『ギヴァー』の大きなテーマの一つ、記憶そして歴史と関係する本です。
読みながら引っかかったところのメモから(数字は、ページ数)。
16 鶴見俊輔のオヤジ評: 「勉強で一番になってきた人だから、一番になる以外の価値観をもっていない。そういう一番病の知識人が、政治家や官僚になって、日本を動かしてきたんだ。」
19 いったん一番病の学校システムができると、知識人の集団転向なんて現象は、当然でてきます。転向したことを意識していない転向なんだから。つねに一番でいたいと思っているだけなんだ。
20 一番病に毒されていない歴史観 ~ 日付のある判断。つまり、それぞれの時点でどんなふうに考えたか。そういう日付のある判断が、かえって未来を開くという逆説的な関係があるんだ。日付のある判断というのは、これが当時の限界だったと評価するんじゃなくて、ここでこれだけ考えられたのか、と考える。そうしたら今度は、その後に進んだのとは別の可能性や方向があったんじゃないか、と考えられるわけでしょう。その後に実現した一つのものが、進歩とは限らないわけで、もっと別の可能性があったということがわかる。そうでなきゃ、思想史と言えないんだよね。私が丸山真男さんに感心するのは、そういうことがわかっている人だったからだ。
日本のいろんな学問は、歴史学でもなんでも、そういうことがわかっていないと思う。年が進むごとに進歩しているという、前提を持っている。
一番病は、前の時代にやっていたことは古くてだめだ、という考え方。
21 だから私は、歴史をみるうえでも、進歩と退行を、一緒に考えていきたいんだよね。ある時代の思想を、いまの基準から裁断するんじゃなくて、当時のところまで退行してみて、そこにもどって考える。そうすることで、可能性が見えてくるんだ。
私が戦争体験から得たことというのは、一つはこういう考え方なんだ。大学を出ている人が簡単に転向して、学歴のない奴のほうに自分で考える人がいる。渡辺清とか、加太こうじとか、小学校しか出ていないような人のほうに、自分で思想をつくっていった人がいる。
一番病にかかっている人=テストや成績でしか判断できない人は、「つくられた人」なんだ。自分で「つくる人」じゃないんだよ。明治維新から1904年までは、自分で明治国家をつくる人たちがいた。だけどその後は、明治国家でできた体制によって、つくられた人たちばかりになった。 → 202
22 つくられた人たちは、自分で考える力はないんだけど、学習がうまいんだよ。近代化するには、こういう人間を養成することが必要だったんだ。だけど学習がうまいと、脇が甘くなっちゃんだ。教わっていなこととか、試験に出ない範囲のことが出てきたら、そのまま溺れちゃうね。
30 鶴見さんは自分の哲学的立場を名前と実体を混同させない「徹底的唯名論」だとおっしゃっていますよね。「名前は社会からあたえられる。しかし、それは便宜的なものだ。名前をまたづけられていない状態の自分から、つねにあらたに考えてゆかなければならない」と。あれは、アメリカで学ばれたプラグマティズムや言語論の認識論に影響されたというのもあるけれど、そういう名前をあたえられたご自分の立場から・・・・
そう。そうだと思うね。
だから、戦後の改革にしても、看板を民主主義にとりかえたら、中身も変わったような気がしているんだ。 ~ 安倍さん得意の美しい国・日本、アベノミックス、一億総活躍社会なども、その系譜!
37 人間を動かすのは明確なものじゃなくて、ぼんやりした信念なんだ。ぼんやりしているけど、確かなものなんだ。
92 吉野作造の民本主義はおもしろい。
99 全体主義化しているアメリカ
151 憲法を、一番病の連中にはわからない。
152 この憲法をあの連中(知識人)が支えられるだろうか、ということです。 ~ もう無理なのは、明確化してきています。
161 誰かが自分の責任で、言うべきことを言ったということを見なくて、いったい思想史なんてものにどれほどの値打ちがあるんですか。
164 丸山真男著の論文「近世日本政治思想における『自然』と『作為』」 ~ 戦争中の皇国思想とはまったく異質なものが江戸時代にすでにあった!!
171 思想の科学は、art of
thinkingを少しもじって、science of
thinkingの日本語訳
172 日本の学問は、本店―支店の関係なんですよ。支店は、源流に遡っていろいろ考えることができないから。お互いがものすごくいがみ合うんです。それで結局、「天皇」がいないと統合できない。そういう馬鹿馬鹿しい状態が、平和が回復してくると起こる。
率直にいえば、日本の知識人は根本から自分で考えていないから、そうなるんです。上から降ってきた教科書をこなすことしかできない。
171 根元になっていたのが、戦争中をどう過ごした人かという信頼関係だったんだ。
176 丸山真男の3つの論文
185 陸褐南
187 領土なきナショナリズム = パトリオティズム = 「くに」という昔の概念
190 『アメノウズメ伝』
219 1950年は、28歳だから、自分が動員されるとは思っていない。動員されるかどうかということで、戦争に対する人間の考えは非常に変わるよ。 ~ されない連中による2015年9月の安保法案可決。
225 小学校から一番でやってきた奴は当てにならないんだ。
240 親父は、「総理大臣になりたい」とか言っていたんだけれど、なって何をやりたいのって聞いても、なにも出てこないんだから。日本の政治家の大部分というのは、そういうもんじゃないの。国連の常任理事国になりたいとかいうけれど、なって何をやりたいのかといえば、誰もなにも言わないんじゃない。ただ一番になりたいだけなんだよ。
269 短歌 vs 俳句 (主に、上野発言)
俳句で戦争協力はできないですよ。短歌のほうがやりやすいと思う。俳句はシニシズムを含んでいますから。シニシズムで戦争参加はできません。
俳句は陶酔もできないような詩型ですから、戦争は煽れません。
270 『もうろくの春』(SURE)
284 負け方が次を準備する
390 ホワイトヘッドのラスト・スピーチ
「明確さはウソ」
タイトルは、immortality(不滅性)
mortalは死すべきもの。Immortalityは、現在を突き抜けていくもの。
それは価値を確信して、価値としてこの世界を見るということ。価値だから、この場限りで終わらない。また終わらせてはいけないと思う。だから現在を突き抜けていく・・・それは、ぼんやりしているけど、確かなものなんだよ。
金子文子がもっていた感覚と同じ。
392 「郷土愛」というよりも、「ヤクザの仁義」
この本で、一番ウ~ンと唸ったところは(残念ながら、何ページ書き忘れました!)、歴史は大局的に捉えたもの(ある意味で、私たちが学校などで学ぶもの)と個人史のバランスだ、と書いてあったところでした。
そして、この本は、後者のアプローチに徹した内容です。鶴見俊輔という稀有の体験をした人の個人史。
しかも、タイトルにあるように、この人の人生のかなりの部分が戦争とのお付き合いの人生だったわけです。第二次世界大戦が中心ですが、その後も。鶴見さんは1922年〈大正11年〉6月25日生まれで、2015年〈平成27年〉7月20日に亡くなっています。
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