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2014年11月29日土曜日

『ゾウがすすり泣くとき』



 犬をテーマにしたブック・プロジェクトの発端を思い出しました。
 最初に紹介した『ヒトはイヌのおかげで人間になった』を書いたジェフリー・マッソンの『ゾウがすすり泣くとき ~ 動物たちの豊かな感情世界』を読んだのがきっかけでした。あまりにおもしろかったので、彼のほかの本も読んでみたのです。

 それでは、その『ゾウがすすり泣くとき ~ 動物たちの豊かな感情世界』のメモです。(そういえば、ジョナスの妹のリリー専用の動物ぬいぐるみがゾウだったような記憶があります。そういえば、本物とぬいぐるみなどの偽物では、過去に何回か書き込みをしました。

22~24  ★

48 感情は比類なき精神力を持つ人間だけのものという固定観念

58 ローレンツはガンの姿勢、ジェスチャー、鳴き声などで、勝利感、不安感、緊張、うれしさ、悲しさ、警戒心、リラックス、威嚇といったちがいを見分けている。
  要するに、ガンでもほかの動物でも、実はみな小刻みに絶えず変化する感情のかたまりであるかもしれないのだ。・・・慣れさえすれば読めるものなのかもしれない。私たちにその力がないのは、無知や興味のなさ・・・または人間中心の偏見に凝り固まり、あたかも神の意思によるものかのごとく自分たちはちがうと思い込んでいるせいで、あるかもしれない共通点が見えないだけなのかもしれない。もし同じ仲間だとしたら、こちらは支配者となれないではないか。

123 人間は ~ 実は自身も社会性霊長類の一種にすぎないのだが ~ 愛の何たるかを知っているつもりでいるし、たいへん尊いものだと考えている。けれども多くの学者によると、愛は感情ではない。彼らは愛は「動因」、つまり上と同じように、何らかの行動を引きおこすために必要な内的状態だと考えている。
  感情、動因、いずれの名で呼ぶにしても、科学の世界では、それを動物に認めること ~ 動物たちも愛すると考えることは、まず禁じられている。 特に、行動主義学者たち

184 「学習による絶望感」 = 教師たちの指導案/研究授業/研究発表
      以前の経験で絶望する癖が身についてしまうこと。
      ちなみに、犬への実験の場合、2,3日するとすぐに元に戻るが、回避不可能な電気ショックの実験を週に4回受けた犬は、いつまでたっても「学習による絶望感」を克服することができなかった。 = 鬱状態
      教師たちの枠の中で元気を作り出そうという試みは、小泉劇場で一時的に、自民党の元気を作り出した小泉純一郎氏のアプローチに似ている。自民党崩壊を、ちょっと先に延ばしただけ。一度は崩壊を経験しないと変われなかったのに。もちろん、崩壊経験後、どこまで変われているかは、かなり疑問。単に、他政党がふがいないだけなので!!!

198 理論学者たちは、人間の喜びとは何かについて、その定義をもとめ、「神経刺激の急速な減少」から「特に喜びや善を目的とはせずにおこなった創造的な、または社会的に有益な活動によってもたらされるもの」まで、さまざまな表現を用いて原因の分析を試みてきた。しかし動物における喜びの可能性となると、こうした学者たちのあいだでは無視されがちである。
  犬や猫を飼ったことのある人ならば、ひとつも疑問には思わないだろう。動物も幸せを感じることがある。見るからにうれしそうな様子を眺め、その喜びを分かち合えるからこそ、人はペットを飼うのだといっても過言ではない。・・・ペットのおかげで、見ているほうも楽しい気持ちになれる。餌を前にした猫や散歩を待つ犬のように恍惚として喜びをあらわにする人間は、めったにいない。

230 遊び  ★

232 動物たちの残忍性、野蛮性、攻撃性。 人間の残忍性、野蛮性、攻撃性。 ★

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