文科省が音頭を取っていることもあってhttps://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/community/、全国で「コミュニティー・スクール」をつくらなければいけない状況におかれている人たちが苦しんでいます。学校関係者に保護者や地域住民を加えた学校運営協議会をつくって、「開かれた学校づくり」をしていこうと、主旨はいいのですが・・・・・そういう組織を運営する諸々の基盤が整っていないのです。
基本的には、役所がよくやる専門家委員会や諮問委員会と同じで、委員に選任された人たちの役割は(上記の文科省のHPに書いてあるように)「承認すること」や「意見を述べること」が中心で、決定権はもっていません。
決定権をもっていないものは、宿命的に、良くて「言いたい放題」、悪いと「言いたいことも言えません」。★
この日本のやり方に対して、欧米の学校理事会を見てみると、最終決定権はこの組織がもっているのです。学校理事会は、数名の教師、数名の保護者、数名の地域住民+校長で構成されます。高校の場合は、これに生徒も加わります。この理事会が、校長の任用の決定も行います。(校長が、教師の任用の責任と、日々の学校経営の責任を負います。)理事会の責任は、校長の任用だけでなく、すべての学校の重要な決定を行います。カリキュラム(生徒たちが何をどう学ぶのか)のことを中心に。
もう20年以上前に、イギリスやアメリカの学校理事会を見せてもらったことがありますが、基本的には会社の理事会というか取締役会と同じ位置づけです。ですから、参加者はやる気満々ということになります。(それに対して、日本の会議はどれをとっても、責任がないので、なあなあというか、やってもやらなくても同じようなものばかりです。税金の無駄遣いだったり、時間の無駄遣いだったり。)
良くも悪くも、民主主義の定着度を表していると思いました。
日本の場合は、紙の上での民主主義はあっても、いまだかつて定着していませんから、江戸(or 室町?、平安? 飛鳥?)時代と同じようなことをやり続けている気がします。「一堂に会した人がフラットな関係」というのは、あと何十年(何百年?)経っても、日本では無理なのかと思ってしまいます。少なくとも、国会や地方議会を見ても、可能性のようなものは見えません。
★ある意味では、(すでに機能しているとは言い難い)第二のPTAをつくろうという動きとも言えます。学校がやろうとすることの協力者を学校の外にも確保するのが目的? いずれにしても、関係性があいまいですから、「なあなあ」が続きます。