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2013年4月2日火曜日

鳥の視点、アリの視点



司馬さんは俯瞰的見方だけをする人ではありませんでした。
それを証明してくれているのが、『人斬り以蔵』(に代表される「新選組」もの)や『草原の記』や『ひとびとの跫音』です。(と、鶴見俊輔さんが、『司馬遼太郎の流儀 ~ その人と文学』の中で強調してくれていました。)
 『草原の記』と『ひとびとの跫音』は、数ある司馬さんの作品の中で、私にとっても特に好きな本の2つでした。

56 司馬さんは暴力はそんなに好きな人ではないのですが、どうして人斬り以蔵が好きなのか。この作品で、人斬り以蔵というのは身分が低いのです。理論家・武市半平太とは同じ獄につながれているが、武市は上司ですから向こうのほうにあかりが見えるのです。岡田以蔵が調べられる直前に、武市が差し入れを送るのです。毒が入っているのです。この毒を飲んで死ねという意図を見て岡田以蔵がことわる。手紙を破り捨ててしまう。そして、白洲で、「申し上げます。自分が殺したのです」といって、どうして殺したかもきちんというのです。★
 そのとき岡田以蔵にはある選択があった。彼は上士のあかりをジッと見ている。彼は身分の低い者として牢屋に入って、殺される直前でも身分の違いがある。これに対して反抗する。自分が殺した、どのようにして殺し方をいう。ということで武市半平太も殺されるのですが、勤皇党全部がやられる。
 岡田以蔵その選択がある。人間はどんなところにいっても個人で選ぶことができる。新選組の一人ひとり、近藤勇も土方も選んだ。土方も農民出身です。自分は武士としての道を選んだから、そのようにして終わりまでいく。
 司馬さんがなぜ新選組をこんなに好きで、人斬り以蔵をこんなに好きかというと、そのところを書きたかった。どこにいっても、個人は、岐路に立って選ぶことができる、ということなのです。自分の意志によって生きることができる。

65 『ひとびとの跫音』は、ノモンハンででたらめなことを(軍部が)やっているときの、泥の時代に二人がどのように生きたか。この二人にはそれぞれの選択があった。岡田以蔵さえ、彼は自分で選んだ。西沢タカジも正岡忠三郎も自分で選んだ。それを書いたのです。

 この辺、自分で考え、そして選んで行動したジョナスに通じる部分がありますね。

 『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』のテーマだった、死の加害者意識も司馬さんは描いてくれていたでしょうか?


★ この辺のことは、福山君主演のドラマ「龍馬伝」では、その饅頭を佐藤健君演じる岡田以蔵は食べて死んだように記憶しています。司馬さんのメッセージとは、大違いです。

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