たまたまある本を読んでいたら、クリティカル・シンキングを以下のように定義しているのを見つけました。
“Critical thinking is reasonable, reflective thinking that is focused on deciding what to believe or do.” (原典:Evaluating Critical Thinking, by S.P. Norris & R.H. Ennis, p.5)
訳すと、「クリティカル・シンキングは、何かを信じたり何かの行動を起こしたりする際の理性的で、熟考を伴った思考のことである」という感じになります。
この練習は、学校にいるときはもちろんですが、社会に出てからもほとんどやらないのが、日本の大きな特徴ではないでしょうか?★
常に習慣がものを言ったり、誰か他の人(権威のある人)が考えてくれるもの/正解を与えてくれるものという社会であり続けているような気がします。
ジョナスは、短いギヴァーの見習い期間に練習をし、そして実践できていたでしょうか?
ちなみに、上の定義には、「批判的」というニュアンスは、どこにも含まれていません。
★ 「するしない」ではなく、程度の違いかもしれません。人が生きていくには、自動的にしていることですから。
しかし、教育の柱としてこれがまったくと言っていいほど掲げられていないことは、「クリティカル・シンキングを身につけてもらっては困ると思っている人たちがいるのでは」と勘ぐりたくなってしまいます。
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