前回の年をとって死を迎える場面と表裏一体(?)の関係にある生まれたての頃についても、ここ数週間考え続けています。
最近読んだある教育書の中で、生まれてから最初の1~2年間にどういうふうに保護者に接せられたかが、単に人格(性格)を決定づける上で大切なだけでなく、学力にも大きな影響を及ぼすということが書いてありました。
日本でも昨今、学級崩壊が日常化したり、問題を抱えた子どもが増えていることを、先生をしている友人たちからよく聞きます。要するには、落ち着きのない子どもたち/話の聞けない子どもたちの増加です。(学校はこれを、幼稚園や保育園のせいにし、幼稚園や保育園はこれを、家庭のせいにする形で、行き着く先は家庭問題になっています。)
この問題に、より早くから、しかも日本よりもはるかに大きなスケールで遭遇しているアメリカの状況はどんなもので、そしてどういう対処が行われているのかを紹介している本です。
その結果が、最初の1~2歳の段階でどれだけストレスをもつことなく、温かく接してもらえるかが大きなポイントの一つになります。接するのは、もちろん母親だけの必要はないわけです。昔は、大家族で、おばあちゃん、おじいちゃん、おねえちゃん、おにいちゃんが、お母さん以外にも存在していたことが、「落ち着きのない子どもたち/話の聞けない子どもたち/問題児」の誕生を防いでいたような気がします。しかし、核家族化が進み、地域性も弱くなり、一人の保護者への依存が高まるに従って、「落ち着きのない子どもたち/話の聞けない子どもたち/問題を起こす子どもたち」問題が誕生したように思います。要するには、この辺のことを踏まえることなく、ライフスタイルを変えてしまったことで必然的に起こった問題と言えるのかもしれません。
この辺の『ギヴァー』での対処の仕方は参考になるかもしれません。
出産母とは別に、<養育係>という存在をおいているのです。ジョナスの父がその一人です。双子の一人を平気で殺してしまうぐらいですから、大丈夫なの、と言いたくもなってしまいますが、そういうことも含めて(?)、有能な養育係なのかもしれません。
そして、1年+αか月すると「最適の家族」のメンバーになるという仕組みです。おそらく、日中は核家族のおとうさんとおかあさんは働いていますから、子どもたちは保育園的なところに預けられているのでしょう。
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