先日、NHKのラジオを聞いていたら、「コロナ後へ ポスト資本主義を考える」というタイトルで斎藤幸平さん(大阪市立大学)へのインタビューをしていました。
そこで彼が批判する(行きすぎた)資本主義に対するオルターナティブとして提示していたのは「コモン」への期待です。共有財産というか、共有された仕組みという意味です。(これは、司馬遼太郎さんがかなりこだわっていた概念でもあります! 特に、土地に対して。)それを土地だけでなく、多くの領域に広げていこうという考え方です。要するに、コモニズム/コミュニズムということになります。それを革命ではなく、領域・分野別に徐々に広げていこうという提案です。
これを実現するためには、一人ひとりの市民というか、消費者が「未来を作る当事者になること」を意味します。残念ながら、そういう方法を今の日本の学校では(社会でも?)教えてくれていません!★
それらを可能にするための本を、来年前半に数点出すべく準備をしています(タイトルは、いずれも仮題です!)。
・『私にも言いたいことがあります!』
・『歴史をする ~ 生徒をいかす教え方・学び方とその評価』
・『社会科ワークショップ ~ 自立した学び手を育てる教え方・学び方』
・『プロジェクト学習の教え方』
・『デザイン思考の教え方・学び方』
・『本をつくる子どもたち
〜 主体性、知性、社会性を引き出す言語教育』
などです★★。
ある意味で、学校・教室や授業の中で日々行われていることは、社会の縮図です。社会で「従順・服従・忖度」が横行していれば、当然、学校・教室や授業の中でもその練習が日々行われていることを意味します。そこから巣立っていった人が官僚や企業マンの社会人となって、それを実践し続けます。両者は「入れ子状態」になっています。
コモン的なアプローチを志向する際のもう一つのポイントは、「コモンズ(共有地)の悲劇」をどう阻止できるかという大きな問題です。共産主義に走った国々は、これに失敗したことが、彼らも資本主義に逆戻りせざるを得なかった(走らせた)最大の要因と言えます。それは、私たちがもっている「どうしようもない」とまで言えるかもしれない「いい加減さ」というか、「自分だけがよければ」という姿勢というか、真のレベルでのコミュニケーションの難しさ等をはらんだ問題と言えます。確実に、斎藤幸平さんが提唱する「コモン」の追求の際に遭遇する最大の問題になることは、はじめる前から分かっていることです!
この問題を乗り越える方法を提供できた人は、これまでの人類の歴史の中で、誰かいたでしょうか? もしご存知なら、ぜひ教えてください。
ひょっとしたら、私は『ギヴァー』の中にその解答があるかもしれないと思っています。
最後になりましたが、私は斎藤幸平さんの『人新世の「資本論」』本は読んでいません。(おそらく、読む選択もしないでしょう!)一番参考になった(共鳴した?)書評は、アマゾンの☆しか付けなかったLess Than Usefulさんのものでした。
★ここでも、資本主義という枠組の中で「いい消費者」になるための教育しか行われていない、と言えます。この点に興味のある方には、『あなたの授業が子どもと世界を変える』と『教育のプロがすすめるイノベーション』がおすすめです。前者の中には、「生徒は誰もがつくり手 ― 消費することから、つくり出すことへの転換」や「もしストーリーが自分のものなら、その学びは学習者をエンパワーする」などの章が設けられています。
★★歴史や社会科以外の教科では、すでに『だれもが科学者になれる!』『教科書では学べない数学的思考』『イン・ザ・ミドル』をはじめhttps://sites.google.com/site/writingworkshopjp/teachers/osusumeで紹介している本(こちらは、主に国語)を通して、主体的/自立的に考えて行動できる教え方・学び方を提供しています。
「コモンズの悲劇」の典型例:
返信削除https://news.yahoo.co.jp/articles/032c0b414eae9593b28c7c5e50355cecbe49eb9d