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2023年4月26日水曜日

日本の公共空間の貧しさ

 海外のストリート・ピアノ(『駅ピアノ』、『空港ピアノ』、『街角ピアノ』)は、どれも様になっています。日本では、同じようにならないだろうと思っていたら、挑戦した例があるそうです。https://news.yahoo.co.jp/articles/481b87e9632d7b20ad0ccad0060c4d56095e7b33

 いったい何が違うのか?

 公共スペースの捉え方、そこでの振舞い方、そこでのコミュニケーション(関係)の取り方などの違いです。

 

 なぜ、今そのことを書く気になったかというと、先週、車や路上でマイクをがなり立てる選挙があったからです。これも、完全に公共空間の使い方を知らない表れです。

常人であれば、ああいうやり方はおかしいと思えますが、それをやり続ける(マイクを大声を出す)人たちは「異常」なので(あるいは、その期間だけは、「何でもあり」と錯覚しているのか)人の迷惑を考えずに、やりたい放題です。(お騒がせして申し訳ありませんが、という人もなかにはいますが、言い続けながら、やめないということは、言わないのと同じです! 他の方法を思いつかないので、やり続けます、と宣言しています。)

 

 この選挙でがなり立てることが許されること/やめられないことと、ストリート・ピアノが機能しないことは、私たちが公共スペースの使い方という観点で問題を抱えているだけでなく、コミュニケーションの取り方(人間関係の築き方)でも問題を抱えていることを表しています。そんな状態で、世の中よくなっていくでしょうか?

2023年4月18日火曜日

4年に一度の騒音公害の1週間

窓を閉めていても、騒音が押し寄せてきます。(耳栓をしても、逃れられません!)

 

国会や都知事・議会選、そして市区町村の首長選は、カバーしなければならない広さが壁となっているのでほとんど騒音の被害はありませんが、市区町村の議会選挙だけはこの問題にさらされ続けます。

この騒音公害といい政治が行われることには、何らかの相関関係があるのでしょうか?

もしあるのなら、我慢もできますが、まったくないのではないでしょうか?

決め方が他の方法であれ、現状が大して変わるとは思えません。

何よりも、投じている税金はバカになりません! その税金を使っている人たちや選挙に関わっている人たちで、それが無駄金だと思っている人は、果たしてどれだけいるでしょうか?

いい政治をもたらすために機能していないのであれば、他の方法を真剣に考えられないものでしょうか? 無駄金を使わない静かな方法を。

毎度のことながら、そういうことを考えさせられる「騒音公害」の1週間です。

ちなみに、騒音公害を垂れ流す候補者は、バツを付けて私のリストから消えます。人への迷惑を考えられない人が、いい政治をやれるとは思えませんから。

 

ギヴァーのコミュニティーには、こういうことは起きません!

顔の見える関係なので「近所迷惑」は、許されませんから。

うーん、でも、スピーカーで流れる有線放送はありました。(あれも、いまの時代にはなんとかできそうな気がします! 何せ、30年前の作品ですから!!)わが市でもいまだに2時半の子どもの見守り有線放送は続いています。効果を考えると、この官製騒音公害も早くやめるべきです。)

こういう「偽りの見守り」や「偽りの民主主義」を変えていかないと、と強く思います。

2023年4月3日月曜日

お金が存在しない、ギヴァーのコミュニティー

 前回(エイプリル・フール)の書き込みについて考えていたら、これまで15年ぐらいこの本について考え続けていたのに初めて気づいたことがありました。

きわめて単純なことなのですが、ギヴァーのコミュニティーにはお金も、お店も存在しないということです。

 なにせ、総住民の数が3500人ぐらいに限定されていますから、それらの必要性がないのでしょう。

あるいは、それら(貨幣経済という商業ベースの社会構造)がいかに悪いことを起こすのかという反省の上で、葬り去った(リリースした)のかもしれません。

 あなたは、この点についてどう思いますか?

2023年4月1日土曜日

エイプリルフールから「クリティカルな思考」について考えた

いまとなっては、ハロウィンやヴァレンタインデーなどと比べると、エイプリルフールはマイナーな存在になっているでしょうか?(私が小学生だった頃~60年前は、輸入物のイベントはエイプリルフールぐらいしか知られていませんでしたから、けっこうみんなで噓の付き合いをしていました! そういえば、クリスマスはありましたが、いまほど商業的ではなかった気が・・・ということは、すたれるか栄えるかの分かれ目は商業的に取り上げられるか否かということ?)

 それでは、かなりまずいと思うのですが、クリティカルな思考を大事にしない日本社会では、誰かに頼る部分が大きく、商業資本の力が大きいままが続きます★。クリティカルな思考は、「批判的思考」と日本では訳されがちですが、それでは2~3割しか当たっていません。残りの部分は「大切なものを見極める力と、その逆の大切ではないものも見極める力」が占めています。

 この思考法というか能力は、人が生きていく際のすべてに関係しています。選択のことですから。何の昼食を摂って、何は摂らないのか。どのルートを通って何時までに通勤(通学)するのか、それともいつもと同じルートと時間のままか。誰とは話をして、誰とは話さないのか。どの本は読んで、どれは読まないのか。どの候補者(政党)を選んで、どれは選ばないのか・・・・などなど。http://thegiverisreborn.blogspot.com/2011/04/blog-post.htmlと深く関連します。

 クリティカルな思考は、21世紀に不可欠な「4つのC」の能力といわれて久しいのですが、日本では他の3つ(コミュニケーション力、コラボレーション=協働する力、クリエイティブ=創造力)ほど脚光を浴びることがありません。(中身を理解していないこと=訳語の誤りと、それの育て方が分からないことが原因にありそうです!)

 

★この要素を見事に描き出した図があります(出典:『あなたの授業が子どもと世界を変える』)

ほかには、ユーモアをどれだけ大事にするかとか、ユーモアが分かるのかとも関係すると思います。そのほかに考えられる要素には、どんなものがあるでしょうか?