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2014年4月8日火曜日

『ギヴァー』と関連のある本 103



死との関連で『グレース&グリット』ケン・ウィルバー著を読みました。
graceは、恩寵、神の愛(寛大さ、優しさ、柔軟性、上品さ、美しさ)という意味。gritは、勇気、根性、気概。それぞれ、全部含まれている気がしました。トレヤは、ガンで亡くなった著者のケン・ウィルバーの奥さんの名前です。

上巻
70~1 illness sicknessの違い
  疾患には、特別な意味はない。山が善でも悪でもないように、ただ存在するだけ。
  病は、患者が自分の社会や文化の、その疾患との関わり方と直面する部分のこと。それは、特定の社会が疾患の各々に結びつける判断、恐れ、希望、神話、物語、価値、意味といったすべてのものと直面する。

80~82 病気の、11の異なる捉え方: キリスト教原理主義、西洋医学、カルマ理論、心理学、グノーシス派、実存主義、ホリスティック医学、魔術、仏教、現代科学

98 行動(何をするか)vs. 存在(どう在るか)  前者は男。後者は女。
 行動は、生産、つくり出す、達成、攻撃的、競争的、権力階層、未来志向、規則・判断。現状を「より善いもの」に変える試みを重視。
 存在は、現状を喜んで受け入れることにあり、何をなしうるかによってではなく、あるがままを受け入れることにある。関係性、包含性、受容、共感、愛。

167 瞑想リトリート(10日間) ~ 日に10時間の呼吸
    見守る感覚
168 エネルギーを感じられるようになる

下巻
4 トレヤの変化=再生
10 西洋医学は種が尽きた
62 3年目からの治療法

128 要求の多い患者 > (医者にとってはありがたい)よい大人しい患者
129 楽しめる患者  > (医者にとってはありがたい)よい大人しい患者  ~ 要するには、後者であり続けることは、本人にとってはもちろん、医者にとっても、医学界にとっても、社会にとってもよくないということ

156~7 「私とは誰か?」 昔は自己と他者との間に区別をつけていた。そのことが、本当の自分自身に親切にすることをさまたげていた。この区別の中に閉じ込められていると、もし他人に親切にすると、自分が損をしたように感じるし、逆に自分に親切だと、自分がけちでさもしい人間に思えてしまう。でも、もう、そんな思いを手放して、人に与えることが楽にできるようになった。なぜならそれは、自分と他人を同時に楽しませることだからだ。

175 トレヤは現在を生きることによって、未来をあてにして生きるのを拒むことによって、まさに死を自覚して生きるようになったのだ。死とは、未来をもたない状態だ。

 エマソンの一節:
   私の窓の下に咲く薔薇は、昔の薔薇やもっときれいな薔薇とは関係がない。それらはただ、そこにあるがままの薔薇であり、今日という日を、神とともに過ごしている薔薇だ。彼らにとっては時間など存在しない。ただここに薔薇があるだけ、そしてその薔薇は、一瞬一瞬が完璧な存在なのだ。だが人は、先送りにしたり、思い出したりする。げんざいに生きることなく、自分を取りまく豊かなものを無視して、回顧のまなざしで過去を嘆き、爪先立ちで未来を予測しようと試みる。人間も時間も超えた現在の中で自然と共に生きないかぎり、幸せにも強くもなれない。

220 情熱的な無執着

325~6 ゲーテの作品の一節: 「熟したものは、みな死を願う」
  トレヤの人生を要約する言葉 ~ 「恩寵と勇気。あること」と「すること」。平静さと情熱。明け渡しと意志。完全な受容と猛烈な決意。こうした魂の2つの側面、彼女が全人生をかけて闘い取り、そしてついにひとつの調和した全体性に統合することができた、この2つの側面 ~ これが、彼女が後に遺そうとした最後のメッセージだった。

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