数日前に、http://thegiverisreborn.blogspot.com/2020/12/blog-post_30.htmlで、行きすぎた資本主義を紹介しました(実質の内容は、それへのオルターナティブとしての「コモン」の可能性と、その難しさについて書きましたが)。
と同時に、ここしばらくの政治のあり方を見ていると、「見せかけの民主主義」を演じているとしか思えません。
国政に関わる人たちも、都道府県政に関わる人たちも、壊れたテープレコーダーのレベルのことしか言えません。(コロナに関しては、特にひどいです! リーダーシップの「リ」の字も感じられません。)
じゃ、一番身近な基礎自治体の政治家たちは何をしているかというと、まったく見えませんし、消えてなくなっている感すらします。(自分たちに「火の粉」が飛んでこないように隠れているのでしょう!)
危機の時期にこそ存在感を示すのが、本当のリーダーなのに(そんな人は、どこを向いても見当たりません)。
この見せかけの民主主義(資本主義も、いまは実態とかけ離れて株価も大幅に高値を付けていますから、いつ暴落するのやら、です! 従って、「行きすぎ」ではなく、こちらも「見せかけ」と言ったほうが当たっていると思います)と「入れ子状態」になっているもの一つが、「見せかけの教育」です。 別な言葉でいうと、「ごっこ」ということになります。
両方とも、がんばることが当たり前です。「投票ごっこ」と同じで、「正解あてっこゲーム」や「入試ごっこ」が最大の山場になっています。
本当に大事なことは置き去りにしたまま(教育の場合は、「学び」を置き去りにしたまま、数日後には忘れることが運命づけられているテストの点数がすべてです。政治の場合は、投票数がすべてです)。
両者の共通点はこのようにあげていくと、切りがないというか、たくさんでてきます!
https://twitter.com/1192j1ng0r0296/status/1312113733095706624 ということも、当たり前のように起こり続けています!
これらを本質レベルで変えていこうという人が増えないと、「ごっこ遊び」は確実に続くことを意味します。
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