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2013年7月31日水曜日

ネギ畑で考えたこと



もう彼これ15年ほど、毎週日曜日に近くの農家の農作業を手伝っています。
 主な作業は草取りで、残り4割ぐらいが種や苗を植えることと収穫です。

 ある程度育った苗はきれいに並べて、等間隔で植えていきます。その方がよく育ちますし、収穫も楽ですから。しかし、植え残った苗はいっしょにまとめて植えておきます。あとでダメになった苗のところに植え替えるためです。
 今年の梅雨は雨不足で、かなりのネギがダメになって(蒸発して消えて)しまいました。個別に植えると弱いということです。
 それに対して、植え残ってまとめ植えをした苗は元気です。
 いったいこの違いは何に由来するのでしょうか?

 一本一本バラバラに植えた苗は、暑さや雨不足には弱いのですが、それを乗り越えると大きく育ちます。それに対して、まとめて植えた苗は暑さや雨不測には強いのですが、大きく育つことはありません。
 ネギだけに限りません。玉ねぎも、稲も同じです。

 これって、けっこう人間にも言えてしまうでしょうか? (特に、この間の選挙などを見ていてそう思ってしまいました!)

 『ギヴァー』のコミュニティに居残ったら、ジョナスもひ弱なままだったでしょうか?それをあえて、飛び出すことで、大きく育つことを選びました。しかし、ただそれだけではありません。残った人たちにも、個々の記憶を取り戻してもらうことで、ひ弱なままではなく大きくなってもらうことを祈りつつ、飛び出したのだと思います。

 そんなことをネギの苗を見ながら考えてしまいました。

2013年7月30日火曜日

<福島の除染>最大5兆円

素朴な疑問ですが、これはいったい誰が出すのでしょうか?

国(イコール税金)?
それとも東電?(イコール利用者?)

問題は、汚染された土の上だけではありません。
いまも汚染水は増え続けています。
そして、海への垂れ流しも。
対応策は、ほとんどまったく講じられていない状態が続いています。

こうした東電の原発事故は、ドンドン過去のものになりつつあります。(なんといっても、「原子力村」は強固ですから!! 経済優先という風潮を作りたいんだと思います。マスコミも一丸となって。)
これから、廃炉まではまだ何十年もかかるというのに。そして、その道はまったく平坦ではないのに。

2013年7月22日月曜日

自民、大勝!?



確かに。

しかし、投票率が低ければ、固定票のある与党と共産党が勝つことは、最初からわかっていたことです。
そして、その投票率は、なんと52.61%。

要するに、半分の人は、「どうせ投票しても意味がない」という判断をしているのです。

このことを、政治家やマスコミ関係者は考えたことがあるのでしょうか?

政治家は考えないでしょう。自分が議員になれるか、なれないか、しか考えませんから。
マスコミも、勝った負けたしか興味を持たず、投票率の低さの理由にこだわるところはありません。

要するには、国民の半分が「政治およびその報道のあり方に対して、No」を突きつけているのです。

今回、与党は121議席のうち76議席も取りましたから、62%で大勝です。
この数字だけを見れば。

しかし、投票しているのは半数の国民ですから、実際に支持しているのは、なんと33%に過ぎないのです。

33%でやりたい放題が、これから数年は続くことになります。

選挙に行かない人も、結果的に、それを選択したわけです。

繰り返しますが、その選択の最大の理由は、「政治およびその報道のあり方に対して、No」だったからです。もっと言えば、選挙するに値する候補者も政党も提供されていないことの。


『ギヴァー』の視点で、前々回の民主党の大勝や今回の自民党の大勝を見ると、それは単なる政治家たちやマスコミとそれを取り巻く人たちの「政治村」(これは、原発にまつわる人たちがつくっている「原発村」になぞらえてみました)の「政治ゲーム」というか「政治ごっこ」に過ぎないでしょう、と言われそうな気がします。そんなレベルのものを、いったいいつまで続けるというのでしょうか? 時間とお金の無駄遣いをしているだけなのが実態なのに。

2013年7月17日水曜日

21日の選挙 と 長老たちの選出



 こまってしまいます。

 ここ1週間ほど、うっすらと悩んできました。

 いったい誰に、そして、どこに投票したものか。

 私の場合は東京都ですが、候補者も政党も乱立しています。

 しかし、(い)ないのです投票できる候補者も、政党も。

 これで、日本は民主主義の国です、と言えるのでしょうか?
 投票者にとって、投票できる候補者も政党もない状況なのに。

 それなら自分で出ろ、ないし創れ、というのかもしれません。

 しかし、この機能していない選挙制度の上に、機能していない議会(それが国会であろうと、都議会であろうと、市議会であろう)を知るにつけ、自分で出るないし創る人は、相当おかしな人と言わざるを得ない状況にあります。★

 そんな中で、いったいどんな選択肢があるのでしょうか?

 投票率は、過去最低が、すでに予想されています。★★

 投票率が低いとどこが有利かご存知ですか?
 自民党・公明党と共産党です。固定票があるので。
 他は、浮動票頼りなので、投票率が低いと負けることが、選挙の前からわかっています。

 ということは、選挙に行かないという選択は、与党に投票することと同じわけです。

 それがわかっているので、行かない選択肢はありません。

 原発問題を中心にしたエネルギー政策、憲法、防衛・外交、経済、福祉など、それなりに争点はあるのですが・・・

 あと2日半、悩みます。(悩むほどの価値のある対象ではないのが、残念です)

 『ギヴァー』のコミュニティの長老たちが、どうやって選出されているのかは、作者のローリーさんは書いてくれていません。想像するだけでも楽しいです。
 少なくとも、選挙ではなさそうな感じはします。騒音公害がないことは確実です。(どう考えても、あれをやり続けるというのは、レベルの低さ以外の何物も考えられません。)

 長老たちの会の持ち方も、多数決ではない気がします。おそらく、宮本常一が『忘れられた日本人』の中で書いてくれていた村の寄り合いでの話し合われ方に近いと思うのです。その地に居続ける者同士ですから、人間関係を悪くしないために、多数決は取れないのです。
 どちらが民主的なのか、と疑いたくなります。



★★ その責任の7~8割がたは、民主党にあります。
   あまりの期待はずれだったので、政治に対する期待が一気にしぼんでしまいました。
   そのしぼませた人たちは、一切責任を取っていません。そのことの自覚さえないと思います。

2013年7月16日火曜日

日本の財政問題



日本の財政が危機的な状況にあることは、ずっと前から言われてきていることですが、いかんせん国家レベルのことですし、扱う桁数が大きすぎるので、ほとんどの人は自分ごととして考えられることではありません。

でも、選挙も前にして「本当にそれでいいのかな~」と思っていたところに、見かけたのが以下の記事でした。

本当に金利が上昇すれば、日本財政はもたない

 

『ギヴァー』のコミュニティでは、人事にはなりにくいと思います。なにせ、人口が3700人前後ですから。



2013年7月10日水曜日

『わが友マキアヴェッリ』



我ながら、記憶力の悪さに関心です。
しかしながら、これのいいところは、本や映画などを何度でも新鮮に読める/見られること、です。
『わが友マキアヴェッリ』を読んだという記憶はあるのですが、中身はまったく覚えていませんでした。従って、とても新鮮に読めました。(ということは、前に読んだのは「読んだ」とは言えないのでしょうか? それなりに、「いい内容の本だ!」と感心したことも覚えているのですが・・・それとも、20年前に読んだ本は忘れて当たり前でしょうか?)

ちなみに、前は1冊で読んだのですが、今回は新書版で3冊の分冊でした。
 タイトルがいいです。
第1巻 なにを見たか ~ 生まれてから29歳まで(そうなんです。就職せずにひたすら、見る目を養っていたようです!!)
第2巻 何をしたか ~ フィレンツェの都市国家の官僚をしていた時代
 第3巻 何を考えたか ~ 官僚を辞めさせられ、本を書いた時代。でも官僚でもないのに、便利なのでいろいろな仕事をやらされた時代でもあったようです。というか、本人はやりたくてやりたくて仕方がなかったのです。

マキャベリズム/マキャベリストは、『君主論』を書いたマキアヴェッリに由来する言葉で、「目的のためには手段を選ばない、目的は手段を正当化するといった」意味で使われ、それを書いた人も「冷徹非情」というイメージがありますが、塩野さんの本(あるいは、サマセット・モームの『昔も今も』)を読むと、まじめである一方、とてもおもしろい人だったようです。ほとんどマンガ!!です。
ちなみに、当時有名だったのは『君主論』や『政略論』や『戦術論』で天下国家を論じる人ではなく(これらは、ほとんど売れなかった!)、『マンドラーゴラ』に代表される喜劇作家としてでした。

 生まれたのは1469年5月3日(コンスタティノープル陥落、1453年)で、死んだのは1527年6月22日。

 以下は、3冊の本からのメモです。(数字は、ページ数)


① なにを見たか

78 ロレンツォ・メディチと20年の時差 ~ フィレンツェの独立=イタリアの独立に生きた人と2つがズレタ時代に生きたマキアヴェッリ。しかし、その輝かしい時代を見て育った。

80 フィレンツェの人口
              1280年           80000
              1300年  105000
              1338年           90000
              1340年           75000
              1348年  ペスト大流行
              1382年   59747
    その後、7万人ほどになったが、
              1552年  またもこれ以下

79 フィレンツェ人の気質が発揮されるのは、13世紀から15世紀にまたがる200年。それは、絶え間ない内ゲバの歴史。

85 フィレンツェ人の特徴: 批判精神が旺盛、団結と協調の精神の欠ける、自由が大好き、しかし自由を守るには実に懸命で地味な努力が必要であることを理解し実行するのは好きではなかった。
87 学問芸術のパトロン 「われわれは50年ももたないだろうが、モノは残る」
101 フィレンツェ人は、美と華麗を好む。

93 「運命から、また神から、最大限に愛された男であった」ロレンツォ・メディチ
   ロレンツォが前の3代から受け継いだもの
     経済力
     市民の好感情
     他国のリーダーたちからの敬意にもとづいた信頼感
     最高の教育
     帝王学

196~208 フィレンツェの終焉 1494~8年
219 カトリック=ヨーロッパの崩壊


② 何をしたか

15 マキアヴェッリの就職は、1498年 ロレンツォの死後、フィレンツェの終焉以後。さらには、サヴォナローラの6年間の混迷を経験した後

29 マキアヴェッリの上司: 自分の考えや感想を率直に述べるよりも、なにごとに対しても解説する傾向が強く、これは、自分の眼で見、自分の頭で考えることを重視する人々からは、早晩そっぽを向かれる危険がある。しかし、なにごとも一見明快に解説されるのを喜ぶ人のほうが多いのが人間世界の常。

48 傭兵たちによる戦争ごっこが約200年続いた。

90 政治上の無能は、すべての弊害 ~ 今の日本で起こっていること。世界で?

169 著名と非著名の事実の両方が歴史には必要
    後者を落としがちな歴史学者たち ~ 従って、おもしろみが出ない

173 経済 → 政治 → 文化   日本は??? 常に政治なし!!

175~7 抜本的な対策を講じずに、形だけが200年続く 日本みたい。ギヴァーも

265 時代の変化に対応して自分の考えや判断も変える必要がある。しかし、それをやらないと、運に左右されることになる(時代の変化に翻弄されることになる)。 1494年以降の、フィレンツェ! 日本も?


③ 何を考えたか

15 政治と倫理の切り離しが、ルネサンス

16 リーダーの3大要素  ~ 民主党の例示 
     力量、才能、器量 ~ 下の2つがないことで、これもないことを証明してしまった
     運(幸運) ~ 少なくとも、民主党は最悪のタイミングで政権をとった
     時代の要求に合致すること ~ こちらは政権をとったときはあったかに見えたが、結果的に「何もしない/何もできない」によって、マッチしていないことを証明してしまった。

46 創造には、刺激が必要 ~ 自分だけで生み出すのは大変!!

53 外科手術が必要な時に、内科でごまかし続けたフィレンツェおよびヴェネツィアをのぞくイタリア

57 人間性に対しては最高のペシミストだったのに、自分ことはオプティミストだった

  真のルネサンス・スピリットは、レオナルド・ダ・ヴィンチに体現されていると、私も思っている。そして、ニコロ・マキアヴェッリは、政治思想の世界でのレオナルドであった、と思うのだ。

118 ルネサンスが幕を下ろした理由 ~ 宗教 1532年  スペインの力だったのでは? というか、単純に無能な法王の存在!!
148 史観がなければ、歴史にならない。単なる記録。

155 質から量の時代に   都市国家から帝国(大国)の時代に

2013年7月9日火曜日

『ギヴァー』と関連のある本 94



 ひさしぶりの『ギヴァー』と関連のある本です。今回は、同じ著書の2冊。

 いま翻訳している本に、「私たちが学校でしていることは「中世の暗黒時代」を維持するお先棒を担いでいることだ。それに代わって、しないといけないのは多様な分野に熱烈な興味を抱いて探究し、そして表現するルネンサンスの学びを実現ことだ。私たちはその選択肢を提供されているにもかかわらず、前者を選択してしまっている」というニュアンスのことが書いてあるのです。
 ウ~ン、まさに。
 日本の場合は、「中世の暗黒時代」を維持するお先棒を担いでいるという発想自体もてる人はいったいどのくらいいるだろうな~、とも思ってしまいました。

 そこで、私が好きな(ほぼ全部読んでいる)塩野七生さんの、特に『ルネサンスとは何であったのか』を読み直してみました。おかげで、前回は読めていなかった多くのことが読める(気づける)ようにもなりました。

 彼女流の言葉で言うと、「見たい、知りたい、わかりたいという欲望の爆発」がルネサンス。私たちが、どちらを選択してしまっているのか、明らかです。

その後、20冊ほどルネサンス関連の本を読んで、再び、前に読んだことのあった塩野七生さんの『わが友マキアヴェッリ』を読み直しました。こちらも、前回は気づけなかったことが、たくさん読み取れました。

20冊ほど読んだ中に、会田雄次、渡辺一夫、松田智雄らが書いた『ルネサンス』(中公クラシックス)も含まれていて、その中で扱われていたのがマキアヴェリ、エラスムスとトマス・モア、ルターの4人でした。
また、ちょっと古くなります(内容的には、そうは感じませんでした!)が、1978~79年に出版された平凡社の『世界を創った人びと』シリーズ20巻に選ばれている20人のうちの10人もが、ルネサンス時代の人たちなのです。この中に、マキアヴェッリは含まれていませんでしたが。

基本的に、マキアヴェッリ=フィレンツェなのですが、そのフィレンツェという都市国家は、どうも今の日本のような気がしてなりませんでした。もちろん、イコール『ギヴァー』のコミュニティです。だからこそ、ジョナスは脱出しました。「内科ではどうしようもなくて、外科手術の必要性を感じて」
 ルネサンス発祥の地であるフィレンツェがいち早く崩壊した理由は、外科手術が必要であったにもかかわらず、長年内科でごまかしつづけたからでした。

 500年の時を超えて(書いてある内容が、です)、これほど参考になる本があるかな、と思いました。
 可能なら、今度の選挙の投票前に読まれることをぜひおすすめします。

2013年7月2日火曜日

『シークレット・カメラ』



メンデル・グロスマンという人が、ナチが作った「ユダヤ人隔離居住区ルージ・ゲットー」の実態を世界に知らしめるために撮った写真の一部を紹介している写真集(40ページ)。
フランク・ダバ・スミスという人が、あたかも自分が撮った写真であるかごとく、適切な(しかも簡潔な)文章を添えてくれている。訳者は、落合恵子さん。

すごいインパクトのある本。究極のメッセージを含んだ本。
コルチャック先生や、フランクルの『夜と霧』や、絵本の『白バラはどこに』などに匹敵します。

これを読んで、『ギヴァー』との関連で考えたことは、ギヴァーのコミュニティも、そして日本も見えない「有刺鉄線」や塀を張り巡らせているのではないかということ。
しかも、日本の方がより巧妙に。中にいること自体気づきにくい形で。
たとえば、原発。そして学校。会社も? 
原発は、津波(=人災)で「希望の星」ではないことがすでに暴露されてしまいました。
使用済み燃料の処理に関しては、依然として灰色というか、真っ黒のままですし。
しかし、学校の「有刺鉄線」や塀に気づいている人は、まだ極めて少ないのが現状です。それと、基本的には同じ構造で、会社を含めたすべての組織が存在している気がします。これらの「有刺鉄線」や塀は見えない分、手ごわいです。
そして、それらを維持する制度としての選挙であり、戦闘機などです。