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2016年10月29日土曜日

『ギヴァー』の感想

新潟の高校の国語の先生の押木さんが、以下の感想を送ってくれました。

これは、近未来小説だったのですね。最も恐るべき未来です。私は、あらゆる行動が監視され、スピーカーで司令が発せられたり、解放という名前で殺されたり、12歳の儀式で生涯の仕事(係)が〈任命〉されることに、違和感と不快感を覚えずにいられませんでした。思春期の個人的な感情を「高揚」と名付けられ、錠剤でコントロールされてしまうことにも恐怖を覚えました。コミュニティが(同一化)を選んだことで、安全と安定を得られたかもしれませんが、それによって、どれほどのことが失われたでしょうか。しかし、すでにその社会に生きる人たちは、恐怖や不快を感じられないのですね。自由を体験していないためにその価値を知らない。無知ほど恐ろしいものはないかもしれない。

ジョナスがりんごの色を感じた場面は、とても印象深く、変化への伏線だと感じ、ジョナスが特別な存在であることを予感しました。

彼が過去の記憶を伝達される「レシーヴァー」に任命されることで、ストーリーは一気に展開し、ジョナスは、今まで塞がれていた好奇心、知りたいという願望を解放されます。私は記憶を身体を通して受け取るというところに大きな意味を見出しました。とても象徴的だと思いました。記憶は知識ではないのですね。けれどもジョナスは、全身で感じるもの、しかも体験したものの言葉(名前)を掴むことまで課されていました。名前を手に入れるということは、記憶を、世界を手に入れることなのだと思いました。
飢餓や戦争の記憶を引き受けたジョナスは、記憶など欲しくないと思います。しかし「愛」の記憶を体験したとき、ジョナスは、決定的に自分たちの生きる記憶のない世界がおかしいことに気づきました。老人を排除しないこと、色を知覚できること、愛があること、記憶があること。この4つが、ジョナスの理想とする世界に選ばれていることに私は意味を感じました。

もう1つ衝撃的な場面は、ジョナスが「解放」の本当の意味を知る場面です。その後ギヴァーは、「ものごとは変わらねばならない」と気づくのです。解放とは恐ろしい言葉です。役に立たない、不要になった存在を、死に至らしめる。
この物語は、ジョナスがゲイブリエルとともにコミュニティを抜け出し、〈よそ〉に向かうところで終わっています。記憶は消えていき、寒さと飢えの中、ただゲイブリエルをしっかり抱いて〈よそ〉にたどり着いたとかんじさせるところで終わります。音楽が聞こえてきたようだという表現から、私たちはジョナスの勇気が勝利したことを察するだけです。この終わり方は、やはり、私たちに勇気を持って、〈ものごとを変えなければならない〉と訴えているのでしょう。しかしすぐに動き出せないのが、私です。やはり仲間と信頼できる師、がいてほしいと願ってしまう。清々しい読後感の一方に、私は不安を抱いてしまうのです。

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