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2015年3月29日日曜日

選択することの大切さ



私たちは、どれだけ主体的に選択して人生を歩んでいるでしょうか?

ギヴァーの社会は、どうもその選択がほとんどなさそうです。

私たちの社会は、どうでしょうか?

前回の某新聞社のヘッドラインも、選択です。選択が提供されてない、という意味で。

科学技術を中心に社会の(それなりの)進歩とともに、選択肢は増えているようで、一人ひとりが実際に選択している部分は逆に減っているのではないでしょうか? 自分で選択して行動しているような錯覚を起こしているだけで・・・・誰かがどこかで、自分の代わりに選択した結果に乗っかっているだけ、とさえ言える部分が多分にあるようにさえ思ってしまいます。

たとえば、いまは卒業式が終わり、入学式や入社式の季節です。
この卒業、入学、入社等など人生の節目は、どれほど選択の結果でしょうか?

ネットやコンビニなど便利の代名詞のようなものは、特に「危険」と言えるかもしれません。「自分が選択しているようで、巧妙に選択させられている」???

地方選挙も間近ですが、国政選挙と並んで、どれだけ選択しているでしょうか? (選択肢が提供されているでしょうか?)

2015年3月21日土曜日

今日のヘッド・ライン



以下は、某新聞社のオンラインのヘッド・ラインです。



このリストを見て、どういう感想を持ちましたか?


私の感想は、この新聞社の取材能力というか記事の選択能力のなさを暴露しているのか、それとも、日本社会の現状を反映しているのか、そのいずれかではないかと。あるいは、両方でしょうか? ちなみに、他紙は大分違うのを扱っていましたから、後者ではないようです。

ギヴァーのコミュニティでは、たかだか3500人ぐらいのコミュニティなのですが、情報のやり取りはどうなっているのでしょうか? あるいは、どうあるべきなのでしょうか? 今のように、各人が情報を発信するということは許されていないことだけは確実です。基本的には、受信するだけ。

★ ちなみに、ここ数日、NHKがラジオ放送が始まってから90年ということで、特集をしていますが、その内容は・・・・。

2015年3月10日火曜日

疑問をもつ/質問ができるということ



ジョナスのコミュニティで、疑問を発する/質問ができるのは、過去(歴史)を知っているギヴァーとジョナスの2人だけのようです。

ジョナスは、家族のあり方や「愛」の存在を知ることで、自分たちがしていることのおかしさに気づき(=自分のコミュニティのあり方に疑問を感じ、そして自分に何ができるかを自問自答して)、結果的に、ゲイブリエルを助けるために、そしてコミュニティの人々全員の過去を取り戻すために、コミュニティを脱出することに決めました。

他のみんなは、自分たちのしていることに疑問を発せないというか、質問する能力をうしなっています。その方が、よい社会が築けるという前提なので。

これって、どこかにある本当の社会と似ていると思いませんか?

私たちも、学校に入る前までは、たくさんの質問を自然にしていますが、学校に入った途端にそれが急激に落ち、卒業するころはほとんどできなくなっています。