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2011年1月27日木曜日

『自分を見つめ直すための108のヒント』

 『自分を見つめ直すための108のヒント』(ジョン・カバットジン著)と『ギヴァー』との関連は、自分の中でもまだはっきりしないものがありますし、108も書かれているヒントのうち半分以上はピンとこないものでしたが(その理由は、多分に私サイドにあるような気がしています。そして、108ものヒントの中で3つしかメモを取らなかったというのは、ちょっと足りなさ過ぎるな~、と思いつつ)メモを取ったものを紹介します。番号は、ヒントについた番号で、ページ数ではありません。0.5はヒントとヒントの間に置かれていた詩です。

17 生きていない時間
 気づかずに終わってしまった時間は生きていない時間です。ある一瞬に気づかないままでいると、次の瞬間も結局見逃してしまい、自覚を欠いた惰性的な日々を送ることになってしまいます。自覚を持った生活を送り、それをよりどころにして生きていきましょう。

29 いつ連絡できたとしても
 携帯電話や携帯用コンピューターで、いつでも誰にでも連絡が取れる時代になりました。でもそれと同時に、自分のことを気にかけない危険もおかしているのです。

30 ちょっと暇な時間
 ちょっと暇な時間ができたときに、誰とも関わらないでみたら? 暇な時間なんて、実はないのだと気づいてみたら? 電話のあちら側にいる人ではなく、こちら側の人、つまり自分自身とコミュニケーションをとってみたら? やり方を変えてみる気になったら、まずはスタートして、どうなるか最後まで見とどけてみたら? やる気をなくしたり途方に暮れたり、退屈とかちぐはぐとか、不安や憂鬱、もうちょっとやらなくてはだめだという義務感にかられるような瞬間でさえ、その感覚を純粋に味わってみたら?

53.5
 いつかきっと
 満足できるようになるなんて、
 それはあなたの勘違い。
 そのときは今。

100.5
 「発見の旅の本質は、
 新たな景色を探し求めれるのではなく、
 新鮮なまなざしを持つことである」    ~ マルセル・プルースト

2011年1月24日月曜日

かんたん詩

 いま、年間を通してライティング・ワークショップを実践するための研修に参加しているI先生の中学時代の教え子の加藤千恵さんが高校時代に書いていた短歌集の『ハッピーアイスクリーム』を読みました。(出版され、かなり売れている本です!)

 私が気に入ったのをいくつか紹介すると、

・避けられるものは 避けてく 避けられないものは 無理矢理でも 避けていく

・ゴミみたい 朝も学校も 教科書も ことばも音も 公衆電話も (→いまなら「携帯電話も」?)

・誰一人おんなじままじゃいられない それってすごいことなのかもよ

・どこまでも嘘つきながら歩く道 まっすぐだったり 傾いてたり

 短歌ですから、57577です。しかも、これは「かんたん短歌」というジャンルだそうです。それは、「ある程度誰にでもわかるんだけれど、個人的に広がるなにかも持っている短歌」だそうです。

 ちなみに、加藤さんは、この後も「かんたん短歌」を書き続けています。

 こういうセンス、とても大切にしたいな~、と思いました。(私も見習いたいと思い、ひねっていますが、なかなか出てきません!)
 そして、『ギヴァー』に通じるところさえ感じたので紹介しました。

2011年1月22日土曜日

ゾウの死、人の死

 141ページに書いてあるゾウのしたことは、いまや人間があまりやらないからかな~、と。少なくとも、ジョナスの世界ではやりませんし、私たちの世界でも死への接し方はこれまでとは大分違ったものになってきています。

 先日、『武士の家計簿』(磯田道史著)を読んでいたのですが、彼らは冠婚葬祭の(主に、生と死というか、家族を維持する)ために生きていたようなところがあります。

 以下は、その本からのメモです。(数字は、ページ数)


77 自分の知行地を知らなかった/知る必要もなかった武士たち。土地と切り離された存在だった武士たち。

78~84 親戚付き合い(=冠婚葬祭)が極めて大きなウェート(=出費)を占めていた武士たち

92~3 武士の離婚率は極めて高かった。財布も別だった。必ずしも、家に嫁いだわけではなかった。実家への帰属意識の方が強かったよう。

171 「明治新政府を自立した人々は、お手盛りで超高給をもらう仕組みをつくって、さんざんに利を得たのである。官僚が税金から自分の利益を得るため、好き勝手に制度をつくり、それに対して国民がチェックできないというこの国の病理はすでに、この頃にはじまっている。」 ~ 著者の官僚観というか、制度の見方が伝わってきますね。

218 家計簿等の記録から著者が教わったことは、「今いる組織の外に出ても、必要とされる技術や能力をもっているか」が人の死活をわける、ということ。

2011年1月20日木曜日

大人のブッククラブ①

以下は、新評論の新刊案内に掲載された記事の転載です。


★全国に感動の輪を広げている傑作小説『ギヴァー』。「読むことの教え方」を実践的に説いた『リーディング・ワークショップ』。この二冊の話題書の主題をむすぶ試みを、RWの実践に取り組んでおられる小学校教員の広木敬子さんに、二回にわたり綴っていただきます。


 小学校などの教員有志を中心に結成された私たちリーディング・ワークショップ(以下RW)・チームでは、従来の国語の授業の枠組みを飛び出し、子どもたちがもっと「読む」ことが好きになり、自立した学び手となれるよう支える「ワークショップ型」の授業づくりに取り組んでいます。

 授業の形の一つに「ブッククラブ(以下BC)」があります。教室が少人数のグループに分かれ、①読んでいる本について語り合い、②討議を通じて本から新たな意味をひきだし、③自分とは異なる多様な意見に真摯に耳を傾ける、というものです。

 このBCで生き生きと話し合い、時間がいくらあっても足りないくらい夢中になっている子どもたちの姿を私たちは知っています。この子どもたちの喜びをしっかりと捉え、BCのよりよい進め方や楽しみ方を模索していくために、私たちRWチームでは定期的に、自分たちも「読む」ことについて考えをより深める場として「大人のBC」を開催しています。

 選書は、教員自身が読みを深めておいてBCの授業ですぐに使えるように、子どもたちが好きな本や子どもたちに読ませたい本を優先的に選ぶことにしています。この大人BCで最初に選ばれた本が『ギヴァー』でした。その後、通算四回の大人BCで『ギヴァー』は二度選ばれています。何度読んでも新しい発見があり、その時々の自分に重なる問いを見出せるからです。たとえば生命、平和、自由、平等、愛、感情、家族、人生…『ギヴァー』のテーマはそれほど広く、深いのです。この本には、人生に起こるあらゆる出来事や問題が織り込まれているような気さえします。

 『ギヴァー』をめぐって、大人BCではこんなつぶやきが聞かれました。「二度目は初めての時より新しい読みができた」「苦しいストーリーに思えた。これはエンターテインメントではない、警告の本だ」「読めば読むほど意味が深まってくる」…。子どもたちのBCはだいたい二〇~三〇分間ですが、大人BCは約九〇分間行います。まず①自分の読みのテーマを決め、②時間を決めて一人ずつ自分の読みを話し、③最後は自由に語り合う、というスタイルで行っています。(ひろき・けいこ 横浜市立稲荷台小学校主幹教諭)

★写真キャプション:「大人BC」の模様


以上が掲載記事です。2回目は来月号に掲載されます。

若干、補足しますと、「子どものBCは、20~30分」と書いていますが、広木さんは3年生が担任なので、まだ1回で終わる本しか扱っていないのかもしませんが、4年生以上だと20~30分のを3~5回ぐらい続けてやります。
小学校の高学年以上になると、『ギヴァー』の本も4~7回ぐらいでやります。(分量によって異なり、BCのよさはチームにその分量も含めて、読む計画を任せる点にあります。)このブログで紹介したのは一昨年の小学校6年生も、昨年の高校1年生も、共に4回でやっていました。
本全部をいっしょに話すよりも、部分的に読んで話していく方が、盛り上がりがあるようですし、中身の濃い話し合いができることも多いようです。(話し合う分量が対象にとって適切にした方がいいということだと思います。)

2011年1月17日月曜日

すごい物語

旧知のAさんからのメールです。


1年ほど前に、「ギヴァー」の復刊のご案内をいただいておりました。

日暮しに追われて、本を手に取る機会がないまま、月日が経って
しまったのですが、先日、管理社会に関して夢を見まして、
「ギヴァー」を思い起こし、図書館で借りてきました。

なるほど、感動、職業、生と死など、重いテーマを考えさせてくれる
すごい物語ですね。

手元に置いておきたいと早速注文し、今日、手元に届きました。

すごい物語を復刊させるべくご尽力し、また紹介くださいまして、
ありがとうございました。

2011年1月15日土曜日

「未来の記憶」

 カークパトリック・ヒル著の『こんにちは アグネス先生』と、同じアラスカのことを書いている本としてシドニー・ハンチントン著の『熱きアラスカ魂』を読みました。

 後者の解説に、以下のことが書いてありました。

 60億を越す人口とグローバル経済を抱えた人類全体が狩猟採集時代に逆戻りできるはずもない。しかし、脱工業化時代のポストモダンな世界像に、狩人のモラルが新しい形で蘇る可能性、いや必要性はないだろうか。老シドニー(著者)が言外に訴え、星野(道夫)が写真と文章で伝えようとするのは、アラスカの大地に魂のヘソの緒をつないでしまった者たち独特の“未来の記憶”だ。星野はそれを、「原生林と鯨と氷河がみな同じものであること」であり、「世界が現在のような姿になるまでにかかった非常に長い時間のことであり、いいかえれば<永遠>なのだと語る(リチャード・ネルソン著の『内なる島』に引用された言葉より)。

 この「未来の記憶」という言葉、とてもいいと思われませんか?

 『ギヴァー』を読んでも、この「未来の記憶」を感じるのは私だけでしょうか?
 ジョナスは、最後の方でその「未来の記憶」の中をさまよっていたのではないでしょうか?

 ちなみに、『こんにちは アグネス先生』を読んでも、学校や教育というテーマの「未来の記憶」を感じました。
 たとえば、多様さ、自由さ、柔軟性、スケールの大切さ、時間軸の捉え方などです。

2011年1月12日水曜日

自分を生きる

 本物と偽物の続きといえば、続きです。

 内山興正著の『生命の実物』(=『座禅の意味と実際』)を読みました。

27(24) ふだんのわれわれの生活では、世間との関係(かねあい)、世間体、世間的評価としての自分においてのみ生きています。つまり自分の存在価値、存在根拠、存在確認を、他の中においてのみ見出し、自分というものはそういうものだと決めこんでいて、かえって本当に自己自らを行(ぎょう)じて生きるということを、特別のことのように思ってしまうのです。

→ 悲しいかな、そういう部分が多分にありますね。
   そういえば、阿部謹也さん  が行き着いた先も「世間」でした。

31(28) 心臓の鼓動は、私が動かそうと思うがゆえに動いているのでもなく、また生理学的、医学的規定によって動いているのでもなく、それゆえまさしくアタマで考え、言葉で規定する以上のところにある力です。しかし、それは事実、私自身において動いているのであるかぎり、これが私の生命の実物であることはいうまでもないでしょう...われわれは呼吸を、私のはからい以上の、何か大きな、事実働いている力にまかせきって眠るのです。

→ すごいことですよね、これは!!
  ある意味では、意識していたら、生きていくのが煩わしいわけですから。

33(29) 自己の生命の実物とは「ただかくの如く生きる」そのことです。思うから自分なのではなし、思っても思わなくても自分であるようなものこそ、私のいのちなのだからです。(自分が日本人であり、仏教僧侶でもあるように。)そして坐禅とは、この生命の実物を、まさしく実行することなのです。

→ ジョナスの生き方に通じる部分を感じませんか?
  別に足を組んで坐禅をすることだけが、坐禅をすることでもなさそうです。

2011年1月10日月曜日

本物と偽物

 一時は扱うことを断念したテーマですが、『ギヴァー』でははずせないテーマだと思ってずっと考え続けていました。それが、最近考えていた書くことにまつわる「本物と偽物」というか、本当に書くことと書いたつもりのレベル(イヤイヤ書かされる)の違いとヒットして、さらに今日紹介するマージェリー・ビアンコの『ビロードうさぎ』につながりました。

 ご存知のように『ビロードうさぎ』のあらすじは、ぬいぐるみのうさぎが本物のうさぎになることです。しかしながら、物語のおもしろさは「本物」とはいったいなんぞや、にあります。
 以下は、『ビロードうさぎのなみだ』マージェリー・W・ビアンコ作、谷口由美子訳、吉永純子絵、文研出版、12~16ページからの引用です(レスリー・クリステン著『ドラマ・スキル』新評論、162~3ページに再録)。


「ほんものってなに?」

ある日、うさぎがたずねました。うさぎと馬は、子どもべやのだんろのかこいのそばに、なんらでにころがっていました。まだ、ばあやがへやをかたづけにきていないので、おしゃべりができるのです。

「ほんものって、体の中にジージー音がするものがあって、そとにねじがつきだしているもののこと?」

「体がどうつくられているかじゃないんじゃよ。」

と、皮の馬がせつめいします。「おまえにおこることなんじゃ。子どもが長い間おまえをかわいがってくれて、ただおもちゃとしていっしょにあそぶだけじゃなくて、ほんとうにおまえをすきなってくれたときに、おまえはほんものになれるんじゃよ。」

「つらいことなの?」と、うさぎがききました。

「つらいこともあるよ。」と、しょうじきものの馬が答えます。「じゃが、ほんものになれば、つらいことなんか気にならなくなるさ。」

「ぜんまいをまかれたときみたいに、いっぺんにほんものになれるの? それともちょっとずつ?」

「いっぺんになれるわけじゃない。」と、皮の馬が答えます。「だんだんなっていくんじゃ。長いことかかってな。じゃから、すぐこわれてしまったり、かどがするとくとがっていたり、ていねいにあつかわないといけないおもちゃたちは、めったにほんものになれないわけじゃ。だいたい、ほんものになるころには、おまえのけはかわいがられてほとんどぬけしまうし、目玉もとれて、体のつなぎ目がぐらぐらして、ひどくみすぼらしくなってしまうんじゃ。じゃが、そんなことはどうでもいい。いちどほんものになってしまえば、みにくいなんてことはない。それがわからないものたちにとっては、みにくく見えるんじゃろうがね。」


 とても深いと思われませんか?

2011年1月5日水曜日

本屋さんのこだわりの本 ②

①の続きです。(記事を2度クリックすると、文字を大きくして読めます。)


本屋さんのこだわりの本 ①

 昨年の3月15日に登場してくれた福島県郡山市のみどり書房桑野店の東野さんが、日販通信の12月号でも『ギヴァー』へのこだわりを熱く語ってくれていますので、紹介します。
(記事を2度クリックすると、文字を大きくして読めます。)