『ギヴァー』の中には学校に関することが描かれているシーンがいくつか出てきます。たとえば、
8 遅刻したアッシャーが教室に駆け込んできて謝罪をしているシーン
10 リリーの遊び場でのシーン
39 奉仕活動が組み込まれていること
52 学校に行くことと教科書は切り離せないこと。遅刻をしてはいけないこと
64 宿題や小テストもしょっちゅうあること
72 「調和」をことのほか大切にしていること
123 教科に、言語とコミュニケーション、商業と工業、科学と技術、民事訴訟と市政があること。そして、当然のことながら「休み時間」や「昼食の時間」もあること
以上の点に関しては、私たちが体験している学校と何ら変わりないと思います。
しかし、大きく違うところは、
24 適正評価は、絶えず行われていること。つまり、一発のテストではないこと
107 過去の記憶を抜きにして教育が行われているという事実。傷つく記憶(=知識や体験)を排除しているコミュニティ
143 記憶が詰まっている「書物」を手にすることを禁じられていること
などです。
そして、最大の発言はギヴァーが発した以下の言葉です。
147 「やつら(科学技術の教官のこと)は何もわかっていない」
148 「そりゃ、きみの先生がたはちゃんと訓練を受けているさ。科学的事実ってやつを理解している。つまりだね・・・記憶なしには、それらの知識には何の意味もないということだ」
これは、私たちの学校というか教育に対する痛烈な批判のようにも聞こえてしまったのですが...勘ぐりすぎでしょうか?
そういえば、181ページには学校教育の役割を考えさせられるくだりもありました。
さらには、どうも記憶=感情=愛の関係で成り立っているらしいのですが、それをもっているのはギヴァーと新しくレシーヴァーに選ばれたジョナスの二人だけなのです。 ということは、学校でも、家庭でも、愛なしでの営みが行われている、ということになります。 私たちの学校や家庭は大丈夫でしょうか?
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