645年→646年に変わった大化の改新に「そもそもなかった」説、という記事がありました。
このブログでも、歴史というのは見る者(視点)によって、さまざまだということは繰り返し書いてきました。
しかし、日本の社会は、教科書に書いてあることは「正解」だとかたくなに信じる傾向があり、またマスコミも、それを煽り続けています。そんなものは、あるわけがないのに。政治家(や学者)も、自分が信じたい歴史的な解釈ないし認識を教科書に盛り込みたいという傾向を顕著にもっています。
一方で、またまた、暴言失言連発の石原さんがやってくれました。
マスコミも、こういうのはあえて記事として扱わない、という判断ができるようにならないと困ります。記事にすべきものとそうでないものの取捨選択能力がないのですから。彼の言うことに何ら新しさの欠片もないのですから。
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