『星の王子さま』のハイライトの一つは、キツネの発言の「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」ですが、この前後の王子様とキツネのやりとりのテーマは、「飼いならす」でした(21章)。過去5~6回の犬をテーマにしたブック・プロジェクトのテーマの。
しかし、日本語版の翻訳は、子どもを意識し(すぎ)ているのか、原語とは違う形で訳されています。(いいことなのか、悪いことなのか??? 訳文としては、いいと捉えるべきでしょうか? それも、主な読者を子どもたちに設定したときは? しかし、大人も読者に含めると・・・?)
キツネは「あんたが、おれを飼いならすと、おれたちは、もう、おたがいに、はなれちゃいられなくなるよ。あんなは、おれにとって、この世でたったひとりのひとになるし、おれは、あんなにとって、かけがえのないものになるんだよ」と言いました。
そしてこの後は、訳者の内藤濯さん、「飼いならす」をほとんど「仲良くなる」や「友だちになる」と訳します。
しかし、キツネは仲良くや友だちのレベルでは捉えていません。そして、こう言います。
「自分のものにしてしまったこと(本当は、「飼いならしてしまったもの」?)でなけりゃ、なんにもわかりゃしないよ。人間ってやつぁ、いまじゃ、もうなにもわかるひまがないんだ。あきんどの店で、できあいの品物を買ってるんだがね。友だちをうりものにしているあきんどなんて、ありゃしないんだから、人間のやつ、いまじゃ、友だちなんかもってやしないんだ。あんたが友だちがほしいんなら、おれと仲よくするんだな(本当は、飼いならすんだな、です)」
そして、この関係は、バラと王子さまとの関係にも言えると。
ウ~ン、「飼いならす」と「友だちに(仲良く)なる」との関係というか、違い、わかりましたか??
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