『漫画 君たちはどう生きるか』(原作・吉野源三郎、漫画・羽賀翔一)の中から、『ギヴァー』に関連すると思った箇所を抜粋します。
●ものの見方について
52ページ: いや、君が大人になるとわかるけれど、こういう自分中心の考え方を抜けきっているという人は、広い世の中にも、実にまれなのだ。(中略)たいがいの人が、手前勝手な考え方におちいって、ものの真相がわからなくなり、自分に都合のよいことだけを見てゆこうとするものなんだ。
114ページ: 「あたりまえのこと」っていうものが曲者で・・・・・ひとつのわかりきったことを、どこまでも、どこまでも追いかけて考えてゆくと、ものごとの大事な「根っこ」の部分にぶるかることがあるんだ・・・・・
~ ギヴァーのコミュニティーも、日本社会も、「あたりまえのこと」だらけという感じがします。「根っこ」の部分を見ようとせず。
●真実の経験について
98ページ: 生まれつき目の見えない人には、赤とはどんな色か、なんとしても説明しようがない。それは、その人の目があいて、実際に赤い色を見たときに、はじめてわかることなんだ。――こういうことが、人生にはたくさんある。
たとえば、絵や彫刻や音楽の面白さなども、味わってはじめて知ることで、すぐれた芸術に接したことのない人にいくら説明したって、分からせることは到底出来はしない。
殊に、こういうものになると、ただ目や耳が普通に備わっているというだけでは足りなくて、それを味わうだけの、心の目、心の耳が開けなくてはならないんだ。
しかも、そういう心の目や心の耳が開けるということも、実際にすぐれた作品の接し、しみじみと心を打たれて、はじめてそうなるのだ。
まして、人間としてこの世に生きているということがどれだけ意味のあることなのか、それは、君が本当に人間らしく生きてみて、その間にしっくりと胸に感じとらなければならないことで、はたからは、どんな偉い人をつれてきたって、とても教えこめるものじゃあない。
103ページ: 世間には、他人の目に立派に見えるように、見えるようにと振る舞っている人が、ずいぶんある。そういう人は、自分がひとの目にどう映るかということを一番気にするようになって、本当の自分、ありのままの自分がどんなものかということを、つい、お留守にしてしまうものだ。
~ 実際に赤が見えたジョナスは行動を開始しました!
私たちは心の目や心の耳は開いているでしょうか?
学校や社会は、それらを実現するようにしているでしょうか?
「しみじみと心を打たれ」る体験をどれだけ提供できているでしょうか?
「本当の自分、ありのままの自分」を消す方向で機能している方のウェートの方がはるかに多くないでしょうか?
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