ひさしぶりの『ギヴァー』と関連のある本です。今回は、同じ著書の2冊。
いま翻訳している本に、「私たちが学校でしていることは「中世の暗黒時代」を維持するお先棒を担いでいることだ。それに代わって、しないといけないのは多様な分野に熱烈な興味を抱いて探究し、そして表現するルネンサンスの学びを実現ことだ。私たちはその選択肢を提供されているにもかかわらず、前者を選択してしまっている」というニュアンスのことが書いてあるのです。
ウ~ン、まさに。
日本の場合は、「中世の暗黒時代」を維持するお先棒を担いでいるという発想自体もてる人はいったいどのくらいいるだろうな~、とも思ってしまいました。
そこで、私が好きな(ほぼ全部読んでいる)塩野七生さんの、特に『ルネサンスとは何であったのか』を読み直してみました。おかげで、前回は読めていなかった多くのことが読める(気づける)ようにもなりました。
彼女流の言葉で言うと、「見たい、知りたい、わかりたいという欲望の爆発」がルネサンス。私たちが、どちらを選択してしまっているのか、明らかです。
その後、20冊ほどルネサンス関連の本を読んで、再び、前に読んだことのあった塩野七生さんの『わが友マキアヴェッリ』を読み直しました。こちらも、前回は気づけなかったことが、たくさん読み取れました。
20冊ほど読んだ中に、会田雄次、渡辺一夫、松田智雄らが書いた『ルネサンス』(中公クラシックス)も含まれていて、その中で扱われていたのがマキアヴェリ、エラスムスとトマス・モア、ルターの4人でした。
また、ちょっと古くなります(内容的には、そうは感じませんでした!)が、1978~79年に出版された平凡社の『世界を創った人びと』シリーズ20巻に選ばれている20人のうちの10人もが、ルネサンス時代の人たちなのです。この中に、マキアヴェッリは含まれていませんでしたが。
基本的に、マキアヴェッリ=フィレンツェなのですが、そのフィレンツェという都市国家は、どうも今の日本のような気がしてなりませんでした。もちろん、イコール『ギヴァー』のコミュニティです。だからこそ、ジョナスは脱出しました。「内科ではどうしようもなくて、外科手術の必要性を感じて」
ルネサンス発祥の地であるフィレンツェがいち早く崩壊した理由は、外科手術が必要であったにもかかわらず、長年内科でごまかしつづけたからでした。
可能なら、今度の選挙の投票前に読まれることをぜひおすすめします。
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