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2013年4月5日金曜日

『子どもの文化人類学』 2



 原さんの本の続きです。

26 厳しい極寒での生活の中で、自分の肉体と心のあり方がいろいろとわかるのだといいます。
   もうひとつ、“飢え”によっても、肉体と心を統合した“自分”を知ることができるのだと、ヘヤ―・インディアンはいいます。 
26~31 に書かれていること(誰が食べて、誰はがまんしているのか、待っている人たちは何をしているのか等)は、ジーン・クレイグヘッド・ジョージの『狼とくらした少女ジュリー』で描かれている狼の家族そのもの!!!

32~6 死  ~ この部分は、かなりギヴァーの死につながる部分が・・・、星野道夫氏が紹介してくれていたエスキモーたちの葬式も。

42,3 お手伝いも、“商業行為”のイスラム(インドネシア・ジャカルタのスラム街)の子どもたち。 独立独歩の子どもたち。

  ジャカルタ・アスリの場合は、ヘヤー・インディアンとは別の意味で、「人が一人で生きている」のだといえましょう。ジャカルタ・アスリも、人にむかって「ああしなさい、こうしたらどうか」といった命令や助言をしません。ものごとは一人ひとりが自分の責任で決めるものなのですから、他の個人の世界に入りこむことを避けるのです。そして自分の選択した結果が良く出るか悪く出るかは、アラーのおぼしめししだいだと考えているのです。
  ヘヤー・インディアンの場合は、人は守護霊とかけ引きしたり、つき合いをしたりするので、守護霊は「絶対者」ではありません。

53 養子が普通のこと同じように受け入れられる  → ギヴァー
54 子どもという道化役者の存在の大切さ → 56 日々の慰めでもあり、老後の生活のたすけでもあるのです。
56 生みの父と母は明確に → 57 その理由
57 1) 近親相姦がタブー (350人のコミュニティだから、なおさら)
2)       妊娠したら家族に知らせなければならない。そうしないと、家族に不幸が。
3)       自分を葬ってくれる人たちだから
  儀礼的な関係は、養子にいった子どもでも、生みの父母に対して一生持続するわけです。養父母とは、日常生活でたすけ合うのが主で、儀礼的な関係はほとんどありません。

58 養子と同じように、家出っ子もいる。
   350人のコミュニティの中に、1961年9月の時点で、24人の養子と数人の家出っ子だった。 → 『ギヴァー』のコミュニティで、家出っ子はあり得るかな?
   独立した人生をあゆむヘヤー・インディアンたち ~ 「自分が生んだり、育てたりしている子どもでも、はじめから独立の人格をもち、おとなの側からはどうにもならない守護霊とのつき合いで生きているのだ」という認識があって、個人の独立の人生を尊重する態度が、基本になっているのではないかと思います。

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