『20歳のときに知っておきたかったこと』の本の中に、学校では問題がないことをよしとしたり、問題解決を避ける風潮があると書いてありましたが、昨夜読み直していた『リーディング・ワークショップ』の中で、「『ライオンと魔女』と同様に、教室で展開する授業にも一つだけ確かなことがあります。それは、問題が起こるということです」(80~84ページ)とあります。問題を隠してしまうアプローチではなく、チャンスと捉えるアプローチが大切なんだとつくづく思わせてくれます。
また、『20歳のときに知っておきたかったこと』では観察者であることの大切さも強調されていましたが(146ページなど)、この練習というか習慣も決定的に欠落しているのが、いまの学校です。しかし、『リーディング・ワークショップ』(や『ライティング・ワークショップ』)では、事のほか大切にしています。
リーディング・ワークショップは選書(自分にあった本を自分で選ぶところ)からスタートしますし、ライティング・ワークショップは題材探し(自分が書きたいテーマを選ぶところ)からスタートします。下の作家のサイクルと読書家のサイクルを参照。
問題・課題や観察することを大切にしているのは子どもたちはもちろんですが、教師もです。「子どもたちに話すこと」=「子どもたちに教えた」ではありません(90ページ)というスタンスなので、常に「子どもの状態を観察し、教える内容を選択して教える」(95~104ページ)を実践しています。残念ながら、これを今の日本の教室でしている先生は数えるほどしかいません。個々の先生たちが悪いのではなく、それをさせない仕組みを教育システムが作り出しているからです。
ということで、『リーディング・ワークショップ』(ルーシー・カルキンズ著)については、これまで何回となくその内容を紹介してきましたが(昨年の11月3日や、今年の4月28日や4月29日も)、『ギヴァー』と関連のある本としては位置づけていませんでした。遅まきながら、加えさせていただきます。
『ギヴァー』の世界も、日々行われている授業も(会議も)、そして先週あった(数年に一回繰り返す)選挙も、何の問題もないことを装っていますが、実は問題は山積みです。まずは、それを意識するかどうか、そして問題解決のサイクルを実行していくかどうかが問われています。そうしない限りは、良くなっていかないわけですから。
以下に、ライティング・ワークショップ(作家)のサイクルとリーディング・ワークショップ(読書家)のサイクルとを掲載しますが、これらは問題解決のサイクルや問いかけのサイクルと同じです。
問題はあって当然だし
返信削除問題がない空間やチームはあり得ないですもんね
そんなありえないものがあるとするならば
それは作り物であるような気がします
作っているのはもちろん当事者ではなく外部の人なのでしょう
ギバーの世界とつながります
問題がないように仕組まれた空間という点で
ちなみに、国政選挙が機能していないことによる税金の無駄づかいは800億円とか。
返信削除それに、機能しているとは言い難い議員たちの給料(一人当たり、2千万円だとか!?)+その他経費を加えたら、税金の無駄づかい額は、相当になります。
政治の世界は、『ギヴァー』の世界に相当前から浸りきっているようです。
ここ数年の政治というか、政権交代(劇)を見せられた選挙民は、回を重ねるたびに無力感を増していると思います。
「誰(どこ)が政権をとったところで、何も変わらない」を繰り返し見せ付けられるだけですから。
何も変わらないなら、井上ひさしさんが『吉里吉里人』の中で提案していた「タッチ制」で十分と言えます。誰がなったところで、どうで何も変わらないのですから。