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2019年11月30日土曜日

審議会という茶番


「NHK中央放送番組審議会」のニュースをラジオで聞きました。
もちろん、はじめてではありません。
これまでに何回も聞いています。
「性懲りもなく、続けるな~」という印象しかありません。
これによって、いったいどういうメリットとデメリットがあるのか当事者たちは考えたことがあるのでしょうか?

実は、各省庁や自治体が行っている有識者(?)で構成される審議会や委員会も同じです。この種のものが役所は好きです。
自分たちが言う代わりに、第三者に代弁させれば「通りがいい」「反論が言いにくい」という論理だからです。
基本的には、その審議会や委員会の裏方というか担当部署のシナリオ通りに進みます。
そうでないと、担当部局にとっての審議会や委員会の意味がないというか、ありがたみがありませんから。
そうなると、担当部局にとって煙たい発言は出ないことを意味しますし、間違って出されてしまうと、それをもみ消すのに努力することになります。
しかし、そもそも審議会や委員会のメンバー自体、担当部局が選出するわけですから、予期しない発言をするような人は選ばれないことも意味します。

以上が、狭い意味での「当事者」★についてでした。
しかし、その審議会や委員会の結果を聞かされたり、結果の判断を押し付けられたりする聴衆や納税者はどうなのでしょうか?
ありがたく聞いたり、物言わず税金を納め続けたりする存在でいいのでしょうか?

この点についても、ジョナスのとったアクションから学ばされます。

審議会や委員会に関しては、ジョナスのコミュニティーの方が、まだマシな気がします。
少なくとも、建前のものは排除している気がします。(現行体制を維持するというレベルでは、同じかもしれませんが!)

個人レベルの行動と、集団レベルの制度については考え続け(そして、行動し)ないと、単に思考停止で同じことを繰り返すだけだったり、より良いものをつくり出す妨げになったりすることに手を貸しているにすぎません。
私たちは常に選択をもっていますし、事実、選択をしています。
「選択はない」や「選択などできない」と思い込む方が楽ですが・・・・それは暗に、現状維持を選択しているわけで・・・・


★NHK中央放送番組審議会では、「たくさんの」とは言えませんが、ある程度の番組については話し合われ、そして「いいコメント」や「(聞いていても)当たり障りのないコメント」が委員から発せられます。「当事者」の中には、それらの番組の制作にかかわっていた人も含まれます。褒められてうれしい場合はあるでしょうから、多少はやる気につながるとは思われます? しかし、さらによくするための発言が出てくることは考えにくいので、ここでも「これまでの路線でやればいい」ということになります。
 各学校で設けられつつある学校評議員会(理事会)や、各企業や組織の第三者評価委員会等も、基本的には同じ構造です。

2019年11月13日水曜日

『「与える人」こそ成功する時代』

 ギバーは、人に惜しみなく与える人。テイカーは、真っ先に自分の利益を優先させる人。
 『ギヴァー』と関係のあるところがあるのではないかと、読んでみました。(数字は、本のページ数です。)
 引用している箇所は、人が仕事をどうするか、人がどう人間関係を作るのかということですが、『ギヴァー』のテーマに大いに関係があるのではないでしょうか?

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10 自分がその仕事をせずにはおれないという“意義”がポイント。

「自分にとっての意義のあることをする」
「自分が楽しめることをする」

 この条件が満たされれば、ギバーは他人だけではなく、自分にも「与える」ことができる。自分が認識する「意義」のもとに、他者と自己が一体化するからだ。他者に対する共感と愛着が生まれる。こうなると、ギブはもはや犠牲ではない。何のことはない。真のギバーはギブすることによって他者のみならず、意義に向って仕事をする自分自身を助けているのである。だから自然とギブするという成り行きだ。
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 いかがでしたでしょうか?