ギヴァーのコミュニティーと似ているのではなく、逆さまなコミュニティーが描かれているという意味で「関連」のある絵本『ありがとう、アーモ!』オーゲ・モーラ作です。
アパートのてっぺんの部屋で「とろーり とろとろ とくせいシチュー」を自分の夕食に大量に作ったおばあちゃん(アーモ)のお話。
その匂いをかいで、次から次へといままでおばあちゃんと会ったことがない人が現れ、みんなに分けてあげ、結果的に自分の分がなくなってしまうのです。
再考の夕ご飯になるはずだったのに、とがっかりしているとこへ
シチューを分けてあげた人たち全員が、こんどは「ぼくたち、わけてあげに きたんだよ!」
みんなが、いろいろな料理をもってきたのです。
せまい へやに みんな はいってきて、いっしょに
たべたり おどったり、 わらいあったりした。
とりーり とろとろ とくせいシチューのおなべは からっぽだけど、
アーモは うれしくて むねが いっぱいになった。
そう、アーモの ゆうごはんは、いままでで
さいこうの ごちそうに なったんだ。
日本では、昔々の長屋での生活のようです。
ギヴァーのコミュニティーのように、各戸に決まった給食が朝夜送り届けられるような仕組みでは起こりえないことです。そして、いまの日本のように分譲マンションやアパートあるいは団地などで、隣との接触がほとんどないような中でも、なかなか起こりそうもありません。
私たちは、どういうコミュニティーを望んでいるのでしょうか?
それよりも何よりも、自分だけでは食べられないぐらいに大量のシチューを作って、気前よく見知らぬ人に提供していく寛容さも、近代化(現代化?)とともに消え去っていきました。東日本大震災等の緊急事態の時などには、それが一時的に回復する時はあっても・・・