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2016年9月30日金曜日

『ギヴァー』と関連のある本114


本は、『アイデアたまごのそだてかた』コビ・ヤマダ文、メイ・ベソム絵です。

こういう感じではじまります。

あるひ、ちいさな アイデアが うまれた。

「どうして こんなこと、おもいついたんだろ?」
うまれたての アイデアたまごを ながめながら、
ぼくは くびを ひねった。

最初のうちは、僕とは関係ないと、その卵を放っておいた。

でも、アイデアたまごは ぼくに ついてきた。

友だちに見られたら、と不安になって、たまごを隠したりしたが・・・・、でも

アイデアたまごの ちかくに いると、げんきが でて、
しあわせな きもちに なったんだ。

そして、友だちになった後、みんなに見せに行ったが、

「きみの わるい たまごだなあ!」
「きたい したって、なんにも うまれて きやしないさ」

と言われて、僕の勇気もしぼんだ。

でも、そのとき、はっと きづいたんだ。
いったい みんなが なにを しっているんだろう?
これは ぼくの アイデアだ。
みんなと ちがってたって、かわってたって、
ちょっとばかり おかしくたって、かまうものか!

そして、たまごはドンドン大きくなって、僕は、前よりもずっとアイデアたまごが好きになった。

そして ついに あのひが きた。
アイデアたまごが とつぜん へんしん したんだ。
アイデアたまごは ・・・ あたり いちめん いろを ふりまきながら、
そらへ すいこまれて いった。

ぼくの となりから、アイデアたまごは きえた。
でも、いなくなった わけじゃ ない。
アイデアたまごは せかいと ひとつに なったんだ。

あたらしい せかいは、ぼくに おしえてくれた。
アイデアたまごは だれの なかにも いるってことを。
そう、きみの なかにも。
いったい、なんのために だって?

せかいを かえるためさ!


どうですか、『ギヴァー』と比べて?


そして、裏表紙には、以下のようなことが書いてありました!!
(全部を見るには、コピーをクリックしてください。)


2016年9月21日水曜日

原発の廃炉費をすべての電力利用者(=国民)負担へ


原子力政策の限界鮮明に

政治(日本の場合は、政治家+官僚+民間企業の三位一体の場合が多いわけですが)の無策/展望のなさが、結果的に国民への費用転化で幕引きとなるケースが多すぎます。これは、その象徴的なケースに過ぎないわけで・・・・

これで、私たちの国は民主主義を実践していると言えるのでしょうか?

ごく少数の利益を得る人たちのやりたい放題のままで。

そして、圧倒的多数の国民には「声」を出す方法をもたないままで。(選挙は、「声」とはまったくの別物です。)

『ギヴァー』の中でジョナスは、「声」どころか、行動に出ました。
いまの私たち国民に求められているのも、そういうことなのではないかと思うのですが・・・
それとも、いつまでも「ごく少数の利益を得る人たち」の尻拭いをし続けることで満足することでしょうか?

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ちなみに、この記事を載せたのは地方紙が中心で(プラス毎日)、全国紙のほとんどは掲載していません。特に、読売は日本の原子力政策に最初から推進し続けている新聞社ですから、記者が書きたくても組織レベルでストップがかかると思います。(その意味では、三位一体ではなく、四位一体になります!)