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2011年11月28日月曜日

トライポッド と ギヴァー

娘がトライボッドのシリーズを読んで、感想を書いてくれました。

トライポッドは設定も面白い。ギヴァーと同じく未来の設定で争いもない平和な世界、全てをコントロールされた世界が舞台だ。
違うのは、トライポッドの世界では記憶を受け継ぐ者がいないらしく、過去に繁栄した都市のことや文明についてはほぼ解明されていない。電車などの存在も忘れ去られている。
そして、機械によって自由な心を奪われてしまうということは、自分で幸せや感動を感じられず、全て受け身と服従するということになる。。。それに誰も疑問を抱かない。。。

あくまで人がコントロールするコミュニティが舞台のギヴァーよりも、トライポッドの機械(マスター)にコントロールされた舞台の方がパソコンや携帯などの機械が溢れてきた世の中の現状から現実味がある気もする。

人がコントロールするコミュニティの場合、戦争や争いを無くすのは本当に困難な事だと思う。

ブータンのように利他の精神で他人の幸せが自分の幸せと思える国民性が育まれて初めて幸福率97%の国になれる。それが人口の多い、人種、宗教が入り交じった国々では、善悪が分かれているため必ず「間違い」とされることが生まれてしまう。

ジョナスの世界ではどうやって人が人をコントロール出来るようになったんだろう?

トライポッドの場合は、ウィルを含めたまだ頭の輪をはめていない一部の自由人たちが残ったのも凄いと思う。重力まで変えれる技術を持っているのには驚いた。そういうことを考えると、話は逸れるけど地球のバランスは本当に神秘的。重力も酸素も全て当たり前に存在するけどそれを感じない程快適。

1冊、2冊と読み終えて、3冊目でどう機械と戦って地球制服を免れるのか続きが気になる!

2011年11月26日土曜日

『ギヴァー』と関連のある本 75

最近読んだ本、『群れのルール ~ 群衆の叡智を賢く活用する方法』ピーター・ミラー著のメモです。
 筆者は、有名な雑誌『ナショナル・ジオグラフィック』の編集者。
 アリ、ミツバチ、魚、鳥などの集団行動と人間の集団行動を比較してくれています。
 というか、私たちはもっとそれらから学べることがあるんじゃないか! と主張しています。
 太字は、この本の主要テーマです。

 私は、本を通じて『ギヴァー』のコミュニティや、私たちの社会との関連を感じましたが、とくに最後の277ページ以降はとても大切だと思いました。もちろん、ジョナスが行動で示してくれたことではあるのですが。


20 アリ、ミツバチ、ニシンなどの集団はリーダーからの指示もなく、難しい問題を解決していく = 自己組織化
21 自己組織化の3つのメカニズム: ①分権的統制、②分散型の問題解決、③多数の相互作用 ~ この3つを足し合わせると、群れのメンバーが誰の指示も受けなくても、シンプルなルールに従って意味のある集団行動をとることができる。
      ↓
22 人間のビーチでの振舞い

51~6 ハチの家探し  意思決定における情報の多様性の大切さ
61 多様性は能力に勝る!! → 95ページ
64 多様性、独立性、異なる視点の融合。いずれも聞き覚えのある原理だろう。まさに我々がミツバチから学んだことだ。知識の多様性を確保する。友好的なアイディア競争を促す。選択肢を狭めるための有効なメカニズムを用いる。ミツバチにとって賢明といえる行動は、人間にとっても同じなのだ。

72 集団による間違いの多くは、結論を急ぎすぎることに起因する。みんなで思いつく限りの選択肢をあげてみる前に、ある選択肢を拙速に選ぶと、残った時間はそれを正当化するための根拠を探すことに費やされてしまうのだ。→ アービング・ジャニスが提唱した「グループシンク(集団浅慮)」

89 ボーイング社の例: 実際に支配していたのは、公式な役割分担ではなく、非公式な仲間意識や忠誠心だった。

95 3人いれば、どんな能力を持った一人の能力よりも、知識や問題解決能力の多様性が確保できる!

98~112 ニューイングランドのタウンミーティングの例 = 住民全員参加型(とは言っても実際に参加した者のみ)の意思決定を実践
107 ロバート議事規則 = ①知識の多様性を求める、②友好的なアイディア競争を促す、③選択肢を絞り込む効果的な方法を使う  → 落ち着きたいところに落ち着く!

125 カスケード反応 = 連鎖反応
126 ハチやアリの自己回復機能/耐久力
          ① 分散型知能
          ② 予測機能
          ③ 複数の島に分ける
127 複雑システム: 送電網、交通ネットワーク、株式市場、インターネット
    これらは、自己回復機能をもたせないと、パニックに陥る危険性がある

136 間接的協業
147 アリ塚 = ウィペディア
150 ウェブ2.0
164 ネットワーク

174 鳥の群れ行動 → 魚の群れ行動  それも、種類による(小さいもの中心?)
176 適応的模倣

224 人間の真似る習性/群れの習性

277 「自然淘汰によって、仲間からのプレッシャーや長いものに巻かれろ的な考えに屈しないように進化したミツバチは、自分の頭で考えて判断を下す」 人間よりも賢い!

 人間の行動はミツバチとは違う。我々のジレンマを単純化すれば、コミュニティに帰属したいという気持ちと、個人的な利益を最大化したいという欲望に引き裂かれているということになる。
278 正しい行動をとるには、何かの足すかが必要な場合がある。個人と集団の利益の不均衡を解消するには、法律、規範、金銭的インセンティブといったものが必要なのだ。

280 集団に所属しても、個性を封印する必要はないということだ。自然界における優れた意思決定は、妥協だけでなく競争から、また合意だけでなく意見の不一致から生まれる。自らが選んだ新たな巣作りの候補地への支持を取り付けようと、ミツバチがどれだけ激しく議論を戦わせるか、思い出してほしい。同じことが人間の集団にも当てはまる。我々が集団に何らかの付加価値を与えることができるのは、自分らしいユニークな経験や能力から生まれる特別な何かを提供したときだけだ。何も考えずに他人の行動をまねしたり、他人の意見に便乗したり、自分なりの優れた直感を無視したりすれば、何も与えることはできない。

 集団に貢献するためには、自分の負担すべき費用を支払ったり、仲間の利益のために何かを犠牲にしたり、現状を受け入れたりすることが必要な時もある。自分が正しいと信じることのために立ち上がったり、信条に従って政治家に働きかけたり、長いものに巻かれるのを拒否したりするのが必要な時もある。いずれの場合も、集団にとっていちばん大切なのは、我々が自分自身に正直であることだ。

2011年11月16日水曜日

『司馬遼太郎の風景』②

『司馬遼太郎の風景』を読み続けています。第2弾は、「北のまほろば+南蛮のみち」です。


37 稲作が、国家と不可分の関係にある。
   「人間の最大の敵が人間」になるという、皮肉な運命を背負い込んだ。

38 急ぎすぎた日本 ~ 中国が数千年かかって築き上げた文化を、日本はほんの数百年に圧縮して、「稲作国家」を現出させた。こうした性急な社会の変化が、日本の歴史に不幸な事態をもたらすことになった。
  コメ至上主義社会の不思議 ~ 米ができにくいところでも、米をつくる!

40 柔軟性を欠いた津軽 (江戸政権も)

42 これが、戦後の日本のあやまちの遠因になっている。

43 日本人の体質
 「大多数がやっていることが神聖であり、同時に脅迫である」と思い込む日本人の病的体質は一向に治っていない。治っていないどころか、ますますエスカレートしている。
 一億総じて同じ目的に突進していなければ生きられない民族なのかもしれない。
 「お家やお国のためならどのような理不尽にも耐えて忠誠を尽くす」は、戦後の日本にも、企業がその精神を肩代わりしている。

45 そういう縛られた国民性から解放されなければならない時。

71 陸羯南、三宅雪嶺、志賀重昂、長谷川如是閑

85~6 古代において、日本列島の住民の血は大いに混じり合っていた。 それが、徐々に純血主義に。純血は、響きはいいが、内実はひ弱い。国際性に欠けた閉鎖社会。

→ ここまでは「北のまほろば」として津軽について、縄文時代の青森について、古代から中世にかけての十三湊についてなどを考察しています。古代の津軽は、決して野蛮な採集社会ではなく、広い地域(海外までを含めて)と広域していた豊かな地域であることに、司馬さんは想いを馳せています。そして、この地域を貧しくした主要因として稲作をあげています。

 以下は、「南蛮のみち」、とくにバスクに焦点を当てた部分です。
 なぜ、バスク人たちは地球の果ての日本に来続けるのか?
 ちなみに、elsewhere(どこか違うところ)は、ギヴァーのテーマの一つです。

127 聖フランシスコ・デ・ザビエル

130 1925年に来日したソーヴール・カンドウ神父

174~5 日本という異郷でくらし、そこで悔いのない生涯をおえることができたのも、この町(=バスクの中の小さな町)の生家における少年時代が充実していて、記憶が年々光にまで高められていたためであったかと思われる。
  少年時代が充実していると、それが精神の支えとなって、人は遠くに羽ばたける。

200 ザヴィエルの日本人:

  日本人は、傲慢で怒りっぽい。
  欲は浅く、はなはだ物惜しみしない。
  他の国について知ろうとする切ない欲求がある。
  嫉妬を知らない。
  盗むことを憎む。
  貴人をたおせば、りっぱな騎士とみなされる。
  音楽・演劇を愛する。賭博をさげすむ。宗教心はつよい。

205 バスク人の意識や性格とその風土は密接に結びついている

210 太宰治 と 陸羯南 にこだわっていた司馬遼さん

2011年11月14日月曜日

オランダ紀行

『司馬遼太郎の風景』を継続して読んでいます。

 70年代から90年代にかけては、司馬さんの本はほとんど読んでいました。
 亡くなってからは、読んでいませんでした。

 このシリーズは、NHKが『街道をゆく』を映像でシリーズ化したときの副産物です。
 司馬さんを引用しながら、書き手の想いを込めて綴っているので、司馬さん本人の作品ではありません。
 最初に読んだのは、『司馬遼太郎の風景 1 時空の旅人』でしたが、次に8「愛蘭土紀行」と5「オランダ紀行」を読みました。

 オランダ紀行には、「日本が江戸時代を通じてオランダとつながっていたことの幸せ」以外に、オランダは「自分たちで作り出した国家」であり、「世界で最初に市民が誕生した国」であることを司馬さんは繰り返し語っていました。

 私のオランダとのつながりも紹介します。
 80年代の中ごろからの付き合いですが、その社会の成熟度は、北欧の数カ国が匹敵するぐらいで、英語圏の国々や他のヨーロッパの国々も及ばない気がしています。

 以下は、私が80年代から90年代にかけて関わっていた国際交流・協力の分野でオランダと日本の状況を比較したものです。



 上の比較を踏まえて、日本の各地域で取り組むべき国際交流・国際協力のあり方を、以下のように提案しました。

  ●継続的なもの・多くの人を巻き込むことができるもの
    (喜ばれない、理解されない、評価されないという状況を打開して
     いくために、市民や職員が得をしたと思えるような情報を提供し
     たり、出会いのきっかけをつくる)

            ↓

  ●オランダの事例に学ぶ (=特に、日本に紹介したいもの)

     ①担当者のレベルの研修(プロ意識とそれを裏付ける能力が
       身につくような)
     ②ターゲット・アプローチ(対象および目的やテーマを明確にし
       た上での事業計画および実施の方法)
     ③フォローアップ (事業をやりっぱなしにしないために)
     ④3~5年ぐらいの期限を区切っての計画(イベントでは変わっ
       ていかない。                  
       年間計画で位置づけることはもちろんだが、フォローアップと
       人間関係がよくなることで、変わっていく/効果が表れるまで
       には時間がかかる。)

            ↓
  ●まず、できること/やるべきこととして (つまり上記の①。②~④は、
    ①の中に含めることができる)
   多くの人を巻き込むことができ、効果のある継続的な事業を企画、
        実施できる人、行政や民間や個々のボランティアの間をつなぐことが
        できる人(ファシリテーター)の養成。どんな資質と能力が求められる
        かというと・・・・ 

 以上の比較、およびそれに基づいて作られた提案は、行政一般、教育、環境、福祉等の分野はもちろん、企業まで参考になるのではないでしょうか?

2011年11月8日火曜日

過去・現在・未来

 これまでも、ネイティブ・アメリカンやアボリジニについては紹介したことがありますが(『ギヴァー』と関連のある本51、52、53、55など)、今回は先月紹介した「記憶と歴史」との関連を感じた『インディアンの夢のあと』(徳井いつこ著)の紹介です。



7 アメリカ・インディアンの遺跡に惹かれ始めたとき、呼びかけてきたのは何だったろうか? 認識されることを待っていた他人の古い記憶? いやそれは私自身の記憶ではなかったかと思い始めている。 → でも、彼女が訪ねていたのは、まだ北米大陸の原住民が、アメリカ・インディアンと言われる前の時代の遺跡!

8 旅が「知らないことを知っていく」プロセスならば、書くことも、そして読むことも、ひとつの旅にちがいない。

25 彼らにとって「過去」というのはどれも最近の出来事なのだ。プエブロの人々が歴史に抱いている近しさは、われわれが自分自身の過去に抱く感覚に似ているかもしれない。部族の系譜、先祖について知らないというのは、記憶喪失者に近い。記憶を失っては一歩も前進できない、と信じているかのように、多くのプエブロは過去に精通しているのである。

93 「自分が誰であるかなど、知ることができるでしょうか。私は、自分が何者であるかを知りません。デキストラは知っていますか?」と著者が尋ねると、

 「自分が何者であるかを知るということは、自分自身をいつも油断なく見張っている、ということ。<周囲で起こっていることのなかに没入してしまわないように注意しなさい!>と先祖は言った。<起こっていることから距離をとって、ひとりで歩むこと>と。

 「若い人たちは、ホピにおいてさえ、まったく過去を敬おうとしない。私にとって過去は、かけがえのないもの。価値あるもの。古い時代の古い人々の生き方のなかには、多くの真実が含まれている。昔から人々は<大地のめんどうを見るように。世話をするように>と言い伝えてきた。<自然を壊すことがあれば、必ず何かが起こる>と。それがいま起こっている」

94 「プエブロには昔からストーリーテラーと呼ばれる役目の人がいて、物語り続けることで、“古きもの”に結びつけられた人間の姿を繰り返し確認するという機能を果たしてきた。物語を失ったわれわれは、自然との絆、過去との絆を失って、風のまにまに漂っているわけです」

   「私が子どものころ、まわりにいる大人は誰でも物語を話してくれた。冬は暖炉のまわりで、夏は屋根の上に寝そべって・・・落ちていきそうに深い夜空を覗きこみながら、たくさんの話を聴いた。この世界のありとあらゆるものについての物語。太陽、月、鹿、蛇、蟻、鷲・・・・・悲しくて泣いてしまう物語もあった」

96 「将来に絶望している?」
   「絶望はできない。あきらめることはできないのよ。われわれは子どもたちに伝え続けなければならない。しかるべき年齢になれば、たぶん、気づくときがくる。われわれにできるのは、話すことだけ。人生をつくるのはお前たち。お前たち自身の選択なんだよと」

97 祭はいわば、人々が集合的記憶をとりもどすための再生装置のようだ。人々は自在に過去にさかのぼり、この世界が出現する以前のことまで思いだす。

→  『司馬遼太郎の風景』①(NHKスペシャル)~特に、パートⅢ、144ページ、142ページの最後の行は「司馬遼太郎の悲劇」である以上に「日本人/日本の悲劇」

2011年11月2日水曜日

『ギヴァー』と関連のある本 74

しばらくぶりに、おもしろい小説に見つけました。

 主なテーマは、自由。
 本のタイトルは、"The White Mountains"(『鋼鉄の巨人』学習研究社版、1978年。「トリポッド2 脱出」ハヤカワ文庫版、2004年)。書いた人は英国人作家のジョン・クリストファーで、出版されたのは、なんと1967年。

 『ギヴァー』では12歳の誕生日に、儀式で自分の職業が決まったのが、"The White Mountains"(直訳すると、「白い山脈」。実は、スイスのアルプスのこと)では、14歳の誕生日にキャップをかぶる戴帽式が行われる。
 それは、『ギヴァー』の12歳の儀式と似ていて子どもから大人になる儀式だ。好奇心、怒り、思いを奪い去られ、従順な大人になるための。
 それは、戦争のない平和な社会の一員になることも意味している。代償として、三本足 (The Tripods)の「鋼鉄の巨人」にそのキャップをかぶせられると精神・思考を操作され、飼いならされた状態になる。
 主人公のウィルと従兄弟のヘンリーは、それがいやなのでイギリスのウィンチェスターの近くの村から自由な人々が住む白い山脈まで自由を求めた旅に出る、というストーリー。
 西ヨーロッパの地図が頭に入っている人には、ドーバー海峡をフランス側に渡ってから、パリの街(廃墟)を通って、アルプスへ至る道中を連想できるのも、一つの楽しみ。まるで、『ギヴァー』のelsewhere(どこか違うところ)を求めて歩いているかのように。

 「キャップをかぶらせることで、好奇心、怒り、思いを奪い去り、従順な大人にしてしまう三本足の異星人」たちは、いったい何にたとえられているのでしょうか??
 それに該当する『ギヴァー』のコミュニティの仕組みとは何でしょうか?
   そして、私たちの社会の仕組みは??

 なお、"The White Mountains"には、続きがある。"The City of Gold and Lead"(学習研究社版『銀河系の征服者』、ハヤカワ文庫版「トリポッド3潜入」と"The Pool of Fire"(学習研究社版『もえる黄金都市』、ハヤカワ文庫版「トリポッド4凱歌」だ。

 さらに、ジョン・クリストファーは、これらの3部作を書いた20年後の1988年に"When the Tripods Came"(ハヤカワ文庫版「トリポッド1襲来」)を書いている。ウィルが旅を始める100年前の出来事として。だから、ハヤカワ文庫の順番どおりに読むか、著者が書いた順番どおりに読むかは、読者に選択がある。("The White Mountains"だけを読むだけでも十分に価値があると、私は思っています。)

 また、1984年には、イギリスBBCによってテレビドラマ化もされており、画像で見ることさえできます。(URLを書いてしまうとまずいかもしれないので、「the tripod, BBC, TV series, online free」などの単語を入力して検索してください。)

 ちなみに、私はハヤカワ文庫に描かれている登場人物たちのイラストが嫌いです。(本全体を台無しにしていると思っているぐらいです。訳自体は、学習研究社のも踏まえた形なので、親切だとは思いましたが。)