★本ブログへのご意見・ご感想などは giverprojectjapan@gmail.com までどうぞ。


2010年8月31日火曜日

⑲著者とのやりとり

 この本を書いてくれたことへの感謝の手紙をローリーさんに書くと同時に(あるいは)、あなたが考えたことや抱いた疑問・質問などを実際に書いてみましょう。 
★実際に書かれた方はお送りください。本人に転送しますので。

 もし、この本を改善するためにアドバイスをもらえませんかという手紙をローリーさん本人からもらったらとしたら、どう答えますか。

2010年8月30日月曜日

⑱著者へのインタビュー

まず、著者になったつもりで、なぜこの本を執筆したのかを考えてみましょう。

その上で、著者にインタビューできるとしたら、どんなことを質問したいか考えてみましょう。

インタビューにはなりませんが、できたらぜひお送りください。著者に送って答えてもらいますから。


どうも、日本の学校ではまだいいインタビューをするためのスキルというのを、ちゃんと教えていないようです。ライフ・スキルの一つなのに。

★子どもを対象に限定しませんが、このテーマでいい本が出ていたら、ぜひ教えてください。

私のお薦めは、『テーマ・ワーク』(国際理解教育センター・発行)で、95ページに極めて簡潔に紹介されています。

2010年8月29日日曜日

⑰『ギヴァー』の紹介文

 もし、『ギヴァー』を読んで面白かった場合は、下の学年の子たちが『ギヴァー』を読みたくなるような、紹介文(書評)を書いて、実際に届けます。 (読んだ反応をもらえるようにも、努力します!?)

 書いた後に、アマゾン等に書かれている大人が書いた書評を見せて、自分が書いたものと似ている部分、違う部分の比較をしてみるといいかもしれません。


付け足し:

 『ギヴァー』が面白くなかった人は、不満な点をリストアップして、ぜひ送ってください。(それを改善する方法まで考えてくれたら、著者に送ります!!)

 『ギヴァー』を友だち、親、校長になぜ推薦したいのか(あるいは、したくないのか)を説明してみるというだけでも価値はあるかもしれません。

2010年8月28日土曜日

⑯難しい問題ついて考えてみる

・ジョナスの父をはじめ、ジョナスとギヴァー以外のコミュニティの人たちには「良心(善悪の観念)」はあると思いますか? 記憶なしでは善悪の観念をもつことはできないのでしょうか?

・安心できること と 選択できることの トレードオフについてはどうでしょうか?

・ジョナスのコミュニティの住民は(ギヴァーとジョナス以外は)、感情がありません。その状態を作り出すために使っている方法にはどんなものがあるでしょうか?  そんなことはいいことなんでしょうか?

・安楽死に対する、あなたの考えは?

2010年8月27日金曜日

⑮与えることと受け取ること

 ギヴァー、ジョナス、そしてゲイブリエルの3者の関係を振り返りながら、「与えること」と「受け取ること」の関係について考えます。

 つまり、「ギヴァー」と「レシーヴァー」に込められている意味を考える、ということです。

 いったい「与える」とはどういうことで、「受け取る」とはどういうことなのでしょうか?

2010年8月26日木曜日

⑭『ギヴァー』のテーマを話し合う

 『ギヴァー』を読んだ後に、①この本で扱われていたテーマにはどんなものがあるかを各自が考え、②互いが考えたテーマを3~5人のグループで紹介し合います。①と②を同じ時間内にするよりは、何日かおいてじっくり考える時間があった方がいいかもしれません。

 さらに、クラス全体で出したテーマのリストの中から、各自が一つずつ担当し、同じテーマを扱った本でいいのを親や他のクラスの先生や図書館の司書等に聞いて(あるいは、ネットで検索したりして)リストアップし、読みたそうなのがあったら実際に読んでみてはいかがでしょうか。

2010年8月25日水曜日

⑬象徴についての考察

「赤」は、何を象徴していると思いますか?

「自転車」は?

老年の家で、ジョナスがラリッサを入浴介助している光景から、著者が伝えようとしたものは何だと思いますか?

他に、象徴しているものはありますか?

2010年8月24日火曜日

⑫色と感情

 多様な色が含まれている色紙を用意し、順番に見せながら、それぞれの色が喚起する感情を書き出してもらいます。小グループになって、互いに書いたものを共有しあった上で、全体でなぜギヴァーのコミュニティには色をなくしてしまったのかを話し合います。

 色の感情については、『最高のプレゼンテーション』の138ページ(以下のリスト)が参考になります。(これは、西洋の観点から見た色と感情ですから、日本人にとっては若干異なる色と感情の組み合わせもあるかもしれません。納得のいく組み合わせを、ぜひ考えてみてください。)
そうなんです、プレゼンの時にも気を配る必要があるのです!!


●色のリスト

赤: 停止、警戒、情熱、戦争、暴力、人生、革命
黒: 死、重要、重力、夜、厳粛
緑: 成長、自然、若さ、健康、生、新しい人生、前進
白: 希望、真理、新しさ、新鮮、手つかず、無菌状態、清潔、純潔
オレンジ/黄色: 温かさ、幸せ、楽観主義、賢さ、注意
青: 献身、信頼、公平、正義、寛大、尊厳、安定性
紫: 精神性、王権、洗練さ、郷愁、富
茶色: 成熟、高潔さ、中立性、慎重さ

2010年8月23日月曜日

⑪記憶、記憶、記憶

 ギヴァーがジョナスに注ぎ込んだ記憶をリストアップした後で、自分がギヴァーだったら、どんな記憶をジョナスに注ぎ込みたいかを書き出します。

 その後で、4人一組のグループになって、5分間ずつリストの各項目に対して反応を書いて、順番に回していきます。15分経ったら、他の3人分の反応つきの記憶のリストが自分に戻ってきます。

2010年8月22日日曜日

⑩ジョナスの悩み

 『ギヴァー』の中でジョナスが抱えていた対外的な(周りの人たちとの)矛盾と、内面的な(自分の中にあった)矛盾について考えてリストアップし、それを互いに紹介し合います。

 そして、それらが自分たちの抱えている矛盾と似ている点と異なる点について考えてみるといいかもしれません。

2010年8月21日土曜日

⑨読み終わった後に...

 本を読んだ後に、各自で以下のことをし、その後にグループで、そして最後にはクラス全体で共有し合います。

① わかりにくい言葉や文章をリストアップする。
② 重要な出来事を選び出す。
③ 大切なモノを選ぶ。
④ 登場人物のうちの誰かについて、250字で書き出してみる。
⑤ 登場人物の中で友だちにしたい(あるいは、したくない)人を一人選び、その理由を述べてみる。

その他: 
・ 本の内容を、150字、400字、800字(のいずれか)でまとめてみる。
・ 友だちへの紹介文を書く。
・ 本とは異なる終わり方を書いてみる。
・ 映画にしたら受けることを説明する。(配役まで考えてみる)
・ もっともおもしろい(興奮した)出来事について話してみる。
・ 本から学んだことをリストアップする。

2010年8月20日金曜日

⑧ジョナスがコミュニティを飛び出さないとしたら...

 昨日のとは逆に、最初からジョナスがコミュニティを飛び出さないという前提だったら、この『ギヴァー』という小説は成立したかどうかを考えてみます。(19章ぐらいまでは、いまのままだとしたら、納得するような終わり方に持っていけるでしょうか?)

 長いストーリーを書くのは大変なのでアウトラインだけを考えて、紹介し合うといいでしょう。

2010年8月19日木曜日

⑦第24章を書いてみる

 読み終わった後に、ジョナスとゲイブリエルが「どこか」にたどり着いたと仮定して、最後の章を書いて、クラスで紹介し合います。

 文章を書く時間を確保するのが大変であれば、アウトラインだけを書いて紹介し合うのでもいいでしょう。

2010年8月18日水曜日

⑥大切なユーモアと遊び心

 ユーモアと遊び心は決定的に大切です。(ニック・ホーンビィの『いい人になる方法』が、それを確認させてくれました。)

 何をするにもです。
 書くとき(読むとき)もです。

 『ギヴァー』の中には、この要素はあったでしょうか? アッシャーが一人で担っていたのでしょうか?
 アガサ・クリスティの『春にして君を離れ』では、この要素はどこにあったでしょうか?

 『いい人になる方法』のニック・ホーンビィにあやかって、こんなことをしてみてはどうかと考えました。
 たとえば、親鸞★がコミュニティを脱出する前の日の夜遅く、ジョナス宅のジョナスの部屋のドアをノックしたとして、2人の会話を書いてみましょう、という課題です。 もちろん、真面目なやり取りでもかまいませんが、可能なら、ユーモアと遊び心を大切にしたやり取りにぜひ挑戦してみてください。

★ 別に「親鸞」にこだわる必要はありません。対象にとってなじみのある歴史上の人物であれば、誰でもOKです。

2010年8月17日火曜日

『ギヴァー』と関連のある本 38

 7月5日にアガサ・クリスティの『春にして君を離れ』を『ギヴァー』と関連のある本27として紹介しました。

 最近読んだニック・ホーンビィの『いい人になる方法』は、その『春にして君を離れ』の現代版というか(前者は2002年で、後者は1944年)、男性版というか、パロディ版です。従って、「友だちの友だちは、友だち」ということで、『ギヴァー』と関連ある内容、とさせていただきました。

 それにしても、こういう個人の内面を延々と追い続けるというのは、イギリス文学の特徴の一つなのですね!! ★日本人が書いた同種のものでいいのがあったら、ぜひ教えてください。

 ちなみに、ニック・ホーンビィは書いた本の数はまだ少ないですが(書き始めたのが、1990年代の半ばですから)、書くのがほとんど映画化されるぐらいにあたる本ばかりを書いている人のようです。

2010年8月16日月曜日

⑤私にとっての「完璧な社会」

 『ギヴァー』を読んだ後に、自分たちが納得する「完璧な社会」を考えてみます。

 まずは一人で考えた上で、小グループになってアイディアを紹介し合って、最終的にはグループが合意した「完璧な社会」の規則(あるいは、要素)を模造紙に書き出して(あるいは、パワーポイントを使って)発表し合います。

2010年8月15日日曜日

④『ギヴァー』のコミュニティと私たちの社会の比較

 『ギヴァー』の中で描かれているコミュニティと私たちの社会との比較をしてみるというのはどうでしょうか?
 一人でするよりも、数人のグループ活動として行った方がおもしろいでしょう。出し合った後に、各グループのプレゼンテーションを行ってもらいます。

 これをする教科や場面に応じて、道徳的なこと、仕事のこと、家族のことなどに焦点を絞ってもいいし、共通点ないし相違点に焦点を絞ってもいいかもしれません。

 プレゼンテーションの仕方も工夫ができるようにすると、同じようなのを何回も聞かされなくて済むし、相互の学びも豊かなものになります。

2010年8月14日土曜日

③ジョナスのコミュニティの食事

   『親鸞』の下の「殺生、ということ一つとってみても、人はほかの命を食することで生きている。肉食をさけることはよい。しかし、稲や麦には命がないのか。草にも、木にも、仏性があると比叡山でも教えているのではないか。牛にも、魚にも、鳥にも、そして粟や稗にも命があり、生きる本能がある。すべての命が平等だとすれば、わたしはそれを犯して生きざるを得ない悪人ではないか」(164ページ)を読んでいて思いついたことです。

 いったいジョナスやリリーたちは、毎日どんなものを食べていると思われますか。
 ジョナスたちが食べていた献立を考えてみる、というのはどうでしょうか?
 肉や魚は含まれていると思いますか?

 さらに考えると、私たちは「生きるために、食べる」「働くために、食べる」(あるいは、「食べるために、生きる」「食べるために、働く」)わけですが、いったいジョナスのコミュニティの人たちにとって、食べるとはどういう意味のある行為なのでしょうか?

2010年8月13日金曜日

親鸞 下

 ちょっと横道にそれます。  前回は、『親鸞』(五木寛之著)の上しか読んでいませんでしたが、やっと下を借りられて、読みました。
 前回のテーマは、「自分探し」でしたが(それは、下でも続いているのですが)、今回のテーマは「選択」のような気がします。

 仏教用語では「せんたく」ではなく、「せんちゃく」(より厳密には、浄土宗では「せんちゃく」で、真宗では「せんじゃく」)と読むようです。意味は、「一定の立場のもとに不要なものを捨て、必要なもの、正しいものを選び取ること」です。


 以下、『ギヴァー』と関連すると思ったところの引用です。

19 無戒であるということは、仏法の常識や世間の常識など、それらのすべてにとらわれず自由に生きることをいう。あらゆる習俗、行儀を無視して、約束ごとにしばられずに生きることじゃ。

 仏門に限らず、「とらわれずに自由に生きること」は難しいこと。しかし、大切なこと!


31 選択とは、みずからが選びとったということだけではなく、むこうから選びとられた、という事実も大事なのではないのか。

 なかなか後者の感覚を味わうことは少ないと思いますが...

222(271) 選択というのは、2つのなかからどちらかを選びだすことではない。それは片方を捨て、片方に身命をかけることで、魂が2つに引き裂かれる恐ろしい行為でもある。その引き裂かれた魂からしたたる血が、念仏なのではないのか。

 ここまで言われてしまうと...

216 ほんとうのことは、おそろしいこと

222 法然上人が自分に選択集の書写を許したということは、<巣立てよ。みずからの道を歩め>と、はげましてくださったのではないか

 この辺、ギヴァーがジョナスに記憶を注ぎ込むのにオーバーラップする部分が無きにしも非ずと、思ってしまいました。

206 叡山との関係を最後までなかなかきることができなかった法然上人

 これも、ジョナスとは異なる、ギヴァーのあり方とオーバーラップしてしまいました。
 逆に言えば、法然を超える存在になっていく親鸞(ギヴァーを超える存在になっていくジョナス)ということに?

275 善信時代の親鸞の(革命的ともいえる)説法の仕方が記述されている

 ひとことで言うと、一斉授業で教師が話し続けるアプローチから、生徒たちの声を聞き、必要に応じて答える(ライティング・ワークショップやリーディング・ワークショップの中でのカンファランスの)アプローチへの大転換です。
 無戒であるがゆえにできること?

2010年8月12日木曜日

②地図を描いてみる

 本を読んだ後に、コミュニティ(およびコミュニティの外の部分も含めて)の地図を描いてみます。ジョナスがコミュニティを脱出する時は、彼の頭の中にあったコミュニティおよびコミュニティの外の地図が大切だったはずです。
 描いたら、ぜひ出版社に送って、再版の時に利用してもらえるように提案しましょう。


応用: ポップアップを作って、近くの書店や図書館(学校や公立)に本と一緒においてもらうようにお願いしましょう。

   当然のことながら、地図やポップアップを作るためには、本をかなり読み込まなければいけませんから、単に読むよりは、深い読みになる可能性大です。

2010年8月11日水曜日

①ジョナスのコミュニティへの体験ツアー

 今日からは何回かにわたって、学校などで『ギヴァー』を読んでどんなことができるのかを紹介していきます。★

 さすがに530万部以上を売っているアメリカでは、学校の授業等でも頻繁に使われているようで、以下のようなサイトを含めて多数のサイトを見つけることができます。

http://www.lessonplanet.com/search?keywords=the+giver&search_type=related
http://www.mrcoward.com/slcusd/75.html
http://www.catherineshafer.com/giver.html
http://www.octc.org/forms/guides/GiverStudyGuidePages.pdf


 それでは、1回目の「ジョナスのコミュニティへの体験ツアー」です。

 ジョナスの住むコミュニティに観光客を誘致するためのパンフレットを作成するプロジェクトです。内容的に誤りがあってはいけないので、本をしっかり読む込むことが前提になります。

 観光客誘致のパンフではなく、コミュニティの生活を体験するためのツアーを募集するためのチラシづくりの方がおもしろいかもしれません。


★ 学校時代を通して、国語の教科書に載っている教材を読まされたり(解釈を押し付けられたり!!)、夏休みの読書感想文を書かさせれるのが大嫌いだった私にとっては、この企画自体、かなり考えました。せっかくの本が、こんなことを提案しては嫌いになってしまうのではないか、と。また、文学作品は、読んでそれで終わりでいいのではないか、と。

  あえて紹介することにしたのは、本の内容を深めてほしいという思いからです。授業等で使われる場合は、「これは、おもしろそう!」と思われるものだけをやってください。

  また、ここで紹介する方法は『ギヴァー』に限らず多くの作品を対象にしてもできるものがほとんどだからです。ブッククラブのように(この時、『ギヴァー』を選択したのは4人の生徒のみでした)、本の選択を提供して行えば、押し付けによる弊害は解消できるでしょう。

2010年8月10日火曜日

『ギヴァー』と関連のある本 37

 今日は、『ヴィジョン』(トム・ブラウン・ジュニア著)です。トム・ブラウンは、7歳の時にアパッチ族の古老ストーキング・ウルフ(=グランドファーザー)と出会い、10年間サバイバルやトラッキングなどの技術を学び、その後、自然と共に生きる道を教える学校をつくって教えています。★

30 教えること/学ぶことの本質 = 「コヨーテの教え」「コヨーテ先生の手法」

 教える立場の人は、この「コヨーテの教え」をマスターしない限り、効果的な学びは作り出せない状況が続くことはほぼ間違いないと思います。教科書では、当然無理ということになります。

93 グランドファーザーにとって、アウェアネスに対する深い心構えを教えることは非常に困難だった。現代社会の価値観や教育は、古代の道にそったアウェアネスの教えと相反するものだったからだ...グランドファーザーの最初の目的は、リックと私の生活のペースを落とすことにあった。私たちはまだ幼かったが、すでに、考える暇もないほど忙しい社会のリズムにはまり、間違った目標を追い求め、自分たちの行動を時計で決め、将来にだけ目を向けて生きていた。しかし、一瞬を生きる喜びを理解するようになると、急ぐのをやめ、天地創造のゆっくりとした鼓動に合わせるようになっていった。 

 『パパラギ』を思い出してしまいました。

96 「動物に触れることができて初めて、その動物のことが理解できるのだ」

  平凡かどうかにかかわらず、すべてのことに驚きが詰まっているし、新しい発見があるものだ。

  またグランドファーザーは、現代社会がそうするように名前などに頼ってはいけないと言った。

  名前をつけることによって神秘さを失わせる。そして、多くの場合、人々は名前を突き止めることで、それがどんなものか知ったつもりになってしまう。名前をつけたら行き止まりになり、命名した人はそれ以上学ぶものはないと思い違いをするのだ。

  私たちと同じように、すべては成長し、変わっていく。何かを通して私たちが変われば、そのことに対する私たちの理解だって変化する。人は、新しいことを経験するとき、あらゆる状況に対して柔軟に対応するのではなく、何かよくないことが起こるのではないかと決め付けてしまうことが往々にしてある。過去の経験から先入観を持つのではなく、純粋に何かを感じようとすれば、まったく違ったものを発見するはずだ。 

 この辺、加藤陽子さんが『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』の中で言わんとしていたことに通じると思いましたし、ギヴァーの記憶を受け継ぐことを通してジョナスが学んだことにも通じるような気がします。

110 たくさんいる「何もしない」批判家と、ほんの一握りしかいない行動家

 行動家は変化をもたらす人々で、批判したりしない。行動するのに忙しくて、批判する時間などないのだ。

  そういえば、日本は一億総評論家などとも言われていました。


111 「自分にとっての現実」を作り出す

  それは、行動することからしか作り出せないと思います。


120 論理的なものの考え方をやめたときに、本能は認識され、正しく解釈される。

  いまの論理的思考ブームはいったい何だ! ということになります。


そして第8章の「グランドファーザーと釣り人」は、さくらももこさんもいたく気に入って、『グランドファーザーとつり人 』という絵本にしたぐらいです。

200 グランドファーザーは水を味わったように、生涯を通して完全なる歓喜の域に達するまで全感覚をフルに使って何でも知ろうとした。彼は葉をやさしく撫でたり、花に触れたり、匂いを嗅ぐために粘土質の土を両手に取ったりしながら森を歩いていたものだ。何か小さな変化や違いはないかと、普通なら通り過ぎてしまうもっともありふれたものでもじっくりと観察するのだ。

 彼の人生はいつでも真新しく新鮮で、興奮するような冒険が詰まっていた。いつでも思いっきり遊ぶ子どものように、世界と自分の生きる道を探し求め、味見をし、触れ、匂いを嗅ぎ、耳を澄まし、そして見ようとしたのだ。彼にとって、この地球のすべての存在は敬愛するに値し、人生は絶え間ない感謝の祈りに満ち、そして、探求の旅はいつも至上の喜びのためにあった。私は日々をありのまま生きるグランドファーザーの姿を見て、どう生きるべきか、人生の本当の意味とは何かを学んだのだった。

 この部分を読んでいて、エリザベス・スピアの『ビーバー族のしるし』を思い出しました。アメリカ東北部の開拓時代にインディアン(アメリカ先住民)と出会った少年の物語です。(ケビン・コスナーの『ダンス・ウィズ・ウルブズ』に近い内容をもった本です。順番的には、スピアの本の方がずっと早いですが。)

 すでに東部開拓時代の人たちですら、遠ざかりつつあるグランドファーザーの生き方ですから、ましてや現代人にとっては、ほど遠いものを感じてしまいますが、「釣り人」はまさにその代表者として描かれています。


★ さくらももこさんも1週間体験入学したことがあるそうですが、まったくといっていいほど歯が立たなかったようです。歯が立たなかった理由の大半は言葉(英語)の問題だったようですが。
  それを本にしたのがあるのですが、そもそも本にすること自体、著者も、出版社も間違っていました。そういう判断を書く人や出版して本を出す出版社ができなくなっていることに、恐ろしさを感じます。

2010年8月9日月曜日

『ギヴァー』と関連のある本 36

 今日、紹介するのは加藤陽子著の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』です。

 去年の秋には図書館にリクエストを出したのですが、長~い待ちリストに載ったきりでなかなか読めませんでした。それが、ようやく借りられました。

 以下、『ギヴァー』と関連すると思われる点のメモです。

46 1930年代の日本と現代のアメリカ、1860年代のアメリカと1945年頃の日本。日本とアメリカの間には、意外な共通性がある。

   しかし、こういった共通性は、ある一定の視角から眺めていなければ見つけることができなかったわけです。最初の例でいえば、戦争の「かたち」という部分に気づけるかどうか。二番目の例でいえば、巨大な戦争の後には基本的な社会秩序の書きかえがなされる、とのルソーの真理に気づけるかどうか。歴史的なものの見方ができるかどうかという場合、こうした、歴史的なものの見方に気づけるかどうか、が問われているところになります。

   では、どうしたら、こうした視角、歴史的なものの見方ができるようになるでしょうか。この点こそが、歴史という学問のもっとも肝要な部分です。

47 歴史という学問は、分析をする主体である自分という人間自体が、その対象となる国家や社会のなかで呼吸をしつつ生きていかなければならない、そのような面倒な環境ですすめられます。となりますと、歴史的なものの見方というのは、いきおい、国家や社会のなかに生きる自分という人間が、たとえば、なぜ320万もの人が犠牲となる戦争を日本は行ってしまったのか、なぜ第一次世界大戦の悲惨さに学ぶことなく戦争は繰り返されたのだろうか、という「問い」に深く心を衝き動かされたときに初めて生ずるものなのだと思います。つまり、悩める人間が苦しんで発する「問い」の切実さによって導かれてくるものなのだと私には思えるのです。

  (しかし、中・高・大で扱われる歴史には、そういう「問い」が欠落したままが続いているようです。そのことが、少なくとも学校で歴史を学ぶことに意味を感じさせない大きな要因のようです。)

49 「歴史とは現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話」 E.H.カー

  (ここまでの歴史の捉え方と、『ギヴァー』の中で扱われている記憶とは、どのような関係で捉えればいいのかな? と考えてしまいます。)

70 アーネスト・メイが『歴史の教訓』の中でまとめた3つの命題:
① 外交政策の形成者は、歴史が教えたり予告したりしているという自ら信じているものの影響をよく受けるということ。
② 政策形成者は通常、歴史を誤用するということ。
③ 政策形成者は、そのつもりになれば、歴史を選択して用いることができる。

  (これでは、ギヴァーががんばっても、長老たちは勝手に解釈してしまう??? その時々の政策形成者たちと同じように。)

79 人類は本当にさまざまなことを考え考えしながらも、大きな災厄を避けられずにきたのだということを感じます。私たちには、いつもすべての情報が与えられるわけではありません。けれども、与えられた情報のなかで、必死に、過去の事例を広い範囲で思いだし、最も適切な事例を探しだし、歴史を選択して用いることができるようにしたいと切に思うのです。

  (ギヴァーに託されたことは、まさに「これ」??)

   歴史を学ぶということ、考えてゆくことは、私たちがこれからどのように生きて、なにを選択してゆくのか、その最も大きな力となるのではないでしょうか。

  (まさに、アクションをおこしたジョナス!!)

86 (一時期、田中正造にこっていた時があったのですが、足尾の鉱毒垂れ流しとイギリスのジャージン・マセソン商会が、これほど強い絆で結ばれていたとは知りませんでした!)

111 国家か個人かといったとき、自由主義的なバックボーンがないと、時代状況によって、人々は、国家のなすことすべてを是認してしまうのではないか、と第二次世界大戦が始まる直前の論文に書いた岡義武... (これって、いまでもみごとなぐらいに引き継がれている気がするのですが...)

2010年8月8日日曜日

竜馬 再び

 以前、 「竜馬や岩崎弥太郎は先が見えていた」と書きました。しかし、もっと先が見えていた人というか、実際に体験してしまった人がいました。同郷のジョン万次郎です。

 ジョン万次郎から見たら、竜馬も岩崎弥太郎も見えている範疇には入っていなかったかもしれません。

 その意味では、ギヴァーから注がれた記憶を通して、ジョナスはジョン万次郎レベルで見えるようになってしまった人と言えるかもしれません。★

 高知出身の山本一力さんが、いまジョン万次郎について書いているそうです。出版されるのが楽しみです。

  しかし、見えることと、その人がどんなアクションを起こすかは、まったく別物のようです。見えていた範囲は竜馬の方がジョン万次郎よりもはるかに狭かったかもしれませんが、竜馬はアクションの人でした。ジョナスがそうであったように。


★ 周りのほとんどが見えていないのに、自分だけが見えてしまっていることは果たして幸せなことなのか、不幸なのか、とも考えてしまいました。おそらく、そんな次元を超えたものなのかもしれません。個人の選択を超えたレベルのことなのかもしれませんから。

2010年8月7日土曜日

ギヴァーとトトロ

 ギヴァーの最後とトトロの最後が似ている、という話を、私の娘がし始めました。

 猫バスが出てくるあたりから、すでにあれは人間界の出来事ではないというのです。

 木の上からサツキとメイが、病院にいるお母さんのことを見ているのは、人間界にいないので、見ることしかできないと。そうでなければ、目に前に行って会っているはずだと。

 ちなみに、この解釈を作者の宮崎駿さんは否定しているようです。
 しかし、指摘した人は、猫バスが登場するあたりから、人物の影がなくなると言っているそうです。(私たちは残念ながら、確認していません。)

 あの有名な『となりのトトロ』にも面白い解釈があったのですね。一気に、ギヴァーと近い関係を感じてしまいました。

 そういわれてみれば、宮崎さんの作品の中にはスピリチュアル系のものが潜んでいる気もしてきました。宮崎さん自身にそういう志向があるのか、たまたま選んだ原作にあるのかは、わかりませんが。おそらく両方でしょう。

2010年8月6日金曜日

レイチェル・カーソン       =『ギヴァー』と関連のある本35

 『レイチェル』(エイミー・エアリク文、ウェンデル・マイナー絵)は、海と自然を愛したレイチェル・カーソンについての絵本です。

 それを訳した池本佐恵子さんが、「混迷の現代に育つ子どもたちへのメッセージ ~ 言葉の力、組織を持たないたったひとりの人間に秘められた力、そして何よりも、自分を信じ自分の心に忠実に生きることの大切さ ~ が輝いています」とこの絵本を紹介しています。

 『ギヴァー』と同じぐらいに元気になるメッセージを発信していると思ったので紹介しました。もちろん、レイチェル・カーソン自身が書いた本もお薦めです。

2010年8月5日木曜日

『ギヴァー』と関連のある本 34

 知り合いのFさんが、1Q84とギヴァーとの関連について書いてくれました。

 ギヴァーのコミュニティでは、社会にとって不要だったり不適応な存在は解放されますが、1Q84の世界でも、DVの加害者などが解放されていきます。どちらも解放という概念で、人の存在が別の世界へ移行していきます。

 また、生命を生み出すことが人間の愛ではなく、儀式や仕事で行われることについての警鐘も同様に感じられます。

 1Q84の中で、パシヴァ(知覚するもの)とレシヴァ(受け入れるもの)が「ギヴァー」におけるギヴァーとレシヴァーと同じ役割を持っているように思います。

 ギヴァー(注ぐもの)という概念が、人から人に与えるリレーではなく、光やシャワーのように注ぐものということに強く惹かれています。つまり、レシヴァーはモノを受け取るのではなく、浴びるというイメージにレシヴァーの主体性があると考えます。

 レシヴァー(記憶の器)は、記憶ばかりでなく、知覚する者(パシヴァ)でもあるのではないでしょうか。

 1Q84の中では、神の意思か邪悪なものかは混沌としていますが、真実に向かおうという力を与えてくれます。

 人が人であるために必要なものは?

 表現は違うけれど、読者に問いかける方向は関連しているように思います。

2010年8月4日水曜日

『ギヴァー』と関連のある本 33

 Mさんがもう一つ送ってくれました。『100万回生きたねこ』(佐野洋子・作)との関連です。


100万回も生きて死んで生まれ変わってきた猫が

最後に 本当に安らかに死を迎える

100万回 愛されて 満足しなくて生まれ変わってきた猫が

自分以外の存在 奧さん や子供達 を 愛することで

もう死んでしまった奧さんの死を悲しむことで

そして 子供達の 幸せを願うことで

自分は もう 生まれてこない

きっと 安心して もう 生まれてくる必要が なくなった



悲しい 死ではなく

安心した 死

卒業に近い そういう 死

を迎えた気がします。


ギヴァーでは ジョナスが

ガブリエルに記憶を与え

あの共同体では 死を宣告された ガブリエルの生を願い

自分たちの 自然の 危険や未知のことに溢れた

「本当の」生を選んだ


そう言えば 100万回生きたねこ も

最初は 王様の猫だったり

サーカスの猫だったり

富や名声のような 一見 良さそうなものに囲まれた生活もしているのだが

最後は 自分のために生きる 野良猫に なって のびのびと 自分らしく 本当の「生」を生きる


releaseされて 本物の 「生」を味わう そんなジョナスと似ているかも・・・

2010年8月3日火曜日

ローリーさんへの質問と返事

Mさんはローリーさん宛の質問も送ってくれました。
それに対するローリーさんからの返事と一緒に掲載します。(太字がローリーさん)

I would like to ask the author as follows;

What is "Life" for you?

I felt the life of Giver is a real one, but I couldn't feel that the life of others are real.
Jonas began to live real life after he met the Giver.
And I felt the life of us who live in this modern society (especially those who live in
the developed society) are losing reality in a mean.
It began to be something which similar to the life of "Others" in the book of "the Giver."

I think "real life" is one which includes emotions and passions. The community of "The Giver" had lost thier capacity to feel deeply and to care about other individuals.

Our society is safe, and controled and we try to be away of "Risks."
But at the same time, we are getting away from the Reality of life.
I think the life lose something important
by which we can feel we are living!!
I am not sure what they are.

But I think they are many young children who live in a virtual life.
I think the author warn that we lose something in our life
which are shown as a colorless life in the book.

Yes, this is true. As author I wanted to teach the importance of humans caring more, and doing more, for one another; and that the choices and compromises we make for our own safety and comfort are important ones and should not be taken lightly.


With best wishes.
Lois Lowry

(上のMさんの質問とローリーさんの回答の、Mさん自身による日本語訳)

次のことについて 伺いたいと思います。

ローリーさんにとって、”いのち”とは何ですか? 

私は、ジョナスの生命は現実味がある本物だという感じがしたのですが、他の登場人物の生命は、”リアル”な気がしませんでした。
ジョナスは、ギヴァーに出会った後、本物の人生を歩み始めたのだと思いました。
そしてまた、私はこんな風にも感じました。現代の私たち(特に先進国やそういう社会で生きている人々)の生活はある意味、現実味を失いつつあるのではないかと。
まるで 、それは 「ギヴァー」という著書の中の「他の人たち」の人生に似通ってきているような感じがしたのです。

私は、本物の人生とは感情や情熱を伴う者だと考えます。「ギヴァー」の共同体は、深く物事を感じたり、他の人々のことを気遣ったりする能力を失ってしまったのです。

私たちの社会は安全で管理されていて、我々は”危険”を避けようとしています。
でも、それと同時に(共に)、私たちは人生の現実そのものからも遠ざかっているような気がするのです。
私たちの生活は、何か大切なものを失っていると思うのです---私たちが「生きている!」と実感できる何かを。
私には、それが何かは、はっきりとは分からないのですが。
だけど、私は今日、バーチャルな世界を生きている子供達がたくさんいるように感じるのです。

私は、著者が、私たちの生活を色のない世界として本の中で描くことによって 私たちが人生の中で何かを失っているということを警告しているのではないかと思うのです。

その通りです。私は著者として、人がお互いにもっとお互いのことを気にかけ、お互いのために何かをすることの大切さを示したかったのです。そしてまた、私たち自身の安全と心地よさのためにする選択や妥協(歩み寄り)というものも決して軽く扱われるべきではないということを、伝えたかったのです。

ご多幸を願って
ルイス ローリー

2010年8月2日月曜日

続・『ギヴァー』というタイトル

   『ギヴァー』のタイトルに関連したメールをMさんからいただきましたので、そのまま下に貼り付けます。(ですから、ちょっと長いです。)

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GIVER とRECEIVER の人生は 「生」そして 「死」があると思うけれど

あの本の中の 他の人たちの人生は 生の実感が 希薄な バーチャルな 実態の無い 人生のような気がする

思えば 現代の先進国の生活は いろいろ 管理されて 安全になってきていて 


それに伴い 生の実感が薄いものになっているような 気がする


先進国の日本では毎年3万人が自殺し

発展途上国では 自殺なんてする人は あまりいないという

日本では 交通事故で毎年1万人死亡し

関西大震災では6000人亡くなって 大災害というのに

自殺が3万?

これって どういうこと?


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生きるということと死ぬということに関して

私は、死と言うことに関して

40を超えた今

こんな考えを持っています。


”死”ということは、自分というものを失うこと。

自分が一番大事な、そんな間は

自分の死が 全てを失うようで怖い


でも、もしそうでない状態があるとしたら

それは 自分より大切な存在が この世に出来たとき



最初 人間は 自分を一番愛して 生まれてくると思います。

人より 自分が大事

自分が 幸せになりたいし

自分がおいしいものを食べたいし



でも、自分より大切な存在が出来たとき

その時 死は ずっと受け入れやすくなり

穏やかにバトンタッチしていけると思います。



それが 自分の血を分けた子供であったり

家族であったり



最近講演を聴いて感動したアフガンで水路を掘り続ける日本人医師

彼は もっと広く 自分の大切な存在を語るだろう

海外の人々の幸せを願って 水路を造って

そこに住む人々のために骨身を惜しまず尽くす人

彼は言った もうこの活動を(治安が悪くなって)できなくなるかもしれない

だから、今 少しでも 多くの人たちに水が送れるように 

突貫工事で できるだけ やる



協力隊で 海外で ボランティア活動をしている人たちが

世界の人たちの 幸せを願うとき 彼らは 自分たちが愛する人を 

広く 思い浮かべることだろう



私は 自分の子供が生まれたとき

とっても 大事な存在が出来た


生まれたときは すごい顔をしていた

チアノーゼで 青黒く

実の弟は 埴輪みたいな顔と 皆が気にして言えなかった本当の感想を言った

でも 私は 生きていてくれて嬉しかった



病気で 産めないと言われていた

自分の(膵臓のポリープ)の経過観察のため3ヶ月おきに

CTを受けなくてはならなかった

胃腸科の担当医には 婦人科へ行って相談してきなさいと言われた



婦人科では 子供はまた 産める

5ヶ月になる前に おろす必要があると言われた



6ヶ月経って 婦人科へ行った・・・



今 元気に 生活している

びっくりするくらい 健康で 小学校一年生になった



私の方は、 彼が生まれて 一緒に退院する日に

一応検査してもらったら ポリープが大きくなっていたので

2ヶ月後に 手術することになった



手術してみたら 良性だった 二人とも 大丈夫だった



病気の身体から 元気な身体が生まれたら 儲けもんだと思った

これがロボットなら 新品が 出てくるなんて あり得ない

人間ってすごいな



子供のおかげで 育児休暇中に 全てが 終わり



今 こうして 生きて 働いている



あの時 自分が死んでしまうかも知れないと思ったけれど

子供が 生きていてくれたらいいなと 思った



教師をしていて たくさんの子供達と関われるのは 

幸せなこと



彼らに 自分の思いや何かを 託しているような気もする

感動したこと 大切に思っていること 

広い視野を持って 生きていって欲しいこと



国際青年の村というイベントを通して

世界の人々に出会った

すごい感動だった

伝えたいこと

自分が感動したこと



giverの気持ち

giverとなって 他の人に 命や 思いを 託していったら


いや 受け継いでくれなくても

大切な存在が生きていてくれたら



自分は 1人だけの時よりも

ずっと 安心して この世に お別れが出来るような気がする



自分よりも大切なものが この世に いること



それが 死を超える 鍵かなと



そんなことを 考えている



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だから 

GIVER 



受ける側ではなく giverが

本の題になっているのは ずっと 不思議だったけれど



giverが 苦しい記憶を受け継ぐのは 辛いと思いながらも

この 人生を 生身のまま 本物 (いいことも悪いことも)

託していく のは



その存在が 生きていくのを 



そのまま 受け入れている

そして その存在の 幸も不幸も含めた 生きるという 過程を

受け入れている



そして

自分の生も 死も 実態のある 本物の生と死を

受け入れている

この人生を 歩んでいる



そういうことなのかもしれない


そんな風に 思っている

2010年8月1日日曜日

ローズマリーの存在

 ローズマリーは、ジョナスの前にレシーヴァーに選ばれた人(少女)でした。

 ギヴァー以外のコミュニティの住民にとって、ローズマリーは「名前は口にしてはいけないし、その名前をニュー・チャイルドに与えてもいけない」(94ページ)存在です。

 口にしてはいけないとは、最大級の不名誉を意味するのです。

 してはいけないことをして、解放された者に与えられる屈辱です。

 でも、ジョナスの両親も含めて一般の人にとって、「それきり彼女の姿を見ていないんだ」でお茶を濁す存在でもあります。(94ページ)


 しかしギヴァーにとって、ローズマリーはかけがえのない存在です。

 「ここでの仕事が完了したら、娘といっしょにいてやりたいんだよ」(228ページ)と言うぐらいの。

 ローズマリーは、ギヴァーから孤独感、喪失感、貧困、飢餓、恐怖など様々な苦しみの記憶を注がれたことで、自分から解放を申請し、そして自分自身で注射をして死にました。(198、199、212ページ) そのことが、ジョナスの規則に「解放の申請をしてはならない」(96ページ)という項目が含まれる理由になっています。


 ギヴァーがジョナスに言った「娘といっしょにいてやりたいんだよ」とはどういう意味でしょうか?

 この辺のことは、昨日紹介したリチャード・ポール・エヴァンズの『クリスマス・ボックス』の続編である『天使がくれた時計』や『最後の手紙』などと似ているかなと思ったりしましたがどうでしょうか?