★本ブログへのご意見・ご感想などは giverprojectjapan@gmail.com までどうぞ。


2015年5月20日水曜日

12歳



前回紹介した『来年があるさ』と『ギヴァー』との関連で、意識化でひっかかっていたことに気づきました。

それは、今回のテーマの「12歳」です。

『ギヴァー』のコミュニティでは、12歳で学校という「みんなが同じ」世界から、各自の職に別れていきます。ある意味では「ひとり立ち」が求められる年齢として設定されています。

それに対して、こちらの『来年があるさ』も、小学校終了時までは自分が住んでいたロックヴィルセンターという町のサウザード・アヴェニューという通りが中心の日々を送っていました。それが中学校に行きだした途端(12歳!)、変わるのです。

日本でも、それは同じです。
小学校のうちは、結構隣近所で遊んでいますが、中学校に入った途端に、子どもたちの世界は学校中心に変わります。隣近所で見かけるのは、通学の途中だけという状態になります。(これは、逆にいえば、コミュニティを崩壊させる存在として、中学校があるということでしょうか? さらに、それ以上の学校や職場も?)

子どもたちを見かけなくなる地域は、バラバラの老人ホームに向かってまっしぐらと言っても過言ではありません。(事実。私自身が小・中学校を過ごしたコミュニティがそうでした。坂が多いところなので、年を取ると行き来もままならなくなりました。★)


★ 日本の場合は、一軒家の場合は、土地に対する異常な執着が、この状況を招いています。ライフスタイルに応じて、住む場所を臨機応変に変えるという発想がまだ弱いですから。一方では、先祖代々の土地ということもあると思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿