『ウォルデン』の中にも、飼いならす・飼いならされるが散りばめられているようです。
「わたしはいつも、人間が家畜のもちぬしであるよりも家畜の方が人間の主人であり、家畜の方がずっとより自由であると考えている」
人間の道具が人間を支配しているという発言が、いろんな形で繰り返されている。
「人はその道具の道具になってしまった」
「われわれが鉄道に乗るのではない。鉄道がわれわれのうえに乗るのだ」
そして、こんなふうにも書いていたそうです。
「われわれはメイン州からテキサス州に電信を架設しようと大いに急いでいる。けれどもメインとテキサスとは通信すべき何の重要事ももたないかもしれない。(中略)われわれは大西洋の底をうがって旧世界を数週間だけ新世界に近づけようと躍起になっている。しかし、ゾウのようなアメリカ人の耳に入るニュースは、どうでもいいようなアデレード王女が百日咳にかかったということかもしれない」
ここに述べられていることと、Eメールや携帯電話は同じようなものです。私は携帯電話があってもEメールがあっても、中毒になるに違いないと思います。中毒向きの性質ですから。
以上は、『日本文化へのまなざし ~ 司馬遼太郎記念講演会より』の中で、エドワード・サイデンステッカーさんが書いていることでした(102~9ページ)。
★ 『森の生活』 =『ウォルデン』読まなくっちゃ!! これまで何回か、日本語訳に挑戦しましたが、ことごとく挫折してしまったので、今度は原書で挑戦してみようと思います。
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