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2015年9月27日日曜日

『ギヴァー』と関連のある本 107



しばらくぶりの『ギヴァー』と関連のある本です。
それは、絵本『せかいでいちばんつよい国』デビッド・マッキー作です。

<一部を紹介します。> 絵といっしょにコピーして紹介したいところですが、著作権に引っかかってはまずいので、遠慮しました。それほど、絵も文章もいいです!!

むかし、大きな国が ありました。
大きな国の 人びとは、じぶんたちの くらしほど すてきなものはないと、
かたく しんじていました。
この国の へいたいは、たいへん つよくて、 たいほうも もっています。
そこで 大きな国の だいとうりょうは、いろんな国へ、せんそうを しにいきました。
「せかいじゅうの 人びとを しあわせにするためだ。われわれが せいかいじゅうを せいふくすれば、 みんなが われわれと おなじように くらせるのだからな」

しばらくたつと、まだ せいふくされていない国は、たったひとつに ありました。
あんまり 小さな国なので、だいとうりょうは、これまで ほうっておいたのです。

小さな国に ついた だいとうりょうは おどろきました。
なんと、この国には へいたいが いなかったのです。
これでは せんそうが できないでは ありませんか。
小さな国の 人びとは、大きな国の へいたいたちを おきゃくように かんげいしました。
だいとうりょうは、いちばん りっぱな家を もらい、
へいたいたちは、あちこちの家に とめてもらうことに なりました。

へいたいたちは、小さな国の 人びとと おしゃべりをし、めずらしい 石けりを おしえてもらい、むかしばなしに 耳を かたむけました。
小さな国の 歌を ならい、じょうだんを きいて わらいころげました。

この国では たべものも かわっています。
へいたいたちは、台所に 入っていって、あじみをしました。
へぇ、おいしい!
ほかに することもないので、へいたいたちは、
小さな国の 人びとの しごとを てつだうように なりました。
 ・
 ・
 ・
なつかしい ふるさとに もどった だいとうりょうは、ほっとしました。
ところが、おやおや、なんだか ようすが へんです。
あちこちの家から、小さな国で たべていた りょうりの においが してきます。
小さな国 石けりが はやっています。小さな国の ふくを きている人も いました。
だいとうりょうは、にやりと わらいました。
「まあ いいさ。 どれも これも、せんそうで ぶんどってきた ものだからな」

<紹介、終わり>

大きな国は、アメリカ? 中国?

小さな国は、ニホンや『ギヴァー』のコミュニティであってほしい気はしますが、はるかに及びません。ニホンの場合は、近づこうとしているようには思えません。『ギヴァー』のコミュニティではジョナスがコミュニティを飛び出したことによって、これまでの秩序が乱されることになりますから、今後どうなるかはまったくわかりません。(その方が、ニホンよりは可能性がはるかに高いような気がします。)

ちなみに、井上ひさしさんの『吉里吉里人』も、同じ発想のもとに書かれた本ですので、ぜひご一読を。

2015年9月16日水曜日

「国民をバカにしないでください」 <緊急配信>



国会のしていることは(安保法案に限りませんが!)、まさにこれにつきてしまいます!

SEALDs奥田愛基さんが国会で要望(全文)

これを聞いていた議員たちよりも、そしてその席には座っていなかった他の国会議員たちよりも、はるかにまっとうな内容のスピーチではないかと思いました。

大方(9割以上?)のニホン人の思いを代弁した。

そして、これを聞ける/理解できる耳が国会議員たちにないということは、もはや民主主義(代表制民主主義)が機能していないことを、自分たちが証明してしまうことになります。

奥田さん以外に公聴会で意見を述べた5人のも含めて、以下で見られます。

彼の意見が、格段にインパクトがありました。いわゆる有識者と言われる人たちよりも。(ネット社会の影響もあり?)時代は、確実に「有識者」の時代ではなくなりつつあることを見せてくれたビデオでもありました。


私はそれ以上に、この国会の会議のもち方に時代錯誤的なものを感じました。(おそらく、明治に最初にできたときから、何も変わっていないのでしょう! 変えようともしないのでしょう!)
奥田さんが話し始める前に言った(言わざるを得なかった)ように、多くの人が眠らないとやっていられないような議事進行をいまだにやり続けているのです。
もっと参加型の進行(会の持ち方)がいくらでも可能なのに!!
こういう場のもち方自体が、確実に、民主的な物事のやり取りを阻害し続けているんだと思います。国会に限らず、すべての場で。

『ギヴァー』の世界では、起こらないことだとも思いました。

2015年9月13日日曜日

今回の北関東・南東北の大雨



とても、悲惨な大雨です。しかも、秋の収穫前の。

しかし、密かに喜んでいる人たちもいる気がします。
安保法案を通そうとしている人たち= 安倍自民

この1週間、ニュースがそちらの報道を優先するので、国民の7~8割が不安をもっており、理解もしていない法案が、すんなり通ってしまう運びになっています。(その意味では、絶妙のタイミングとしか言えないかもしれません。自分たちが悪者にならずに済むのですから。)

形はどうなれ、でもこの法案が通ることは、自民党が大勝した段階で決まっていたと思います。投票した人たちは、このことも含めて投票してくれた、と少なくとも安倍さんはじめ自民党は解釈しているのですから。

しかし、もし通ってしまったら、どうなるんでしょうね?
民主主義が、機能していないことをさらけ出す?? 選挙という制度は機能していても。

2015年9月12日土曜日

『ギヴァー』と密接に関係する本の紹介

新刊です。
タイトルは、『たった一つを変えるだけ』

何を変えるか?
一人ひとりが質問できるようにすることです。

「問い」「問うこと」「質問すること」は、このブログで繰り返し扱ってきました。
『ギヴァー』の大切なテーマだと思っているので。

このことに興味を持ち始めたのは、1986年に『ワールド・スタディーズ』(サイモン・フィッシャー&デイヴィッド・ヒックス著)に出会ったときです。あまりにもいいので、訳して出してしまいました。(今回の本と同じように!)

その中に、
「教 育の鍵は、知識よりむしろ『問いかけること』です・・・(中略)・・・ワールド・スタディーズが目指すのは、学びかたを学ぶ力、問題を解決する力、自分の 価値観を自覚する力、自分で選択できる力です。これは、ひとえに『問いかけ』に、単に質問するだけでなく、子どもたちが自分で疑問点を洗いだし、答を見つ けていけるようにすることにかかっています。『問いかけ』は、情報が目まぐるしく移り変わる今日の世界では、私たち教師が子どもたちに提供できる最良のも のと言えましょう」(15ページ)
と書いてありました。
今でもそこに書いてある大切さは薄れていないと思いますし、そのまま『たった一つを変えるだけ』にも流れている考え方です。(このことが、私が『ギヴァー』への興味を持たせた根底にあったのかもしれません。)

本は、学校で教師が生徒たちにどのように「質問づくり」ができるように教えたらよいかを、わかりやすく書いていますが、この方法を開発した二人の著者は、もともとはまちづくり/コミュニティづくりが専門です(いまでも、その活動が中心です)。

二人の経歴は、以下の通りです。

●ダン・ロスステイン ~ ルースとThe Right Question Instituteの 共同代表。長年、対象としていた人びとから学び、そのノウハウをコミュニティ・オーガナイザーや都市計画家として、より効果的な市民参加や民主的な社会シ ステムの構築に応用してきた。全米各地だけでなく、イスラエルでも仕事をしたことがある。ハーバード大学およびハーバード大学教育大学院(博士号取得) 卒。http://rightquestion.org/

●ルース・サンタナ ~ 生活保護を受けて家族を育て、工場労働者として働き、そして学校に戻って卒業し、大学・大学院(Springfield College) で学び、自分自身の体験をモデルとして、多くの人と共有する活動を展開している。対象がどんな人でも(教育のレベルや所得などが)、見事なぐらいにニーズ に合わせて対応できるのが特技。今は母校で教えてもいる。25年ほど前に、当時ルースが住んでいたマサチューセッツ州のローレンス市で市の都市計画担当職 員であったダンと住民代表として出会った。

本文から、教育の転換とよりよい社会づくりに欠かせない「質問づくり」について書かれた一節を紹介します。

学校教育での取り組みは、彼らにとっては12~3年前からのことで、それ以前は(いまでも!)、成人・社会・社員教育やコミュニティづくりで使っています。アプローチは、まったく同じです。

『ギヴァー』のコミュニティも(ということは、ニホンも?)、質問することを忘れた社会です。過去を知ったジョナスだけが、質問をし、そして自分なりの答も見出して、行動に移しました。私たちも、ジョナスに見習わなければいけないと思います。この本を参考にしながら・・・

本は、9月4日の発売でした。
でも、私を通すと、税込み価格が2592円ですが、著者(訳者)割引で税・送料共込みで2200円です。ご希望の方は、名前と住所と電話番号をpro.workshop@gmail.com にお知らせください。
お近くの図書館でリクエストを出して読んでいただくという方法もありますので、ぜひ民主的な社会づくりのためにご協力よろしくお願いします。

2015年9月11日金曜日

続・軽減税率

財務省案「率直に言ってみっともない」
「バナナのたたき売りみたいだ。そんなことをやりだしたら税の話ではなく、福祉給付金みたいなバラマキの話になる」
http://www.yomiuri.co.jp/politics/20150911-OYT1T50007.html?from=ytop_main4

消費税還付手続き、わずらわしそう 財務省案が判明
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150910-00000009-asahi-pol

「軽減税率もどきだ」
http://www.yomiuri.co.jp/politics/20150910-OYT1T50191.html?from=ytop_ylist

別に政治家でなくても言えることばかりですが、財務省(官僚)やマスコミは誰が言ったかが大事です。内容の質よりも。
圧力を糧にして、ぜひ、グチャグチャを少しでもまともなものにしてほしいです。

2015年9月10日木曜日

グチャグチャな軽減税率



東京オリンピック招致関連がグチャグチャだと思っていたら、こちらはその比ではありません。
その「適当」具合も。
目に見えるか・見えないかの差も大きいのかもしれません。(あっちで声を出す人はいても、こっちでは聞きませんから。)
しかも、金額は、期間限定のオリンピック「問題」と違って、桁が違うのがずっと続きます。そして、各人にとっての影響は毎日続きます。

2017年4月に税率が10%に引き上げられるのにあたり、軽減税率を適用する線引きは大切です。
「酒を除く飲食料品」「生鮮食品」「精米」などが候補に上っています。

問題は、「複数の税率を設けると事業者の経理処理が複雑になるため、いったん10%の税率を課した上で、払いすぎた税金分を後から支給する方式を導入する方向だ」です。

1)
本当に、国にそんなことができるのでしょうか?
あれだけ、年金で失態をしておいて。(あれだけ問題を犯し続けても、すべては税金でカバーされています!)
自分たちで、管理したい。継続的に関わっていたい、からなのではないでしょうか?

2)
他の国で、上記の方式を取っているところがいくつあるか?
そして、ちゃんと機能しているのか?
こういう情報を見つけました。

3)
そして、「複数の税率を設けると事業者の経理処理が複雑になる」のか?
おそらく、そんなことはないと思います。
複数の税率方式を取っている国は、どれだけあるのか? そして、問題は抱えているのか? 国は、ちゃんと示すべきです。

もし、「複数の税率を設けると事業者の経理処理が複雑になる」が言い訳なら、単純に導入方法がグチャグチャだった(先見性がまったくなかった!)から、ということを自分たちで証明したようなもんではないでしょうか?
そもそも、国の借金をあれだけ膨らませても、なんとも思っていない財務省が考えることですから・・・・

こういったグチャグチャは、『ギヴァー』のコミュニティでは起こりえません!!

2015年9月6日日曜日

続、ニホン vs. ニッポン



あなたは、どのように読みますか?

「中国で人気の日本の絵本」「日本人」「日本政府」「日本時間」「日本文化の見直し」「東日本大震災」「西日本全域に台風の影響」「日本語」「日本企業」「日本の領土」「日本のロケット」「日本国内」「日本料理」「日本の米」

洗脳はコワイ!を書いて以来、5か月間、NHKのラジオ総合で「ニッポン vs. ニホン」について聞き耳を立て続けました。(テレビは見ないし、他の局は聞かないので、チェックのしようがありません。)

言えることは、良識のある人=普通の人のほとんど(99%)は、「ニホン」としか言わない事実です。

それに対して、「ニッポン」派は、アナウンサーと一部の政治家(どちらかというと、自民党?)に限定されるということでした。★

先日も、NHKのラジオ総合で、毎週週末の夕方にやっている番組で小学生たちが作文を読んで「ニホン」を連発するのですが、担当のアナウンサーは、その後のコメントで「ニッポン」を連発です。あたかも、「日本を、ニホンと呼んでは間違いで、ニッポンと言わないと間違いなのよ!」と暗に声を大にして言いたいがごとくに。あるいは、NHKという組織に言わされているので、「私は、しかたなく言い続けますが、あなたはニホンと言い続けていいのよ!」というメッセージを込めながら???
一緒に担当している、年長のアナウンサーはこの「問題」に関わりたくないのか、「日本」と言わざるを得ないところを、意図的に避けているようでした。

そのアナウンサーたちも、自分の本音でしゃべる時は、「ニホン」になる時が、度々でした。
意識しないと「ニッポン」とはまだ言えないのかもしれません。
若い人たちは、最初から「ニッポン」一色に染まっているようなので、問題ないようですが・・・・
組織からの相当の圧力があるのでしょう。
アナウンサーや政府関係者が、「洗脳マシーン化」しているわけです。

ある意味では、国旗・国家と同じです。

でも、それで人の心は買えるのでしょうか?


★ そのアナウンサーたちも、日本人や東日本・西日本や日本時間などは、すべて「ニホン」で統一していました。★★
「ニッポン」と言ったり、「ニホン」と言ったり、大変だろうなと思ってしまいます。そして、「ニホン」で統一したら、スッキリするのにと。
  若いアナウンサーは、考えていないんでしょう、何でもニッポンと言えばいいと思い込んでいるようです。それに対して、ベテランたちは国名のニッポン以外は「仕方なく」言っているように聞こえます。
  NHKが「ニッポン」を根拠にする理由も見直せば、それがおかしいことにすぐ気づけるのに・・・・なんと戦前の「大ニッポン帝国時代」=洗脳の時代に決まったことを、後生大事に守っているだけなのです。アナウンサーで、そこまでちゃんと確認して、自分が言い続けている人はいるのでしょうか? これが、「洗脳」の恐ろしさ、です。

ニッポンを言いたい人には、どうぞ、としか言いようがないと私も思っています。
でも、公共放送を自認しているNHKがそれをアナウンサーにやらせておくことは、「言いたい人の自由」でしょうか?? 私には「洗脳」としか言いようがありません。 聞く人の立場を無視した。

★★ いや、そうでもないことがわかりました。この場合の、ニッポン派もいました。要するに、統一性がまったくなく、極めていい加減であることが。それこそ、「強制」の結果だと思います。