2012年11月30日金曜日
コントロールについて
さらにコントロールについてのTさんとのやり取りの続きです。
Tさん:
そうですね。
コミュニティの人たちはコントロールされている気がします。
特にお薬が不気味です。
「高揚」を抑える薬ということですが、本当は他の作用も
いろいろあるんではないか、という気がしています。
日本も同じなのでしょうか?
そう言われると、私たちはコントロールされていないと思って
いますが、気付いてないだけでされているのかもしれませんね。
薬ではなく、メディアなどで。
同じコントロールされるなら良い方にコントロールされたいです。
ここ何日か考えていて、私がコミュニティに行きたいと思っていた
理由も少し分かってきました。
一つには「将来に対する不安」がないからです。
人に敬意を払われなくとも、寿命を迎えるまでとり合えず
普通に生活できますよね、コミュニティでは。
私自身は、現在仕事についていますが、高給なわけでもなく
この先ずっと働いて生きていけるのか、とても不安なんです。
現実に仕事をなくして住むところもなくして飢えて死んでしまう
人たちがたくさんいます。
私もそうなる気がして不安なんです。
(だから、任命してもらって自分にできる仕事をし続けられる
のがうらやましいと思います)
そして「不安」とは何かを考えてみるとそれは「明日も無事に
すごしたい」という欲から出て来ているのではないかと
思いました。
コミュニティの人たちは「欲」が全然ない気がします。
それも私がコミュニティに行きたい理由です。
欲がないのはみな平等であり、手に入れている物以外を
知らないからだと思いますが。
小さなコミュニティに暮らせば、私も平穏に過ごせるのでしょうか?
とても個人的な問題になってしまい、恥ずかしいです。
私:
先が見えない不安というのは、日本に住む多くの人(特に、
若い人たちが★)が抱えている大きな問題だと思います。
そんな悲しい問題をなぜ作り出してしまっているのこそを
解明し、改めていかなければいけないのですが、そのことに
注目している人はそう多くありません。
アレックス・カーという日本に住んだ年数がとても長い人が
書いた『美しき日本の残像』と『犬と鬼』を読んでみてください。
日本流のコントロールの仕方というのが、よくわかると思い
ます。する側もされる側も「コントロール」という意識はほとんど
もっていないと思うので、「洗脳」と言ったほうが正しいかも
しれません。(する側に「洗脳している」という意識もないと
思います。まさに、第二次世界大戦に突入していったのと
同じことが、歴史上何度も繰り返されているのが、この日本
という国なんだと思います。)
吉田新
追伸: 「小さなコミュニティなら平穏に過ごせるか?」
もちろん、理想郷をこの地球上で探すのは難しい
かもしれませんが、個人の自由の部分とコミュニティ
の維持のバランスを図って努力しているところは
この日本(の中の市や町や村など)よりは他のところ
にたくさん見いだせるのではないかと思います。
顔の見える関係というのは、とても大切だと思います。
それがあるだけで、原発をつくるということも、できなく
なります。電力会社、役所、地元が顔の見えない関係
になっているので、つくられてしまっていると思います。
そして、結果に誰も責任をもたなくてもいい構造にまで
なっています。
顔の見えるレベルでの判断と、見えないレベルでの判断
は自ずと違うと思うんです。大分県の姫島村のような
判断が成り立つわけですから。
個人的な問題と社会的な問題は、常にコインの裏表
の関係でつながっています。その意味で、両方が同じ
レベルで大切だと思います。
★ 40代、50代以上の人は、なんとか自分たち
ぐらいまでは大丈夫だろうと・・・
ましてや、60代以上が多い政治家たちは
何をしようが関係ない世界の人たち、という
気がします。
2012年11月23日金曜日
個々の特性をみいだし、いかす
その後も、Tさんとの観察についてのやりとりが続いています。
Tさん:
ブログを拝見いたしました。
カンファランスが観察になるんですね。
私が想像していたのと、ずいぶん違います。
カンファランスの実際を私が知らないので、
思いつきませんでした。
ということは、今の日本の学校でカンファランスを実行している
先生方は子どもたちの適性が分かったりするのでしょうか?
(それはすごいですね。私にもカンファランスして
もらって、適性を教えてほしいです。私はいまだに
自分の適性が分からず人生をうろうろしています)
でも、コミュニティの子どもたちはいろんなところで
統制されたりしているので、こちらの世界のカンファランスと
少し違ったものになるのではないでしょうか?
長老といってもやはりコントロールされているんですよね。
うーん。
私:
日本で、観察を含めたカンファランスができる教師は、
残念ながらライティング・ワークショップを実践している
ごく少数の先生だけにとどまっています。
ほとんどの先生は、一斉授業をするのに忙しく、
生徒の話を聞いたり、様子を見たりする必要性すら
感じていないのが現状です。
相手のことを知らない限りは、よく教えることなどできる
はずがないのに。
「コミュニティの人たちは統制されている/コントロール
されている」という意識が、Tさんは強いですか?
私は、ほとんど日本と同じだな~、と読んでいました。
3500人の小さなコミュニティなので、それぐらいしないと
生き延びれないという意味でも。
たくさんの中に埋もれてしまえませんから、自分のいい
ところを開花させるためには、いまの日本よりははるかに
いい仕組みになっていると思うぐらいですが、いかがでしょうか?
小さく閉じた社会の宿命みたいな部分もある気もします。
大きくないなら、かえってその方がいい????
日本の中にも、まだそういうところは結構あるのかも
しれません。
Tさん:
ブログを拝見いたしました。
カンファランスが観察になるんですね。
私が想像していたのと、ずいぶん違います。
カンファランスの実際を私が知らないので、
思いつきませんでした。
ということは、今の日本の学校でカンファランスを実行している
先生方は子どもたちの適性が分かったりするのでしょうか?
(それはすごいですね。私にもカンファランスして
もらって、適性を教えてほしいです。私はいまだに
自分の適性が分からず人生をうろうろしています)
でも、コミュニティの子どもたちはいろんなところで
統制されたりしているので、こちらの世界のカンファランスと
少し違ったものになるのではないでしょうか?
長老といってもやはりコントロールされているんですよね。
うーん。
私:
日本で、観察を含めたカンファランスができる教師は、
残念ながらライティング・ワークショップを実践している
ごく少数の先生だけにとどまっています。
ほとんどの先生は、一斉授業をするのに忙しく、
生徒の話を聞いたり、様子を見たりする必要性すら
感じていないのが現状です。
相手のことを知らない限りは、よく教えることなどできる
はずがないのに。
「コミュニティの人たちは統制されている/コントロール
されている」という意識が、Tさんは強いですか?
私は、ほとんど日本と同じだな~、と読んでいました。
3500人の小さなコミュニティなので、それぐらいしないと
生き延びれないという意味でも。
たくさんの中に埋もれてしまえませんから、自分のいい
ところを開花させるためには、いまの日本よりははるかに
いい仕組みになっていると思うぐらいですが、いかがでしょうか?
小さく閉じた社会の宿命みたいな部分もある気もします。
大きくないなら、かえってその方がいい????
日本の中にも、まだそういうところは結構あるのかも
しれません。
2012年11月15日木曜日
『ギヴァー』は、ディストピア小説?
もちろん、何をどう読むかは読み手それぞれの自由であるという大前提のもとで★、
『ギヴァー』をディストピア小説やSFと捉えて読んでいる人が結構多いことに驚きます。(単に、そう捉え方をする人たちが書評を書くタイプの人たちなのかもしれませんが。)
もちろん、そういう色眼鏡を通して見ることの面白さや得るものもあるとは思いますが、私のようにその色眼鏡がかけられない者からすると、「もったいないな~」と思うばかりです。(少なくとも、書評を読む限りは。)
著者本人がSFもディストピアも描くつもりはまったくなかったのですから。★
そもそもジャンルに分けることの意味は何なのでしょうか?
読み手にとって、それはプラスになるのでしょうか? それとも、マイナスになってしまうのでしょうか?
★ このことからも、読むものというのは、著者本人の思惑とは別次元のものであることがよくわかります。読者の自由なわけです。なのに、私たちは国語の授業では「作者の意図は?」ばかりを考えさせられます。授業ですることと、私たちが実際にすることは、ほとんど逆さまです。
話が逸れてしまいました。別に学校の授業が正しい、と言いたいのではありません。
色眼鏡を通して読むことの是非について考えたかったのです。
それは、社会を色眼鏡で見ることにつながってしまう可能性もあるからです。
もちろん、人は何らかの色眼鏡でしか読めないし、見られない部分は否定できませんが、できるだけ色眼鏡の色を薄くする努力はし続けたいものです。
2012年11月10日土曜日
くらし
詩が続きます。
とはいっても、前回の詩よりも、谷川俊太郎の「生きる」の方により近い詩かもしれません。
それは、石垣りんの「くらし」という詩です(『石垣りん詩集』ハルキ文庫・1998年)。
くらし
食わずには生きてゆけない
メシを
野菜を
肉を
空気を
光を
水を
親を
きょうだいを
師を
金もこころも
食わずには生きてこれなかった。
ふくれた腹をかかえ
口をぬぐえば
台所に散らばっている
にんじんのしっぽ
鳥の骨
父のはらわた
四十の日暮れ
私の目にはじめてあふれる獣の涙。
これを読み返していたら、『ギヴァー』よりも、『こども東北学』(山内明美著)の中に書いてあったことを思い出してしまいました。
2012年11月6日火曜日
『ギヴァー』に通じる詩?
めには みえない
ためいきって めにはみえない
かぜと おんなじ
よるって めにはみえない
あさが きてしまうと・・・
めにみえないの
なくしたものは
もう みつからないの
でも
めをつぶれば
あたまのなかに
なんでも みえる
この詩は、『だいすき ~ そんな きもちを つたえてくれる ことば』というタイトルの絵本(ハンス&モニック・ハーヘン作、マーリット・テーンクヴィスト絵)に載っていました。
マリット・テーンクヴィストは、『愛に ついての ちいさな おはなし』というのもかいています。
2012年11月3日土曜日
『ギヴァー』のコミュニティにおける評価/観察 2
Tさんの選考の際の観察についての疑問(=斜体の字)を
私なりに考えてみました。
①長老たちが入念な観察を行っているという記述
はあるが、具体的にはどのようにしているのか?
②子どもたちの行動を物かげから探偵のように
こっそり調べて、その場で手帳にペンで書き込んで
いるのか?
③でも子どもたちは観察されているのは気付いて
いるので、隠れたりせず堂々と観察しているのか?
④子どもたちは観察されると、それを意識しての
行動になったりしないのか?
→ 私が思うに、基本的にはライティング・ワークショップや
リーディング・ワークショップで教師たちがカンファランス
の時間にしていることだと思います。
(ただ、カンファランス=直接話すことはせずに。)
あるいは、私が『校長先生という仕事』を書く時に使った
シャドーイングという方法を使っているのかもしれません。
それは、本人の了解を得て、ひたすら影になってあとをつける
という方法です。1日あとをつけていると、すごいたくさん
のことがわかります。
⑤ひょっとしたら写真などを撮っていたりするのか?
それとも監視カメラがあったりするのか?
(スピーカーはあった気がする)
⑥毎日の行動をずっと尾行したりしているのか?
その場合、老人なのに子どもの動きについていけるのか?
(長老って何歳なの?)
⑦1人の長老が1人をずっと観察するのか、数人が
数人を観察するのか、それともある分野ごとに観察
するのか?
⑧観察して得たデータはやっぱりコンピュータにでも
入っているのか?
本を読んだ時に私の中では、よぼよぼのおじいさんおばあ
さんが、こっそり子どもたちを観察し、疲れて息が上がっ
ている様子が浮かび、コミカルに思えました。
→ 監視カメラを使って、という可能性もなくはないと
思いますが、その確率は低いように思います。画面を通じて
見えるものと、直接眼で、全体の雰囲気というか関係性まで
含めて見られるものとはかなり違いますから。
そうでないと、ジョナスをレシヴァーに選んだり、アッシャー
をレクリエーション副監に任命することは難しい気がします。
カンファランスやシャドーイングをした経験から言えば、
毎日尾行する必要はありません。
また、基本的には一人が数人を担当しているんだと思います。
たとえば、10人の長老がいたとして、一つの年齢層が50人
いますから。5人です。
しかし、観察は11歳のときだけではなく、最低でも3~5年
間はしています。(ひょっとしたら、もっと長い期間)
従って、一人の長老の担当は20人とか30人ぐらいはいるの
かもしれません。
学校の先生のことを思い出せば、そのぐらいの人数は大して
多いとは言えません。
判断をしかねる難しい対象(たとえば、ジョナス)の場合は、
複数の長老が観察に当たった可能性はありますが、フィオナ
のように極めてシンプルな場合は一人でも十分だと思います。
「長老」というタイトルはついていますが、いいところ50代
ぐらいまでの人たちだと思います。
日本の政治家や経済人たちのように70代、80代になっても
がんばっているという姿はないと思います。(日本においては、
公害ならぬ、老害と言ってほぼ間違いないのですが。)
欧米の政治家やビジネスマンは、60歳ぐらいになったら第一線
から身を引く人が多いです。ライフ・ステージというのをわきまえ
ているからです。従って<老年者の家>も、日本の老人ホームのように
暗いイメージよりも、第一線を引いた人から死を迎えるまでの
幅広い層を対象にしている感じがします。
要するに、欧米には結構多く存在する「リタイアメント・ビレッジ」
の感じです。(いたって元気の人から、介護を必要とする人まで
その幅は広いです。それに対して、日本の老人ホームは残念ながら
「介護施設」になっています。そのあり方はまったく違います。)
そういえば、<主席長老>は女性ですね。
そして、あまり年齢を感じさせない話し方だったと思います。
ジョナスの<リシーヴァー>への選択の説明を聞いていて、そう感じ
ました。
Tさんの質問のおかげで、いろいろなことを考えることができました。
ありがとうございました。
2012年11月1日木曜日
『ギヴァー』のコミュニティにおける評価/観察
このテーマについて、Tさんから以下のメールを
もらいました。
『ギヴァー』の長老たちによる任命のための選考の
観察について、私が思いついた疑問点(感想)を書
き連ねてみました。
①長老たちが入念な観察を行っているという記述
はあるが、具体的にはどのようにしているのか?
②子どもたちの行動を物かげから探偵のように
こっそり調べて、その場で手帳にペンで書き込んで
いるのか?
③でも子どもたちは観察されているのは気付いて
いるので、隠れたりせず堂々と観察しているのか?
④子どもたちは観察されると、それを意識しての
行動になったりしないのか?
⑤ひょっとしたら写真などを撮っていたりするのか?
それとも監視カメラがあったりするのか?
(スピーカーはあった気がする)
⑥毎日の行動をずっと尾行したりしているのか?
その場合、老人なのに子どもの動きについていけるのか?
(長老って何歳なの?)
⑦1人の長老が1人をずっと観察するのか、数人が
数人を観察するのか、それともある分野ごとに観察
するのか?
⑧観察して得たデータはやっぱりコンピュータにでも
入っているのか?
本を読んだ時に私の中では、よぼよぼのおじいさんおばあ
さんが、こっそり子どもたちを観察し、疲れて息が上がっ
ている様子が浮かび、コミカルに思えました。
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