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2013年8月29日木曜日

政治が機能していない (2)



いろいろ考えてみると、どうも日本も、フルタイムの「政治家」である必然性がないように思います。
まずもって、フルタイムであるべきほど、仕事をしていません。(何も、よくなっていませんから。過去数十年は、誰でもできてしまうことを証明しているようなものですし。市議会から国会まで。)

パートタイム(=議会があるときだけの時給制★)にすれば、より多くの選択肢が候補者にも有権者にも提供されます。
北欧のように、パートタイムの議員さんなら、経費もかからないし、身近な存在にもなります。(彼らは、それで十分であることを、証明してくれています。)
いいことばかりで、悪いことは何もありません。。

ぜひ、議員さんたち、実行してください。
何もしていないのにいい給料がもらえる立場から、パートタイムにすることは、大変なことだと思いますが。

無駄な税金を減らすためですから。

『ギヴァー』のコミュニティでの長老政治は、想像するに、すでにそれなりの役割を果たした年齢の人たちが、長老たちの指名によって補充されて、行われている感じです。

ボランティアというよりは、一応は仕事として。

何人ぐらいいると思われますか? 約3500人のコミュニティに。


★ 日本のようにダラダラ長くはやりません。毎月2~3日と聞きました。
  自治体レベルは。
  市レベルでは、各党一人ぐらいずつがフルタイムです。

  議員さんたちの海外視察は、こういうのこそを見聞きしてきてほしいものです。

2013年8月27日火曜日

政治が機能していない (1)



(その1)
政治家さんたちのすることは・・・単なる税金の無駄遣い!!

これも、顔が見えない関係だからできること。

『ギヴァー』のコミュニティでは、起こりようがありません。



(その2)
25日に行われた横浜市長選は、投票率が30%をきって29・05%の過去最低でした。3人に一人も投票していないのです。
選挙という名の税金の無駄遣いは、もうそそろろやめた方がいいと思います。

2013年8月26日月曜日

住基ネットとマイナンバー




費用対効果は、しっかり考えてもらいたいです。

でも、政治家やお役人さんたちは、基本的に、そういう
発想で動いているのではないような気がします。


国の管理はできるだけ少ないに越したことありません。


『ギヴァー』のコミュニティでは、どうしているのかな?

2013年8月25日日曜日

イチローと『ギヴァー』



 ここ数日、イチローの日米通算4000本安打がニュースになっていました。
 いろいろなことが書かれましたし、本人のインタビューもありました。
 数いるプロ野球選手で、イチローほど「野球道」を実践している人は少ないんじゃないかと思います。ある意味では、自分との戦い、です。
 しかし、もちろん他人との競争をしているところも否定はできない世界で生きている(仕事をしている)わけです。(ひょっとしたら、本人は単純にひたすら野球小僧を実践しているだけなのかもしれませんが。)

 イチローの場合はある意味極端な例として捉えることができるわけですが、誰しも大なり小なり競争している(自分と戦っている)社会に私たちは生きています。

 それに対して、ジョナスのコミュニティはどうかというと、基本的にそれがないと思います。適材適所ですから、競争はない仕組みにしている。アッシャーのような子ですらフリーターにならずに(解放されずに)、ちゃんと仕事がもらえるスケールです。

 安倍さんに代表される自民党や、橋下さん・石原さんに代表される維新の会は、もっと競争社会にすることが日本の生き残る道だと考えているわけですが、民主党はじめいくつかの党は共生社会を志向しています。そんなこと、前回の選挙で考えた人はどれくらいいるのでしょうか、とも考えてしまいました。

2013年8月24日土曜日

市制移行の2つのニュース



これまで全国の町村で最も人口が多いことで有名だった岩手県滝沢村が来年1月1日をもって市になる、というニュースです。
ちなみに、滝沢村の人口は7月末現在で5万4953人で、隣接する盛岡市のベッドタウンとして人口増加が続いているそうです。
これまで、「村」であることにこだわり続けてきたのに、何が方針転換の原因になったのでしょうね?
どんないいことがあるのでしょうか? あるいは、どんな悪いことが?

2つ目は、私が住んでいる府中市とも関係するのですが、
東京の多摩地域は120年前までは、なんと神奈川県だった、というニュースです。
 
府中市内も、鎌倉街道★というのが走っています(した?)。
江戸時代の前は、いまの23区内よりも、多摩地域の方がはるかに栄えていたんだと思います。(あちらには、ほとんど何もなかったから、逆にいまの繁栄があるような気がします。歴史というのは、わかりませんね!)
なんと言っても「府中」(武蔵国の国府があった、という意味)★★や「国分寺」というぐらいですし・・・府中市内には、大国魂神社というのもあります。

多摩地域が東京に移管されたのは、どうも当時、多摩地域で盛んだった自由民権運動に神奈川県の知事が手を焼いたのが一因だったようです。
いまは、その名残はあるのかな? 自由を求める雰囲気です。

こういう2つのニュースと比較して、『ギヴァー』のコミュニティでは人口が増えることも、移管されることもあり得ません。あるのは偉大なる「同じことの繰り返し」「均一化」「画一化」だけです。
そして、それをジョナスが壊してしまおうというわけです。
記憶さえ戻れば、変化の芽が出る!!
しかし、記憶がなければ、あるのは「偉大な同じことの繰り返し」だけ。

記憶/歴史は、大切ですね(と同時に、おもしろいですね)!


★ 鎌倉時代に鎌倉から北に3本伸びていたようで、そのうちの一番西側の上ノ道です。
  これが、メインだったようです。
  一部は、昔の名残が残っているような・・・

★★ 府中市内は、地下をつくる建物を建てる場合は、遺跡調査が義務づけられています。それほど、この一体は古いものがあるようです。

2013年8月23日金曜日

新聞の紙面分析


ある人が、以下のような新聞の紙面分析をしてくれました。

散歩の帰りに、朝日と日経を買いました。
朝日新聞は32面中、
・全面広告9面(求人欄含む)
(その他全面広告面以外23面の下方約3分の1は広告なので、これを併せると、公告の占める割合は、少なく見積もって9面+7面=16面相当、つまり50%)
・スポーツ7面(全面広告以外の面の3分の1はスポーツ)
あわせて23面=70%が広告とスポーツということに。 

反面、
・中央政治の記事はほぼ皆無。
・国際関係では、エジプトの動向少々、ボツワナのダイヤモンドのコラム、プラスアメリカの100円ショップ(全面)、インディアンにハゲが少ない?(まるまる半面)

お盆休み・日曜ということもあるのかもしれないが絶句モノ!

(日経はまだ少々まし・・)


以上です。

たとえば、明治の「萬朝報」はどれくらいの広告があったでしょうか?

私が小さかった頃(もう50年前)は、広告量はあまり多くありませんでした。

しかし、その広告量の多さと、内容の低下で、10年ぐらい前から私は新聞購読をやめました。費用対効果がまったく見合わないからです。(まるで、広告を買っているようなもんなので。)図書館等の公共施設で読めるときに読む、に切り替えていましたが、ここ2~3年は、それすらしなくなっています。ラジオとネットで十分だからです。(そう思い込んでいるだけかもしれませんが?)


人口が約3500人の『ギヴァー』のコミュニティには新聞は必要でしょうか?
あのマイクで全部済んでしまいそうです。

2013年8月21日水曜日

「アベノミクス」は「わらに付いた火」




世界経済はグローバル化していますから、海外各国の見方がこれだけ厳しいということは・・・・

最悪の事態(ギリシャやキプロス化)は避けてほしいと思いますがそんな能力が日本の財政・経済政策を担っている政治家や官僚に期待できるのでしょうか?

なんといっても、責任を取らなくてもいい人たちの集団ですから。日露戦争以来、アジア侵略を経て、第二次世界大戦につっこんでいった当時の体制(構造)と同じで。

2013年8月19日月曜日

「たったひとつの命だから」



 「たったひとつの命だから」をテーマにした朗読会+ピアノ演奏とハンドベル演奏会への誘いを受けました。

 その呼びかけ文には、「今、ニュースでは、いじめ、家庭内暴力、子どもの虐待、自殺など考えられない事件が増えています★。“いのち”とは何でしょう。“たったひとつの命”しかないのです。命が大切、そしてその尊さを今一度考え、求め、見つめてみませんか? ○○こだまの会では“いのち”と向き合わされた多くの方々の体験をもとにした内容を朗読し、命の大切さの重きをこだまさせたい!・・・と言う思いから、ボランティア活動として発足しました。多くの方々がご参加くださり、“たったひとつの命”、その命は大切だという思いをこだまさせていきましょう。忙しい日々の中、音楽と朗読で癒されるひとときをお過ごし下さい」とあります。

 まさにとても大切なこと!!!

 日時は、9月15日のお昼過ぎの2時間です。会場は、大阪府内。
 興味のある方は、連絡をください。

 そういえば、私が『ギヴァー』の再刊を決断した中には、この思いが確実に含まれていました。(本の中で扱われているたくさんのテーマの中でも、飛び切り重要なテーマのひとつですから。)

 しかも、このことをもろに表に出さなくても、思わぬ人に、そのメッセージが届く媒体ではないのかとも思いました。面と向かって言われたら、興味を示してくれなさそうな人にこそ届くことが大切ですから。

 ある意味では、前回の歴史認識と似ているところがあります。
 「8月15日」で集まる人たちや、その人たちが言うことは、決まっています。
 違う時に、異なる内容について(と同時に、同じ内容についても異なる角度から)考えることも、「8月15日」や「8月6日や9日」等にこだわり続けることと同じレベルで、あるいはそれ以上に大切だと思うのです。

 対象は誰なのか、そしてその対象に届くようにするためには、どういう方法を使うのがより効果的なのかをもっと考えないと、と自戒を込めて書いています。


★ ここには書かれていない類の“いのち”を大切にしない出来事も、この世の中にはたくさんあります。これも、角度や視点や枠を変えると見えてくることです。逆に言えば、変えられなければ、見えないこと。「知らぬが仏」で済まされるのでしょうか?

2013年8月16日金曜日

歴史認識



 歴史認識はとても大切ですが、それが極めて弱いのが『ギヴァー』のコミュニティであり、そして日本です。

 毎年繰り返される8月15日。
 「2度と繰り返しません、悲惨な戦争は」と8月15日に言っても、説得力はまったくありません。(そもそも、これは誰に対して言っているのでしょうか?)

 12月8日は、対米戦争の開始日ですから、アジアの国々に対してあまり説得力はないかもしれませんが、とにかく始めたことについて考えない限り2度目、3度目、4度目があることは、約束されています。始めた理由がわからないままですから。あるいは始めた構造を放置したままですから。(いまも、見事なぐらいにその構造の中にあることを鶴見俊輔さんなどは指摘し続けてくれています。ひょっとしたら、司馬遼太郎さんも指摘してくれていたと思います。そして、「早く気づいてくれ」と嘆いていたとも思います。)

 被害者としての記憶と同じレベルで、加害者としての記憶も伝え続けていかないといけないのに、後者をぼかし続けては偏った歴史認識としか残念ながらいいようがありません。

2013年8月15日木曜日

ドリス・レッシング関連のお願い

 ひょんなことから、『ギヴァー』の作者ロイス・ローリーにとても近いのではないか、と思える作家を見つけました。

 それも、ノーベル文学賞を受賞している作家です。
 その人の名は、ドリス・レッシング。
 聞かれたこと、ありますか?

 両親ともイギリス人なのですが、ペルシャ(現イラン)で生まれ、南ローデシア(現ジンバブエ)で育った人です。まさに大英帝国の存在をからだで体感したような人といえるかもしれません。
 30歳で「本国」に戻るまでは、5歳のときに移ったアフリカで過ごしたそうなのですが、お母さんとのそりが合わず、15歳で家を出て、いろいろな職に就いたようです。本国に「戻る」までに2回の結婚と離婚も体験済みでした。

 この人の本をすでに読んだ方、あるいは読める方、ロイス・ローリーおよび『ギヴァー』と関連があるのかどうか(あるなら、具体的にどうあるのか)、ぜひ教えてください。
私にはちょっと、ドリス・レッシングの本、読めそうにありません。(もともと文学を読む人間ではないのです!)

2013年8月7日水曜日

リンダ・ホーグランドさん



たまたま聞いていたラジオで、リンダさんがインタビューを受けていたのを聞いて興味を持ちました。

家では、アメリカ人の両親と二人の姉妹と英語で話して育った完璧なバイリンガルな人。
リンダさんは、たくさんの日本映画の英語字幕を担当した後に、自分で作った映画が、ANPO』(あんぽ)『ひろしま 石内都・遺されたものたち』
これらだけでも見る価値がありそうですが、彼女が日本、アメリカ、そして世界を見ている見方もとても共感しました。

たとえばその一つが、6月にアメリカの中央情報局(CIA)及び国家安全保障局(NSA)の盗聴活動の実態と手口を内部告発し、その後、どこに亡命するのかでマスコミをにぎわしたエドワード・スノーデン氏についての発言。

リンダさん、「アメリカにもいいところと悪いところがあります」と、そして「スノーデンさんのような人がでてきているのはいいことです」とも。

私は、スノーデン氏が何を目論んであのような行動をしたのかまだ知りませんから、彼女のような発想は持っていませんでしたが、アメリカ(それもNSAとCIA)を相手に勇気のいる行動であることだけはわかっていました。そして、彼女に言われて、ひょっとしたら『ギヴァー』の中のジョナスの行動と関連づけることができるのかもしれないと思いました。もし、それが自分の属する社会を本当に愛しているからこそのアクションであったなら・・・