この本は、山浦玄嗣さんがケセン語で聖書を訳しなおしたものです。
単にケセン語という日本語の中の一つの方言で訳したのではなく、ラテン語やギリシャ語の語源と日本語の意味も踏まえて、より本来の意味に近づける努力をしたものなので、スーと入ってくる訳になっています。
その中からギヴァーがらみで、紹介します。(私は、キリスト教徒ではないし、聖書の内容にも、今のところは興味がありませんから。)
一つ目は、言葉についてです。
ギヴァーのコミュニティも、画一化の極地にあったようなところですから、当然のことながら、一つの言葉しかありませんでした。
今回、山浦さんがしてみせてくれたように、日本語だけの聖書ではわかったようでわからない部分というか、誤解や誤訳すら結構あるということがわかり、ケセン語という日本の中に存在するもう一つの言葉で考え直すことで、とてもわかりやすい文章が出来上がることもあるわけです。
日本語は一つという錯覚は、とても危険なんだと思いました。
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