、彫刻では、素材を「削る」ことによって、石(や木)の中に閉じ込められたイメージが浮かび上がる。ここに決定的な違いがある。 ← どちらか一方だけというよりは、バランスの問題の気がする。相手によって。量的には後者の部分が多いことには賛成だが。WW&RWのアプローチはまさにそう。教科書をカバーするアプローチは、振り子が前者に行き過ぎている!
私は自分の専門知識を子どもに押し付けるのをやめた。その代わりに、彼らの本来の才能を邪魔しているものを取り除こうとした。私にとって、教師の仕事は、もはや教室で生徒に知識を授けることではなくなった。学校は今もその無益な教育方針を続けているが、私はこうした教育の伝統をできるだけ打ち破り、生徒一人ひとりの可能性を引き出そうとした。
政府に支配された学校は、私のような教師が増えると、学校制度全体が危機にさらされるとして警戒する。 → 学校という制度は、あくまでも社会全体の歯車のひとつであることを思わされます。少なくとも、社会のあり方と教育のあり方は強固に関連しているわけです。
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