今回のタイトルは、「安倍さんの世間 それとも、単なる私物化?」でいこうと思いましたが、後者は除くことにしました。でも、それがメインのテーマであることには変わりありません。
日本に数多く存在する学者の中で、ほとんど唯一、私が人に紹介したいと思えるのは中世ヨーロッパ史の研究者で一橋大学の学長もした阿部謹也という人です。『ハーメルンの笛吹き男―伝説とその世界』に1980年ぐらいに出合って、その後、中世ヨーロッパについて書いているほとんどの本を読みました。
その彼が、自分の人生の最後の10年ぐらいを費やしたのが、「世間」の研究というか解明と紹介だったのです。「社会」と「世間」は同じようでまったく違います。片方は開いていますが、もう一方は閉じています。閉じているがゆえに、大きな問題も抱えています。阿部さんは、主には大学ないし学会という世間を中心に論じていました。なんとか改善させたいと! しかし、閉じていますから、阿部さんも太刀打ちできませんでした。
安倍さんにまつわる諸々の問題も、その「世間」が巻き起こしている問題と言えます。安倍さんは日本の首相という立場でありながら、実は彼の中では自分を取り巻く「世間」のことしか考えていないことがよくわかります。彼の世間の内側の人と、外側の人とで明快な区別が行われています。日本の政治とは、そういうものと言ってしまえば、それまでですが・・・・しかし、リーダーたるもの、それを貫き通していいのかとなると、まずいに決まっています。歴代首相の中で、安倍さんはその線引きが最も弱い人なのかもしれません。(ちなみに、「民主主義」について、日本の住民はそれを紙の上で知っているだけで、体験を通してしりません。そんな国が、改憲をしてしまうと、何も止めるものがなくなってしまう可能性が大です! もちろん、安倍さんの独裁的ともいえる物事の進め方の問題は大きいですが、それに対してまったくチェック機能を果たせない野党の非力は自分たちの存在感を無に等しい状態にしています。)
この辺のことは、『ギヴァー』のコミュニティーのリーダーシップのあり方と対比して考え続けています。
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