一時は扱うことを断念したテーマですが、『ギヴァー』でははずせないテーマだと思ってずっと考え続けていました。それが、最近考えていた書くことにまつわる「本物と偽物」というか、本当に書くことと書いたつもりのレベル(イヤイヤ書かされる)の違いとヒットして、さらに今日紹介するマージェリー・ビアンコの『ビロードうさぎ』につながりました。
ご存知のように『ビロードうさぎ』のあらすじは、ぬいぐるみのうさぎが本物のうさぎになることです。しかしながら、物語のおもしろさは「本物」とはいったいなんぞや、にあります。
以下は、『ビロードうさぎのなみだ』マージェリー・W・ビアンコ作、谷口由美子訳、吉永純子絵、文研出版、12~16ページからの引用です(レスリー・クリステン著『ドラマ・スキル』新評論、162~3ページに再録)。
「ほんものってなに?」
ある日、うさぎがたずねました。うさぎと馬は、子どもべやのだんろのかこいのそばに、なんらでにころがっていました。まだ、ばあやがへやをかたづけにきていないので、おしゃべりができるのです。
「ほんものって、体の中にジージー音がするものがあって、そとにねじがつきだしているもののこと?」
「体がどうつくられているかじゃないんじゃよ。」
と、皮の馬がせつめいします。「おまえにおこることなんじゃ。子どもが長い間おまえをかわいがってくれて、ただおもちゃとしていっしょにあそぶだけじゃなくて、ほんとうにおまえをすきなってくれたときに、おまえはほんものになれるんじゃよ。」
「つらいことなの?」と、うさぎがききました。
「つらいこともあるよ。」と、しょうじきものの馬が答えます。「じゃが、ほんものになれば、つらいことなんか気にならなくなるさ。」
「ぜんまいをまかれたときみたいに、いっぺんにほんものになれるの? それともちょっとずつ?」
「いっぺんになれるわけじゃない。」と、皮の馬が答えます。「だんだんなっていくんじゃ。長いことかかってな。じゃから、すぐこわれてしまったり、かどがするとくとがっていたり、ていねいにあつかわないといけないおもちゃたちは、めったにほんものになれないわけじゃ。だいたい、ほんものになるころには、おまえのけはかわいがられてほとんどぬけしまうし、目玉もとれて、体のつなぎ目がぐらぐらして、ひどくみすぼらしくなってしまうんじゃ。じゃが、そんなことはどうでもいい。いちどほんものになってしまえば、みにくいなんてことはない。それがわからないものたちにとっては、みにくく見えるんじゃろうがね。」
とても深いと思われませんか?
0 件のコメント:
コメントを投稿