海外のストリート・ピアノ(『駅ピアノ』、『空港ピアノ』、『街角ピアノ』)は、どれも様になっています。日本では、同じようにならないだろうと思っていたら、挑戦した例があるそうです。https://news.yahoo.co.jp/articles/481b87e9632d7b20ad0ccad0060c4d56095e7b33
いったい何が違うのか?
公共スペースの捉え方、そこでの振舞い方、そこでのコミュニケーション(関係)の取り方などの違いです。
なぜ、今そのことを書く気になったかというと、先週、車や路上でマイクをがなり立てる選挙があったからです。これも、完全に公共空間の使い方を知らない表れです。
常人であれば、ああいうやり方はおかしいと思えますが、それをやり続ける(マイクを大声を出す)人たちは「異常」なので(あるいは、その期間だけは、「何でもあり」と錯覚しているのか)人の迷惑を考えずに、やりたい放題です。(お騒がせして申し訳ありませんが、という人もなかにはいますが、言い続けながら、やめないということは、言わないのと同じです! 他の方法を思いつかないので、やり続けます、と宣言しています。)
この選挙でがなり立てることが許されること/やめられないことと、ストリート・ピアノが機能しないことは、私たちが公共スペースの使い方という観点で問題を抱えているだけでなく、コミュニケーションの取り方(人間関係の築き方)でも問題を抱えていることを表しています。そんな状態で、世の中よくなっていくでしょうか?
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