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2015年5月29日金曜日

「私とは何か」



前回のテーマ「多様な自分」に関連して、「私とは何か」のタイトルの本を図書館から5冊ほど借りてきました。
その中でいまの私が唯一面白いと思えたのは、平野啓一郎著の『私とは何か』でした。
サブタイトルは、「個人(in-divisual)」から「分人(divisual)」へです。← これは、彼の造語。
でも、読めたのは、10分の1もありませんでした。20分の1かな?

『14歳からの哲学』以来、ファンのはずの池田晶子さんのもまったくダメでした。

要するに、私と哲学とは、やはり相性が悪いんだと納得するしかありませんでした。


恥さらしついでに、もう一冊読めなかった本の紹介を・・・・

エックハルト・トール著の『ニュー・アース -意識が変わる 世界が変わる』です。
「私とは何か」や、「多様な自分」と関係あるかな、と思って借りてきましたが、読めませんでした。
哲学系だけでなく、精神系も私は(まだ!?)受け付けないようです。

どなたか私にこれらと(あるいは、その関連本で)再び出会えるきっかけを作ってくれる方がいたら、ありがたいです。よろしくお願いします。

2015年5月22日金曜日

「多様な自分」を大切に



 もう一つ『来年があるさ』を読んでから考え続けていたことがあります。
 
それは、
 「自分とは? 私の人生は、なつかしい場所となつかしい人たちの織りなした記録の網に、しっかりとからみついている。私の家族、私のブロック(近所)、私の教会、私のチーム、私の町、私の国 ~ どれもこれもが、私自身の定義の一部だ。
  私はただのドリス・ヘレン・カーンズではない。カトリック信者であり、サウザード・アヴェニューの住人であり、ドジャースファンであり、ロックヴィルセンターの少女なのだ」(328ページ)です。

まさに、自分には多様な側面があります。そして、そう意識できることは、とても大切なことだと思います。

1990年代の後半にヒットしたスティーブン・コヴィーの『7つの習慣』という本があります。(いまだに、読み続けられています。)
その中で私が一番おもしろいと思ったのは、多様な自分用の手帳を持つということでした。
自分、父親としての自分、夫としての自分、地域の住民としての自分、組織に属する人間としての自分、そして地球市民としての自分などの項目があったと思います。

日本の手帳は、当然のことながら仕事(=組織に属する人間としての自分)用の手帳が中心で、他の自分について書くこともたまにはあるかもしれませんが、どちらかといえばそれは遠慮がちにすると思います。
この『7つの習慣』が提案している手帳は、それらをほぼ同じレベルで位置づけようというものです。そうすると自ずと生き方も変わると。
いくつかの項目が延々と真っ白状態が続いてしまうと、「なんかする必要があるかな/しないといけないかな」と考えるかもしれません。でも、項目がなければ、考えるきっかけがないということです。それは、そういう自分の存在を否定していることになる、わけです。

2015年5月20日水曜日

12歳



前回紹介した『来年があるさ』と『ギヴァー』との関連で、意識化でひっかかっていたことに気づきました。

それは、今回のテーマの「12歳」です。

『ギヴァー』のコミュニティでは、12歳で学校という「みんなが同じ」世界から、各自の職に別れていきます。ある意味では「ひとり立ち」が求められる年齢として設定されています。

それに対して、こちらの『来年があるさ』も、小学校終了時までは自分が住んでいたロックヴィルセンターという町のサウザード・アヴェニューという通りが中心の日々を送っていました。それが中学校に行きだした途端(12歳!)、変わるのです。

日本でも、それは同じです。
小学校のうちは、結構隣近所で遊んでいますが、中学校に入った途端に、子どもたちの世界は学校中心に変わります。隣近所で見かけるのは、通学の途中だけという状態になります。(これは、逆にいえば、コミュニティを崩壊させる存在として、中学校があるということでしょうか? さらに、それ以上の学校や職場も?)

子どもたちを見かけなくなる地域は、バラバラの老人ホームに向かってまっしぐらと言っても過言ではありません。(事実。私自身が小・中学校を過ごしたコミュニティがそうでした。坂が多いところなので、年を取ると行き来もままならなくなりました。★)


★ 日本の場合は、一軒家の場合は、土地に対する異常な執着が、この状況を招いています。ライフスタイルに応じて、住む場所を臨機応変に変えるという発想がまだ弱いですから。一方では、先祖代々の土地ということもあると思います。

2015年5月17日日曜日

『来年があるさ』ドリス・カーンズ・グッドウィン著



 主には、1950年代の野球史、アメリカ史(主には、ロックヴィルセンターの自分が住んでいた通りであるサウザード・アヴェニューを中心に)、自分史、家族史の4分野のストーリーが織りなす本書は、とてもよく書けている。『リンカーン』などの著作があるプロの歴史学者だから? コミュニティの大切さがヒシヒシと伝わってくる本!!(そこが、『ギヴァー』との関連で、本書を位置づけた理由だったような気がします。もう一つは、歴史の捉え方かな? 事実=起きたことと真実は違う!!)

ちなみに、タイトルの「来年もあるさ」は、毎年いいところまではいくけれど、なかなかワールド・チャンピョンになれないドジャーズのファンが、自分たちに言い聞かせ続けた言葉。

 1949年から57年までの少女時代に、ブロックリン・ドジャーズのファンで、スコアブックをつけ続ける。

 左の数字は、ページ数です。

73 アメリカン・ドリーム「夢のマイホーム」でブロックリンから郊外(ロックヴィルセンター)に引っ越す。
77 母の読み聞かせから、突然本が読めるようになる。
163 アメリカという国の歴史の真実(それは、表面的な歴史とは、まったく異なる!)を知るのは、小学校段階ではなく、ずっと後でいい??
328 自分とは? 私の人生は、なつかしい場所となつかしい人たちの織りなした記録の網に、しっかりとからみついている。私の家族、私のブロック(近所)、私の教会、私のチーム、私の町、私の国 ~ どれもこれもが、私自身の定義の一部だ。
  私はただのドリス・ヘレン・カーンズではない。カトリック信者であり、サウザード・アヴェニューの住人であり、ドジャースファンであり、ロックヴィルセンターの少女なのだ。
  何もかもみごとなほど整然としている時代だった。しかし、物事にはやがて変化が訪れる。変化が訪れたとき、私自身も変わる。
  とても濃密な近所づきあい。
329~330 地域社会の崩壊 ~ 1950年代後半から
352~365 人種差別に目覚める。きっかけは、アーカンソー・リトルロック事件(1957年9月4日)
  国とリーダーの違いにも目覚める。
379 3階の屋根裏部屋で、「家族の記録」を発見 = 父の家族の次々の死の記録

2015年5月11日月曜日

機能していない地域レベルの意思決定を機能させる方法



有権者の半分以上が選挙しない選挙は、制度として機能していない証明です。
いまの状態で、「選挙をしましょう!」を呼びかけても、行きません。

機能していない制度に、「ノー」と言っているのですから。

機能させる可能性としてはどんなものがあるでしょうか?

スウェーデンの地方議会が参考になると思います。

フルタイムの議員とパートタイムの議員がいるのです。
フルタイムは各政党のトップ当選者の数人だけです、残りの皆さんは月に一回程度(それもできるだけ夜にするそうです!)の議会に出席するパートタイムの議員たちです。
スウェーデンでやれるのですから、日本で同じこと、ないしそれ以上のことができないはずがありません。

これで、議員にかかる経費は、今の5分の1~10分の1にできるはずです。

さらには、議会開催中というのんべんだらりとした期間もなくなって集中した審議ができると言うメリットまであります。
そして、有権者も議員の選択には敏感になることが期待されます。

ぜひ、どこかの議会で挑戦してほしいものです。


2015年5月4日月曜日

私の住んでいる市の市議選



最終投票率は、47.14%。
半分以上の人は、投票場に行くことを放棄。

多くの人は、「投票することは大切」はわかっているのに。
その理由は?
「投票しても、何も変わらない」「投票したい人がいない」
他に理由はあるでしょうか?

定員30人に対して、候補者数38人。
要するに、落選したのは8人。

うち所属政党は、
民主 2
無所属 9
自民 6
維新 1
公明 5
共産 4
ネット 2
社民 1
です。

面白いのは、無所属。上は、市の選挙管理委員会に届け出た時の政党なのですが、都レベルの政党が出している名前をみると、自民党は11人いるのです。要するに、無所属でありながら、実質は5人もの隠れ自民党がいることになります。単純に、公認と推薦の違いでもなさそうな・・・・・
いずれにしても、11人プラス公明の5人で、ここでも多数派は形成されているわけです。

投票率が低いことで有利なのは、公明、共産あたりでしょうか? 自民もでしょうか?
あとの政党は、浮動票だよりが多い気がします。

選挙管理委員会が出している各投票者の公約(選挙公報)を見ると、政党に関係なく掲げていることは同じです。
子育て、福祉・介護、まちづくり(環境・防災)が3本柱で。
ここまで同じなら、議員の数を3分の1ぐらいにして★、しっかり政党間の違いを出すなりして、選択肢を明確にすることこそが、投票率を上げる一番いい方法ではないかと思うのですが・・・・


★ 議員報酬分をちゃんと仕事している人なんているのでしょうか? (国会レベルでも) していたら、もっとましな社会になっていると思うのですが・・・ ということで、できるだけ税金の無駄使いは減らしてもらいたいです。