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2013年1月29日火曜日

太平洋の島々

 かれこれ30年前のことです。
 太平洋の島々を、2か月以上の旅をしたことがあります。

 オーストラリアを出発して、まずはニューカレドニア。次は、トンガ。トンガとアメリカン・サモアの間は、船を使いました。客船はないので、貨物船の甲板でした。次は、その旅の目的地であった西サモア。『パパラギ』を日本にいるときに読んだのが半年以上の旅に出るそもそものきっかけだったのですから。ここには3週間ともっとも長くいました。そして、鳥の糞でできた島のナウル、さらにポナペ、トラック、最後はグアム経由で日本に戻ってきました。

 なぜ太平洋の島々のことを書くかというと、どこか『ギヴァー』のコミュニティと似たところがあると思ったからです。
 『ギヴァー』のコミュニティは、もちろん島ではありません。ジョナスが、ゲイブを自転車に乗せて何日も何日もこいで脱出したのですから。
 でも、周りとのかかわりで、そういう感じがする、ということです。
 完全にではなくても、かなり閉鎖されたコミュニティです。

 私が訪ねた太平洋の島々も、食料に関してはほぼ自給自足しています。隣の島が離れすぎているのですから、自給自足以外の選択肢がないと言えばそれまでですが。でも、当時も結構缶詰を中心に輸入品は増えているようでした。
 特にアメリカの統治下にある島々では、昔ながらの食事をせずに、アメリカ型のファーストフード(=ジャンクフード?)が流行っていて、極めて不健康な状態になっていました。

2013年1月27日日曜日

地元の野菜販売の変遷  JAを中心にして


 私の家族がいま住んでいるところ(東京の郊外)に引っ越してきたのは、 15年半前です。

 当時も、各農家の庭先などで野菜の無人販売をしていたところは結構ありました。

 JA(当時は、農協と言ったでしょうか?)でも、青年部の人たちが土曜日の午前中だけ駐車スペースを使って、野菜の販売をしていました。

 それが5~6年前には、肥料やタネを売っているスペースを野菜の販売スペースに転換し、去年リニューアル・オープンした新しい建物では、1階の中心的なスペースが野菜の販売スペースになっています。

 数年前までは、散歩がてら店を閉める5時近くに行っても、結構野菜は残っていたのですが、最近はもう残っていません。午前中で、ほとんど売れてしまうそうです。それほど便利な場所にあるとは思えないのにです。それだけ、新鮮野菜と地元野菜(安心野菜?)への関心が高まっているということだと思います。

 『ギヴァー』のコミュニティでも、野菜を他のコミュニティから買っているというようには思えないので、自分たちの地域の中でつくっているのだと思いますが、誰が、どのようにつくっているのかは皆目わかりません。つくっていること自体、想像できない社会でもあります。農作業につくような子どもが選ばれていたとは、ジョナスがレシヴァーに選出された時も、覚えていません。従って、食事は係が各家に届けてくれるのですが、それは、宇宙船のようにすでに加工されたものであるようなイメージを持ってしまいます。

2013年1月25日金曜日

問いの大切さ


 亡くなられた林竹二先生に教えていただいてはじめて知ったことであるが、ソクラテスは、都市国家アテネの全盛期に咲いた花ではなかった。アテネは戦いに敗れ、小アジアや他の国々から、さまざまな考えた流入して、今まで誇っていた価値観が崩壊して、人々は、何を根底として世界を、みずからを考えればいいのか動揺していた。その混乱のなかに現れたのがソクラテスなのだということである。
 彼は、一人一人と問答して、その人が当然と思いこんでいた考えの根底が、じつは、きわめていいかげんな、なんの吟味も経ていない思いこみにすぎないことを暴露し、気づかせていった。それが問いということの出発点であった・・・・

 以上は、しばらくぶりに読み直した『イメージをさぐる』(鳥山敏子著)の解説として竹内敏晴が書いたコメントの一部です(269~270ページ)。

 これって、『ギヴァー』のコミュニティに、そしていまの日本にも当てはまると思われませんか?

 

2013年1月24日木曜日

星新一の「いじわるな星」


 星新一の文庫本『白い服の男』の中に、「いじわるな星」というショート・ショートが含まれています。

 宇宙パトロール隊によって、たまたま発見されたジフ惑星。そう大きな惑星ではないが、海があり川があり、山があり谷があり、森や野原もあるというのだ。
 そこで、第一次基地建設隊が送られたが、豪華な食事の幻でノイローゼになって地球に帰還。
 第二次隊は腕のいい料理人とたくさんの食料をつんで行ったが、今度は美女の幻に悩ませられてノイローゼになり帰還。
 第三次隊は料理人と材料、よりすぐった美女たちを同行してジフ惑星へ。しかし、今度は宝石、ミンクのコート、美しい服、上等な化粧品などの幻が出現し、女性たちがヒステリー状態になり、再度帰還。
 第何次かの宇宙船には、あらゆる幻想に対応するべく、膨大な量が積み込まれた。
 すると、海も川も山も、森も野原も消えていた。ただ、灰色っぽい岩ばかりが単調に広がっている。誰かがその岩を分析してみたが、有用な鉱物はなにひとつ含まれていなかった。

というストーリーです。「隣の芝は青い」を拡大解釈したストーリーという感じでしょうか? そして、それを追いかけてしまうと、実ははかないものであることに気づく、と。

 これで思い出したのが、クリス・ファン・オールズバーグの絵本『いまいましい石』でした。「いじわるな石」というタイトルにしても、そうはずれていない気もしました。(詳しくは紹介しません。ぜひ読んでいただきたい本なので。)そして、それはどういうわけか『ギヴァー』とつながっているような感じもしたのです。

 『ギヴァー』の社会は、「いまいましい石」や「いじわるな星」が提供してくるようなものに惑わされない社会をすでに作り上げている!!??

 なお、私は星新一のファンではないので(確実に彼のノンフィクションのファンではありますが)、特に『ギヴァー』との関連でオススメのをお知りの方は、ぜひ教えてください。

2013年1月23日水曜日

想像力について


「白い服の男」を読んだのは、『イマジネーションの戦争』という本の中でした。その本の解説として、奥泉光さんが「ここにない戦争」というタイトルで、想像力についておもしろいことを書いていました。

633 暴力や経済など人間を外側から動かす力はいろいろあるが、人間にはうちに備わった力もあって、そのひとつが想像力である。想像力はここにないものを言葉でもって現出させる力である。過去の回想や想起も、ここにないものを現出させるという意味では、同じ力の働きの一部ではあるけれど、想像力がもっともその力を発揮するのは何かを「変形」するときである。ここにないものを現出せしめるといっても、神ならざる人間は、無から創造することはできない。すでにあるものを変形するしかない。人間の創造とは想像力を媒介にした世界の変形といってよいだろう。

 人間は、ここにあるもの、すなわち「現実」を変形する。


 ロイス・ローリーさんも、いまの社会の変形として『ギヴァー』の世界を想像したような気がします。
 そして、星新一が「白い服の男」の中で記憶や記録を消し去ろうとしていたことは、『ギヴァー』の中ではすでにかなり完璧に実現していたと言えるかもしれません。
 「戦争ごっこ」が何を意味しているのか、まったく理解できないような状態ですから。



2013年1月22日火曜日

『ギヴァー』と関連のある本 86


 昨日の林の中での戦争ごっこで思い出しました。
 
 前に、星新一の作品で『ギヴァー』と関連のある本として紹介したことがありますが、今日紹介するのは、1977年の作品の「白い服の男」です。以下、作品からの抜粋です。


 「白い服の男」の役割は、戦争の芽を摘むこと。あらゆるところに盗聴器がおかれ、密告網が張り巡らされ、その芽を見つけ出すことに躍起になっている。「セ」と言っただけでも、要注意人物と見て、監視する。

 すべての本の中の戦争という文字も抹消している。文字だけなら簡単だが、戦争という概念を想起させる部分も消し去らなければならないので、大変である。要するに、歴史的事実を未来になってから、勝手に変更する行為をしているわけである。「これは感心したことではないかもしれない。しかし、それと平和とを並べて、どちらをとるかといえば、わかりきったことだ。平和にきまっている」

 原子力やロケットや潜水艦が発明された理由も、すべて書き換えられていく。

 これをすべての本に施すには長い年月を必要とするだろう。すべてがすんだ暁には、私たち人類は過去から未来にわたる、完全な平和を所有できるのだ。 ~ ホント??

 まだ科学書はマシな方で、歴史書はむずかしい。新しい歴史を組み立ててゆかねばならなくなるからだ。
 最後の残してあるのは、小説のたぐい。歴史の部分が完成したら、それにあわせて処理をする。
 いま密告がありました。
 「郊外の森のなかで、小さな子供たちがセごっこをやって遊んでいるそうです。いとも楽しげに、叫び声をあげ、かけまわり・・・」
 平和の敵は消毒せよ。
 戦争とは、伝染病の最近やビールスのようなものだ。完全には根絶できないかもしれない。だからこそ、早期に発見し、ひろがる寸前に消毒する。これを根気よくつづけなければならない。

 私は自分の制服を見る。まっ白。純白な平和の象徴だ。そして戦争という人類の病毒を押さえる医師でもあるのだ。この白衣はそれをも意味している。また、この腕章のマーク。青いなかに飛んでいる、やはりまっ白なハトの姿。


 以上です。

 私はまだ読んでいませんが、他にも1958年の「おーい でてこーい」や1970年の「声の網」などは地球の/日本の未来を書き綴ったものだそうです。

 ちなみに、私が星新一の作品で読んでいるのは、『人民は弱し官吏は強し』『明治・父・アメリカ』『明治の人物誌』のノンフィクション物が中心です。

2013年1月21日月曜日

気功


16425分の1(=1/3×365日×15年)の確率で、はじめて情報として役に立ったチラシはいったい何だったのか?

それは、地元の「気功サークル」が入れてくれたものでした。

「丹田呼吸を中心とした気功です。
 気に興味のある方、自分で気を感じて
 みたい方、一緒にやってみませんか」

と呼びかける内容でした。

実は、1年半ほど前に、丹田呼吸の本を5~6冊借りて読んでいました。
しかし、本を読んだぐらいでは、なかなかやれるようにはならず、ずっとなんとかしたいと思っていたところだったのです。

早速、問合せ先に電話を入れてみました。

でも、男性の場合は、どなたか女性同伴できてください、と言われてしまいました。
メンバーが全員女性ばかりだからです。
(男もというか、男こそ必要な気がしていましたが、忙しすぎるのか、これまでも男からの問い合わせはほとんどなかったようです。あっても、あまりいい印象をもつことができなかったのでしょう。そういえば、後でよく見ると、チラシ自体女性が女性に対して呼びかけている感じではありました。)

そこで、娘を誘って行ってきました。

約1時間半、呼吸法の練習をしながら、からだを柔らかくする運動をしました。(私のからだの硬さといったら、ほとんどロボットです!!)

また、なかなか腹式呼吸ができず、すぐに肺呼吸になってしまいました。
でも、最初の20分ぐらいで、うっすら汗が出てきていました。

すべては、繰り返しの練習につきるそうです。

リーダーの方がとても親切かつ熱心で、この方法を一人でも多くの人に体験してほしいという気持ちが伝わってくる人です。
当分続けられそうです。(他のメンバーの方とも顔を合わせられたので+安心感をもってもらえたようなので、次回以降たとえ娘が同行してくれなくても、仲間に入れてくれそうです!!)

『ギヴァー』のコミュニティには、こういうサークル活動はあるのかな?

夕方家に帰ったら、食事をして、極めて形式的な振り返りのセッションをもつ以外は、していることを思い出せません。
テレビ、ラジオ、携帯、インターネット、本などは、なさそうな感じでしたし・・・
いったい余暇の時間を、何をして過ごしているのでしょうか?

休日の過ごし方も、わかりません。

そういえば、学校が休みだった時に、フィオナたちが林の中に戦争ごっこにいって、ジョナスは本当の戦争のことを思い出してやれなくなってしまったシーンはありました。

円安の影響


バナナ一房 98円 → 128円

先週の土曜日までは98円だったのが、今日から128円です。
それも、一つのスーパーだけでなく、三つの。

円安の影響で、他にも気づかれたことはありますか?

ちなみに、98円→128円は、上昇率にするとなんと30.6%です。

これから、円安の影響(マイナス面とプラス面の両方)がいろいろな形で出てくるわけです。

もちろん、輸入物すべてがこうなるとは言い切れませんし、短絡的な比較はまずいのですが、所得が30%も増えることは期待できると思いますか?

『ギヴァー』のコミュニティは、為替相場に経済が影響されているようには思えません。
多くのものの輸出入をしているようにも思えません。
(もちろん、単に著者がその辺についての記述をしていないだけですが。)

何せ、人口が3500人前後ということもありますし、消費生活自体がベーシックなものに限定されているようなので、自給自足の努力を最大限しているような気はします。

もちろん、その良し悪しについては一概に判断できません。
ブータンや太平洋をはじめたくさんのほぼ孤立化している島々などは歴然と存在しています。
私たちのようにグローバル経済の中にドップリ浸かった国々とは対照的に。

2013年1月20日日曜日

郵便受けのチラシ


昨日は、記念すべき日でした。

いま住んでいるところに引っ越してきて15年になるのですが、郵便受けに入れられていたチラシで、役立つものがはじめて入っていたのです。

チラシの数は毎日3種類平均として、×365日×15年ですからすごい確率の悪さです。 それだけ、すごいゴミの量ということになります。

さらに言えば、気功のチラシはB5一枚でしたが、普通の平均はA4二枚ぐらいになりますから、無駄な紙量は、×365日×15年×2.5倍です。★

チラシというのは、これだけ確率が低いなら(どうせ、それが料金に反映されているのなら)、やめてほしいものです。料金を下げるために、そしてゴミを減らすためにも。

チラシを出さないと、心配なところが多いんでしょうね。

役立つかどうかは別にして。
それとも、がんばって入れ続けるということは、これほど効果的な媒体は他にないのでしょうか?

『ギヴァー』のコミュニティには、確実にこのチラシはありません。前回のコンビニやファースト・フード・チェーンやファミレスもないように。
消費を煽るものは、いっさいなさそうです。
何といっても、3500人のコミュニティですから。
そして、テレビや電話やインターネットの存在すらあやしいのですから。


★ さらに言えば、ホッチキスが使われているものが、5分の1ぐらいの割合でありますから、紙として捨てる時には、これらを取る手数もあります。

★★ 「郵便と宅配以外の勧誘もの一切お断り」的な表示をしていたことがあります。その間は、投函されるゴミ箱行きのチラシの数はさすがに5~6分の1ぐらいに減っていました。でも、表示を無視して入れる人はいるのです。 また、表示を出さなくちゃ!! 雨風で風化してしまったのです。

私の住むまちも

いま住んでいるところに引っ越してきたのは、かれこれ15年前になります。

当時は、まだ肉屋さんがいくつかありましたが、それらのお店が高齢者だったこともあり、すでに2~3年前にはなくなってしまいました。(魚屋さんは、なんとかまだ残っています!)

そういった個人経営の店の代わって栄えているのは、コンビニ、ファースト・フード・チェーン、ファミレス、そしてスーパーです。

これらの共通点は、マニュアルにのっとった対応しかしてくれません。
店員がアルバイトということもあると思いますが、何度あっても会話が成立するということは不可能に近いです。

昔の肉屋さん、魚屋さんなどとは、会話が成り立ち、「おまけ」や「今日のおすすめ」もありました。

コミュニケーションが楽しめた個人経営の店は、ドンドンなくなり、便利なのかもしれないけど、コミュニケーションは成り立たないことが約束されている店ばかりが増えています。これでいいのでしょうか?

『ギヴァー』のコミュニティには、そもそもお店がないわけですから、この問題は抱えていないわけですが、いったいコミュニティ・レベルのコミュニケーションはどこで図られているのかは疑問です。

2013年1月7日月曜日

自分たちのことは自分たちで

 前回のゴーストタウン化しはじめている商店街を抱えている地方都市は、ある県の県庁所在地で、栄えているのは県庁と市役所だけ(?)という感じです。

 別の知人からは年始の挨拶で、まちの「役場前に新しくできる図書館、公民館、産直、レストランの施設の指定管理者になりたい」という夢が届きました。単なる役所が作った施設の運営だけに興味があるのではありません。「ここで住民が望む図書館や、高齢者が長くいられる居心地の良い施設になるように、また災害が起きた時にここが全国から支援にくるボランティアセンターになるように、ついでに婚活として出会いの場の設定等、その他やりたいことがいっぱいあります」と書いていました。
 この辺が、役所がするのと、民間非営利団体/住民がするのとの違いだと思います。

 『ギヴァー』のコミュニティには、図書館、産直スペース、レストランなどはなさそうですが、コミュニティの全員(や一部が)集まって集えるスペース/公民館はあります。そこでは、単に儀式を行うだけでなく、コミュニティが抱えるいろいろな問題について長老たちを中心に関係者も交えながら話し合いが行われている気がします。
 まるで、宮本常一が『忘れられた日本人』の中で紹介してくれているような、村のリーダーたちによる出席者の総意を得る形で行われていた話し合いの場のような雰囲気で。

 自分たちで問題を解決しない限り、どこにも解決してくれる存在はありませんから。そして、たとえ問題を解決しようがしまいが、そこに住まい続けるのは自分たちなので、円満に事を進める以外に方法はありませんから。

2013年1月6日日曜日

地方都市の中央部が壊滅状態


全国の地方都市の中央部、「銀座通り」と呼ばれたような商店街がシャッター通りになりつつあります。

そういった通りに住んでいる50歳を前にした人に、「記憶している範囲で一番にぎやかだったのはいつ頃でしたか?」と質問してみたら、「一番小さかった頃、つまり、昔にさかのぼれば、さかのぼるほどにぎやかだった気がする」と答えてくれました。

コミュニティというものがあり、みんなが助け合ってくらしていたという感じです。
ある意味では、ALWAYS 三丁目の夕日で描かれているような世界でしょうか。

それが高度成長を期に、すべてがお金優先になり、家は継がないことが主流になり、車社会になったがゆえに郊外に住みかつ郊外で買い物もする方が便利になり、街中は老人ホーム化してしまいました。

アメリカが、60~70年代以降、都市の中心部のスラム化を起こしたのに似ています。裕福な人たちや車のある人たちは郊外に出て行きました。

それが、ヨーロッパではそうなっていません。
旧市街という車がほとんど入れないようなところはそのまま残され、郊外は郊外であるのですが、両者がうまく共存しているのです。

日本は、選択したのか、しなかったのかはわかりませんが、アメリカの後を追いかけてしまいました。
情報をもっと集め、そして知らせ、そして役所や商店街や住民が一緒になって考え、そして判断する可能性もありました。
今からでも遅くないのかもしれません。

成り行きに任せるだけではなく、あってほしい未来に向けて話し合うことが必要なのですが、政治も、新聞も、テレビも、そういう話し合いの場を設ける気はありません。イベントが好きな彼らですから、継続することが求められるので二の足を踏んでしまうのでしょう。しかも、難題です。

『ギヴァー』のコミュニティには、政治も、新聞も、テレビもありませんが(?)、そういう話し合いの場は頻繁にあるような気はします。少なくとも、長老たち+関係者は話し合っているような気がします。

そういえば、商店街というのもなさそうな気がします。
必要なものは、すべて「配給制」という感じです。
もちろん、それがいいのかどうかは別にして。

車さえ、本の数台(必要最低限)しかない感じですから。

かなりの部分、住人の欲求を押さえている社会。
それに対して、私たちの方は飽くなき欲求を追い続ける社会??

2013年1月4日金曜日

読み応えのある新聞がない!


新刊が出てから4年目最初の書き込みです。
今年も、『ギヴァー』に関連づけて考えたこと、読んだこと、聞いたことなどを紹介していきますので、よろしくお願いします。


正月の新聞は、各紙が競って特色ある内容のものをつくっていたと思っていたのですが、それがだんだん弱まり、今年に至っては、読める記事すらありませんでした。★

朝日は、なんと「ビリオメディア」で年始の特集を組んでいくとか。それこそ、新聞の終焉を自ら公表してしまっている感じです。
読売は、そういう特色すら出せていません。
(今年は、日経は読みませんでした。)

テレビや政治の「終焉」と波長があっているのかもしれません。
政治だけがおかしいなんていうはずはありませんから、新聞やテレビも同じレベルで低下しているわけです。

3.11があり、そして国際競争でも落ち目な状態が続いている中、全体の底上げが求められている中、実際にしていることは「底下げ」ばかりが目立ちます。★★

『ギヴァー』のコミュニティには、新聞も、テレビも、政治も存在しないような気がします。


★ 昨年は、一つだけ光った記事を紹介していました

★★ 他の要素としては、主に経済、環境、福祉、教育などがありますが(衣食住を中心にした「消費」は「経済」と別にした方がいいでしょうか?)、これらは上向きでしょうか? それとも、低下しているでしょうか? 上向きにするために、できることはなんでしょうか?(別に、量を多くすることが求められられているのではなく、今となってはあくまでも質の向上が大切だと思いますが)。 政治やマスコミに任せておいてもあまり好転しないことは確かなので、やれることをやっていくしかありません。何をやり始めますか?