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2013年4月30日火曜日

愛がない、形式だけ



 自治体の「子どもの見守り」放送という官製騒音公害にしても、コンビニの乱立にしても、根源にあるのはマニュアルであり、コミュニティの崩壊、という気がします。

 だからこそ、両方ともが必要だと思われ、誰も文句を言わない。

 一方的な「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」「子どもが帰る時間ですから、皆さんの・・・で子どもたちを守りましょう!」と言われても、何もありがたくないし、何も存在しないのと同じ。というか、単なる雑音。心がこもっていないのがミエミエだから。

 マニュアルは、誰もがやっているつもり、つつがなく行われているつもり、にはなれますが、実態は極めて空虚です。心がこもっていないというか、愛がないというか、真の意味でのコミュニケーションはありません。それが、いくら頻繁に行われても空虚であり続けます。白々しいというか。何も、プラスにならない。マイナスにはなっても?

 この辺については、ギヴァーの世界はどうなのかと並行して、ずっと考え続けています。

 いかにマニュアルではない、形式ではない、心のこもった、愛がある、真の意味でのコミュニケーションが成り立つ、コミュニティが存在する状態を再構築できるのか、と。

 これって、「哲学」??

 コミュニケーションが図れていないというのが、ギヴァーの社会でも、日本でも大きな問題なんだと思います。それを象徴しているのが、「子どもの見守り」放送やコンビニであって、他にも例を挙げていけば切りがありません。

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