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2017年1月28日土曜日

世界の最強コーチによる奇跡のレッスン ~ ハンドボール編


前回紹介したのは、スウェーデンの教科書でしたが、
今回は、デンマークのハンドボール(+教育)です。
両者の間には、共通点ばかりです。

ポイントは、「楽しい」と「自分で考える」と「コミュニケーション」と「質問する」。
これらが、日本の授業にはもちろん、スポーツ(部活)にもないのです。

これまでたくさんの競技でのコーチが登場しましたが、今回ほど授業との関連を意識したコーチはいませんでした。
実際に中学校の授業参観をし、教えている先生たちに質問までしてしまいました!!

基本的には、部活で子どもたちがしている体験=授業の体験であることが鮮明にわかります。
そして、残念ながら、日本における両者でいいところを見つけること自体が難しいこともわかります。

NHK 世界の最強コーチによる奇跡のレッスン ~ ハンドボール編は、必見です。
(特に、前編の3日目に授業参観が紹介されています。)

2017年1月15日日曜日

『ギヴァー』と関連のある本 117


『スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む』ヨーラン・スバネリッド著を読みました。

 社会とは何か? そしてその中の自分とは何で、どういうふうに行動するのがいいのかを考えさせてくれます。★ 

それに対して、日本の社会科の教科書は、知識のオンパレードだけで、考えさせるということは皆無です。(サブタイトルに、「日本の大学生は何を感じたのか」とあり、その大学生たちが言っていることですから、間違いありません!) 

考えさせない教育があり、その結果としての社会がある、へんに納得してしまいます。 

別な言い方をすれば、教えるべきことを教える国と、教えるべきことをあえて教えない国の違い、ということになります。   



★ そこには、必ずしも正解はないかもしれません。(ない方が多いと思います。)しかし、考えることこそが大切なんだと思います。しかし、日本の教育では「正解のないものは教えられません」ということになっています。すべてがすべて、試験を中心に教育が行われているとことの結果です。


2017年1月12日木曜日

『ムハマド・ユヌス自伝』を読む


友人の高校の先生・吉沢郁生さんが、『ムハマド・ユヌス自伝』を読んだ感想を送ってくれたので紹介します。私がグラミン銀行のことを知ったのは、1980年代の半ばでした。そのころは開発NGOに関わっていたからです。コミュニティづくり(国づくり)を考える上で、とても参考になるのではないかと思います。

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 私が子供のころ、家は雑貨商と不動産業を営む商店でした。店を大きくするにはお金が必要です。父は毎月まとまった金額を銀行に預金しつづけていました。どうしてそんなことをするのか父に聞くと、「信用を作るためだよ。お金を借りるには信用がいるからね。銀行はお金のある人にお金を貸すんだ」と父は答えました。
 銀行はお金がある人にお金を貸す。お金がない人にはお金を貸さない。幼い私にはこの理屈が腑に落ちませんでした。なのに、大人になって、いつしかこの理屈を常識として受け入れ、慣れ親しんでしまっています。
 この常識に挑戦したのが、ムハマド・ユヌスでした。『ムハマド・ユヌス自伝(上)(下)』(ムハマド・ユヌス&アラン・ジョリ著、猪熊弘子訳、ハヤカワノンフィクション文庫, 2015)はそんな彼の思想と行動を伝えてくれます。
 米国の大学で博士号を取り、故国バングラデシュに戻って大学の教職についたユヌスが目にしたのは、飢餓と貧困にあえぐおびただしい人々の現実でした。ユヌスは経済学の理論が、目の前の貧しい人々を救うのに何の役にも立たないことに無力感を覚えます。ユヌスは村に入り、村人たちの現実を知ることから始めます。そして、貧しい人々に少額の融資を行なう試みを始めます。これがやがてグラミン銀行の創設につながります。
 今日マイクロクレジットと呼ばれて世界に広まっているシステムを開発したヌユスの業績はすばらしいものですが、私がこの本を読んで感銘を受けたのは、その業績の底にある人間に対する洞察力、人間を信じる力です。具体的に二つのことを取り上げましょう。

 一つは、お金を借りる側の人たちの自立に関わっています。ユヌスは次のように言います。(注1

 私たちはゆっくりと、独自の貸付―回収メカニズムを作り上げた。(中略)私たちは、事業を成功させるための鍵は、借りる人々にグループを組んでもらうことであるとわかった。
 貧しい人々は一人だと、あらゆる種類の危険にさらされていると感じてしまう。だがグループの一員になることで、守られているという感覚を得られるのだ。個人として見ると、気まぐれで、態度がはっきりしない人もいる。しかし、グループの一員になれば、グループの支援が得られ、同時にグループからの圧力も受ける。
さまざまな仲間からの圧力を受けながら、グループの一人ひとりは、クレジット・プログラムのより大きな目標に向かって、仲間と同調して歩んでいけるのだ。
  (中略)
 グループの力学というのは重要だ。というのも、ローンが認められるためにはグループの全メンバーの賛成が必要であり、その仮定で、グループはローンに対する道徳的責任を感じるようになるからだ。だから、グループの中で問題に直面したメンバーが現れたら、そのグループは一丸となって、その人の問題を前向きに解決しようとするようになる。
  (中略)
 そして借り手のグループというのは、こちらでメンバーを決めて組んでやるのではなく、自分で探してきたメンバーと組むようにすることも決めた。そこで話し合いが行われれば、グループの連帯責任もより強くなるだろう。

 グラミン銀行からお金を借りるには、グループを組んでくれる人を探してこなければならない。こんな高いハードルを設けて大丈夫なのか、と思ってしまいます。しかしユヌスは安易にだれかれとなくクレジットを与えることはしません。ゆっくりと、このハードルを越えてグラミンに参加する人たちを育てていくのです。
 ヌユスは言います。「私たちは女性たちが自らグループを組織し、自らの手でローン計画をたてることこそ大切だと考えている。私たちは自覚を強めたり、リーダーシップを育てるというようなことが、クレジットを交付するよりも先に行なわれるべきだと思っている。」

 もう一つは、お金を貸す側、つまりグラミン銀行のスタッフがどのように村人の信頼を得るかに関わっています。ユヌスは、グラミンの職員は、「勤勉で献身的な銀行員」でなければならないと言います。その言葉だけ聞くと、がむしゃらに働く銀行マンを想像してしまいますが、ユヌスの発想はまったく違います。 
 まず、ある村にグラミン銀行の支店を出すことが決まると、その支店長となる人は、アソシエイト・マネージャー(新しい支店を設立する権限をもった訓練中のスタッフ)と一緒に、その村に行きます。しかし、二人のためのオフィスや泊まる場所があらかじめあるわけではありません。知り合いも紹介者もいません。二人は廃屋や学校の寮、地方議会の事務室などにすみかを見つけます。食事は自分たちで作り、村人から食事の提供はうけません。そして毎日その地域を何マイルも歩き回り、村人に話しかけ、グラミン銀行のシステムについて説明し、村人の疑問に答えます。
 最初のうち、村人たちはそんな二人が銀行の幹部だとは思いません。ところが、二人が修士号を持っている人物で、貧しい村に喜んで住み着き、地元のことを深く理解していることに次第に気づいていきます。そして、二人が個人の利益のためではなく、貧しい人々を助けるために来たのだと認めるようになります。(注2

 支店を出すことを急がないのです。支店を出す前に、その村にグラミンのスタッフが受け入れられること。そのために、勤勉で献身的な姿を見せること。そして村人たちとつながること。それが大切なのだというのがユヌスの信念です。
 人は人とのつながりの中で生きています。人とのつながりの中で、個としての責任があり、連帯することの意味があり、信頼が生まれます。それが社会を支えていく最も根源的な力なのだということを、教えられました。


注1 『ムハマド・ユヌス自伝(上)』230231ページ
注2 『ムハマド・ユヌス自伝(下)』3135ページ