前回の最後の部分
今の日本も過去から学び、未来に生かすべきことがたくさんある。特に今は原発に関して、学んで未来をつくらなければいけないのに、政府は再稼働する気だなんて何も学んでいない証拠。。。
については、考え続けていました。
原発も含めて、年金にしても、介護等の福祉にしても、教育にしても、決定権をもっているのは、『ギヴァー』の社会も、日本も、そして地球上のほとんどの社会も、ほとんどが50歳以上の男たちで構成される長老たちです。
そうである限りにおいては、いまの子どもたちや女たちが望んでいることとは違う決断が下され続けることは明白です。
長い間生きているということは、本当に知恵を蓄積していることとイコールでしょうか?
たくさんのことを体験したり、教えられたことは、たくさんのことを学んだり、会得していることとイコールでしょうか?
悪い習慣をたくさん引きずっていることとイコールではないでしょうか?
考え続けていた中で思いついたことの一つは、残りの人生(予想生存年数)に応じて投票権を少なくしてみてはどうかな、というアイディアです。つまり、たとえば60代の人が1なら、40代は2、20代は4(10代は5?)という具合のウェート付けです。ちなみに、こう書いた本人はもうすぐ60に手が届こうとしています。
そうしたら、いまよりはマシな社会にひょっとしてなるかも、と思ったりしてしまいました。いまの選挙の制度である限りは、夢想とは思いつつ。
以上のようなことと並行して、「プロとはいったいどんな存在なのか」や「民主主義とはいったいなんぞや」ということも考えさせられ続けました。
例えばですが、こんなことを当たり前にしていますから。
http://www.asahi.com/politics/update/0517/TKY201205170562.html
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