前回、学校について比較してみましたが、その中で
24 適正評価は、絶えず行われていること。つまり、一発のテストではないこと
と書きました。より詳しくは「去年はずっと、観察の目が強まっているのに気づいていた。学校でも、レクリエーションの時も、奉仕活動の時間も、<長老>たちはジョナスを含む<11歳>の子たちをじっと見つめていた。ジョナスはかれらが記録をとっているのも見たし、ジョナスら<11歳>の子どもたちを学校で受けもったすべての教官と、長い時間をかけて面談しているのも知っていた」です。
『ギヴァー』のコミュニティでは、適性検査を観察と面談(残念ながら、本人に対しては行っていませんが)を中心にやっており、日本でよく行われる入試や入社試験(後者には面談は含まれる)は「一発」という意味でした。ほとんどプロセスを見る時間をとりませんから。
しかし、日本の学校でも昔から主要教科の指導は、教科書をカバーすることと一体となった業者テストをすることとセットになっていた、と言えなくもありません。その「適正」や「効果」は、はなはだ疑問ですが、継続的な評価は行われていたわけです。これに関しては、ジョナスの学校でも、宿題や小テストもしょっちゅうあることが64ページに書いてありましたので、違いはありません。
評価の方法として、何に重きを置くかは、決定的に大切です。
日本は、その公平さを盾にしてテストにこだわり続けているわけですが、それによるプラス面とマイナス面をしっかり認識すべきです。
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