前は『チェロの木』で紹介しましたが、絵本『ルリユールおじさん』で有名な(そして、ゴッホと宮澤賢治をライフワークにしている)いせひでこ作の『大きな木のような人』を読みなおしました。2度目です。1度目には気づかなかったことに気づきました。
『ギヴァー』とは、真逆な世界を描いているのでは、と。
表紙の裏には、「その木は、なにも語らない。
でも、たくさんの物語を知っている」
7ページには、「人はみな心の中に、一本の木をもっている」
49ページには、「大きな木よ。じっと記憶する木よ。
おまえは見てきたものに、わたしは耳をすます。
おまえから生まれたことばが、わたしの物語になる」
などと書かれています。
木と人間の大切なつながりが書かれた絵本です。(『チェロの木』も、そして『ルリユールおじさん』もそうでしたが。)
それに対して、『ギヴァー』の世界には木はあります(戦争ごっこのシーンを思い出してください)が、木の色はありません。季節もありません。気を育てるということもありません。世界の中の木を集めるという発想もありません。
『大きな木のような人』の主人公は、日本人の女の子の<さえら>です。(舞台は、パリ?)
フランス語で、<あちこち>という意味らしいです。
そういえば、『ギヴァー』のテーマのひとつが、elsewhere(いずこ)でした。
ここだけは、共通するかも?
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