著者自身が語っていたように、この物語は記憶をコントロールできたらどんなかを中心に設定されたと思うのですが、<老年者>の家で描いたことは、ひょっとしたら著者の理想ではなかったのか、と。それは、<リリース(解放)>することも含めてです。
私の親の世代には、子どもたちの世話になりたくない、と思う人たちが少なくありません。(豊かになったからできることだとも思いますが。)しかし、実際に施設を訪ねて、話を聞くと、出てくることは愚痴ばかりです。決して、ハッピーではありません。
いまの介護(+医療)政策は、お年寄りをできるだけ長生きさせることが、主目的になっているようです。(そのことによる経済効果は計り知れないものがありますから!)しかし、心のこもったサービスが提供されているかというと、はなはだ疑問です。もちろん、人手が十分でないことや、長く居つけない職場であることが、そうしているのかもしれません。
こういう日本の介護現場や状況を見ていると、私自身、子どもの世話になりたいとは思いませんし、無駄なお金を使って(税金も含めて)社会に貢献できない状態では生き延びたいとも思えません。
そんなことを、ローリーさんも20年前に同じように考えていたのではないか、と。
生まれてから社会に出るまでは、社会に直接的に貢献をしているわけではありません。最初と最後は、別に貢献ということは考えなくてもいいではないか。生を全うすれば、という考え方が主流だとは思いますが、私はリリース(解放)=尊厳死を選びたいという思いが強くあります。(そんなこともあって、パブロ・カザルスの言葉も紹介しました。)
ということで、ローリーさんが『ギヴァー』の中で提示してくれている考えに大賛成なわけです。誰がどういう基準や、当事者がどこまで関与できるのかなど知りたいことは何点かありますが・・・・これらを明らかにすることは、近い将来日本でも必要なことなのかも・・・・いまのままでいいはずないと・・・・
リリース(解放)=尊厳死という視点は、及びもつきませんでした。
返信削除尊厳死という選択は、私個人は賛成ですが、ただ、『ギヴァー』の作品世界には尊厳死をうかがわせるような表現がなかったようにも私には思えます。私は、尊厳死は個人が選択できる権利だと考えています。だから、ゲイブさんの考えに少しばかり衝撃を受けました。
ただもう一方で、人間を長く生かす現代の医療の進歩に不安を抱いているのも事実です。ちょっと話が私的になりますが、両親に長生きしてほしいとは心から願っています。でも、ふと、不安もよぎります。私自分が60、70歳になったときに両親はまだ生きているのか、生かされているのか、です。「長生き」って何歳のことなんだろう・・・ こんなこと考える自分は醜いのだろうか?
私のコメントは『ギヴァー』のコメントから反れてしまいましたが、今回のゲイブさんのこだわりは胸が締め付けられる問いかけでした。
K.Y.
K.Y.さん
返信削除早速のコメント、ありがとうございます。
生死の問題ですから、私も簡単に白黒つけられることではありません。
でも、ローリーさんがこの本を書くきっかけを語るのを聞いて、リリース(解放)をすべて同じレベルで捉えていいのか、とは考え始めたわけです。