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2016年7月26日火曜日

参議院選 → 都知事選


 単純に、巨額の税金の無駄遣いが今月に2回あります。
それだけのコストをかけても、社会や政治がよくなるわけではありません。
「身近度」では、今回の方に軍配が上がります。

ラジオでの政見放送を聞いていると、マスコミで取り上げられる3人と、その他の方々とはまったくと言っていいほど差がありません。ひょっとしたら、よりまともなのは、後者の中にいる気さえします。
しかし、後者の方々は、どうあがいても当選は無理です。当選できないことがわかっているのに、なぜ立候補しているのでしょうか? 自分の言いたいこと(の一部)が言えるから??

以前に紹介した『希望(ホープ)のいる町』ジョーン・バウアー著の中で起こっていることが、実際に起こっているかもしれないと思わせてくれる人もいます。
しかし、如何せん選挙期間が短すぎます。
『希望(ホープ)のいる町』で起こったようなことが東京で起こるには、もっと長~い選挙期間が必要です。私のまちの市長選や市議会議員選ですら、もっと長い期間が必要です。
その代わり、何の意味もない(というか、効果的にはマイナスしかない)「うるさくがなりたてる」選挙カーはやめるべきです。単なる騒音公害以外の何物でもありません。
たとえば、こういうふうに変えるだけで、違った選挙→政治になるかもしれません。
(いずれにしても、これまでに何度も書いてきたように、既存の仕組みは機能していません。というか、既存の政党を優遇するための仕組みとしか言いようがありませんし、世の中の半数以上の人たちは、その仕組みにNoを突きつけていることは明らかです。)

候補者と有権者との継続的なつながりこそが、選挙に意味を持たせる確実な方法のように思います。
それは、いったいどの規模なら可能なのでしょうか?
スウェーデンをはじめ北欧諸国ではやれていると思います。


『希望(ホープ)のいる町』や『ギヴァー』なら確実にOKです。


2016年7月23日土曜日

『共感の時代へ』という本


著者のフランス・ドゥ・ヴァールは、オランダ生まれの心理学者、動物行動学者、動物学者です。霊長類(主に、チンパンジー)行動の研究では、世界の第一人者として知られています。

この本の最初の数ページに以下のようなこと(彼の専門外のこと)が書かれていたので紹介したくなってしまいました。

 この悪夢(2008年の世界的な金融危機)を招いたのは、四半世紀前にアメリカのレーガン大統領とイギリスのサッチャー首相が導入した、いわゆる「トリクルダウン」経済で、市場は見事に自己統制するという心強い言葉が当時まことしやかにささやかれた。もうそんな甘言を信じるものはいない。 ~ なんと、日本の有権者の半分以上は、同じことをいい続けている安倍さんの甘言を信じ続けているというこっけいな状態にあります。

 どうやらアメリカの政治は、協力と社会的責任を重んじる新時代を迎える態勢に入ったようだ・・・生きる価値のある社会を築くことを、社会から物質的豊かさを引き出すことよりも大切にする。 ~ ここで、著者は空振りをしています。結果的にアメリカはそうはならず、今回の大統領選挙では、その振り子が真逆に揺れている感さえします。それは、日本も同じです。東日本大震災という天災の危機を活かすことができず、「生きる価値のある社会」とは何かを忘れたままで、あっという間に、物質的豊かさの追求に逆戻りです。

 ハリケーン・カトリーナは、アメリカという国が第三世界的な要素を色濃く持ち続けていることを世界にさらけ出してしまった大惨事でしたが、それと比較して、著者の母国の「国土の大半が最大で6メートル余り海面よりも低いオランダでは、堤防は神聖そのものなので、政治家たちはそれについていっさい口出しできない。治水は、技術者と、建国にすら先立って設立されていた地元の委員会の手に委ねられている。考えてみると、これまた政治に対する不信感を反映している。政治と言っても、大きな政府ではなく、目先のことしか頭にない大半の政治家のことなのだが」(12ページ) ~ ここは、東日本大震災を含めて、日本の地震や津波対策にそのまま呼応しています。日本の場合は、技術者や地元の委員会ではなくて、中央の政治家や電力会社や原発村の住人たちに任せっきりの状態が続いています。

以上は、本のタイトルとは若干関係ない気がします。(いや、あるのかもしれません!)
関係ある部分については、
をご覧ください。

彼が実際に話しているところは、

で見られます。

2016年7月5日火曜日

『安倍政権にひれ伏す日本のメディア』マーティン・ファクラー著を読んで


このタイトルにあるような内容について考えていたタイミングで出てきた本なので、早速読んでみました。書いた人は、日本人ではなく、日本での取材・執筆経験の長い外国人ジャーナリストです。日本人ジャーナリストには(しかも、組織に属していては)書けない内容です。もし、日本人でこのテーマについて書いている人がいたら、ぜひ教えてください。

 1~2年前に、朝日新聞とテレビ朝日がバッシングされたこと(それも、政権によって)が、かなり詳しく書いてあります。確かに、朝日側の非は否定できなくても、確実に政権側の意図があった、というのが著者に言い分です。それに対して、他の報道機関がこれをチャンスに、朝日たたきに乗っかるところが極めて日本らしいとも。(アメリカであれば、会社へのアイデンティティよりも、ジャーナリストとしてのアイデンティティの方がはるかに大きいので、そんなことはあり得ない、と。著者自身、AP通信社、ウォール・ストリート・ジャーナル社、そしてニューヨークタイムズ社の日本支局に属していた!)

 以下、数字は本のページ数です。

43 日本外国特派員協会での記者会見から逃げる自民党(というか、安倍政権) ~ そこで記者会見をしても「メリットはない」と割り切っているからです。それに対して、公式の記者会見(そこからは外国人やフリーのジャーナリストは除外されています。「質問するときは、所属と氏名を言ってください」という司会者の言葉にそれが表れているわけです)では、外国人やフリーのジャーナリストたちは、価値のある情報は何も得られるはずがないと思っています。そして、それをありがたく報道する機関に成り下がっているのが、日本のメディアだという主張です。それを、ジャーナリズムと呼ぶことはできない。政府の単なる広報機関でしかないわけですから。

88 慰安婦報道に関して、安倍首相は国会答弁で「朝日新聞の慰安婦問題に関する誤報により、多くの人が苦しみ、そして悲しみ、そしてまた怒りを覚えたわけであります」と言いました。「個別の報道機関の記事については本来コメントをするべきではない」と言いながら、特定のメディアを名指して、「朝日新聞が国際社会に悪影響を及ぼした」と一方的な批判をし、「苦しみ」「悲しみ」「怒り」という言葉を用いて、人々のエモーションな反応を引き起こそうとしました。
 と著者は書いています。国際社会では朝日新聞を誰も読まれていないのに、です。

107、116~120 ネット右翼によるやりたい放題を放置する政権
134~136 ネット右翼の横暴に青信号を出している安倍政権

180 「世界報道自由度ランキング」で61位に転落した日本
 これは、ジャーナリストによる国際NPO「国境なき記者団」が毎年発表しているもの。2009年は、第17位。2010年は第11位と、上位にランクインしていた。それが、原発事故以降、低下傾向を見せはじめ、安倍政権になってからは悪化の一途をたどっている。2014年は第59位。2015年は第61位。
 民主主義のバロメーターの一つといえる、報道の自由がある国とは思われていない実態がこの国にはあるということです。

232 安倍政権のメディア対策とは関係ありませんが、「日本の世論調査は誘導尋問のような“世論操作”」だということです。アンケート調査は、出してもらいたい答えありきで、質問項目を考えられるということです。その結果、あたかも客観的な声を聞いているような錯覚を読む人や見る人に起こさせることができるわけです。
 これも、民主主義の自由度を奪う行為です。

 『ギヴァー』のコミュニティでも、似たようなことは行われているでしょうか?


2016年7月3日日曜日

選挙の季節の到来


 また、騒々しいだけで、何も変わらない季節がやってきました。(市議会選挙よりは、騒音レベルははるかにマシですが。)
 その民主主義とはお世辞にも言えない日本の選挙について考える2冊の本を読みました。
 一冊目は絵本です。『こどものとうひょうおとなのせんきょかこさとし著
もう一冊はヤングアダルトの『希望(ホープ)のいる町』ジョーン・バウアー著です。(実は、この著者が書いた『Stick』という本を読みたかったのですが、まだ訳されていないので、一番人気のこの本を代わりに読んでみましたが、思わぬヒットでした。)
一生に一度は、こういう選挙に関わってみたいと思います。
かこさんの絵本もそうですが、決定的に大切なのはスケール(規模)だと思います。
 スケールが小さいところですら民主的な物事の決め方ができない私たち日本人ですから、それ以上規模の大きいところでは、すべてが茶番になってしまいます。(そうなると、そんなところでの意思決定はすべて、茶番の上塗り以外の何物でもない?ことになります。)

 ギヴァーのコミュニティのスケール(人口約3500人)がちょうどいい規模です。

 でも、北欧やオランダあたりは、規模が大きくなっても、結構うまくやっている感じです。いったい何が違うんでしょう? 改憲云々の前に政治家の人たちは、これをまずは学ぶところからスタートしてほしいです。