英雄たちの選択「明治維新 最後の攻防~西郷・大久保“革命”への賭け~」 (NHK)をみました。
王政復古のクーデターから鳥羽伏見の戦いまでの25日間。慶応3年12月9日、薩摩藩の西郷隆盛と大久保利通は、王政復古のクーデターを断行。しかし、その後、新政府を徳川慶喜主導のものにしようともくろむ土佐・越前などの諸藩が勢いを増し、慶喜排除を掲げた西郷・大久保らは孤立。しかし、その後巻き返して、鳥羽伏見の戦いに。
司会の磯田道史さんの2つのコメントがよかったです。
1)1,2,3,4と直線的に考える人と、1,2,3,100と飛躍的な思考ができる人の違いについて語っていた点。前者は、あの時代の圧倒的多数の人たち。土佐藩主山内容堂、福井藩主松平春嶽、そして、徳川家最後の将軍の徳川慶喜らであり、後者は大久保利通であり、西郷隆盛である。彼らの低い身分が、それを可能にしていた部分は、多分にある。
2)こちらの方がはるかに大きなインパクトがあったのだが、それは、明治維新を実現させたあの時の大久保と西郷の行為(戦うという選択)が、その後、第二次世界大戦での敗戦までの日本を宿命づけたような部分が、多分にあるということ。
この2つの点は、『ギヴァー』との関連を強く感じました。
1)ギヴァーからたくさんの記憶を注入されたジョナスは、コミュニティーを離れるという選択をしました。それは、これまでコミュニティーの住民には(ギヴァー自身も含めて)考えられなかった選択です。(そういえば、もう一人、ゲイブの母親のクレアも、コミュニティーを離れる選択をした人でした。)
2)ジョナス、ゲイブ、そしてクレアが行きついた、もう一つのコミュニティーは、ギヴァーのコミュニティーとも、大久保や西郷が考えたような国とも大分違うものでした。