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2013年6月26日水曜日

映画『二十四の瞳』



 「生活綴り方」が描かれている部分があると知ったので、1954年に製作された映画を見ました。22日の土曜日に。
 一言でいうと、反戦映画なのですね。
 もちろん、戦前から戦中にかけての島の貧しさもテーマの一つですが。

 でも、反戦映画(原作も、発表されたのは1952年)が戦後にできて何になるのか、とも思ってしまいました。もちろん、戦前に作れるはずがなかったことはわかっていますが。

 これも、基本的には、沖縄戦「慰霊の日」や広島・長崎の原爆記念日と同じアプローチなのか、とも。

 また、大石先生のしていることが、ここしばらく書いていた都議選のこととダブル・イメージにもなってしまいました。戦争に自分の教え子や夫は行かせたくない、しかし行くのが当たり前のご時世。でも、自分は反戦の主張は自分流の仕方で続ける。教師も辞める(機能していない制度に対して、はっきり「No!」をつきつける!)。
 そして、敗戦によって、自分の原点に戻って、村の子どもたちを再び教え始める。

 ジョナスも、コミュニティのあり方(制度)に対して、「No」をつきつけて、コミュニティを出るという行動をとりました。

 その意味では、有権者の半数以上の56.5%が、今の制度に「No」をつきつけたことは、きわめて大きなことだと思います。(もちろん、その全部が積極的な「No」ではありませんが。)
 残念ながら(というか、悲劇的なことは)、議員数を確保した人たちが、それを問題とは捉えられないことです。マスコミもですが。

2013年6月25日火曜日

続・都議選


  ずっと、選挙(=政治)のことを考えています。
 ・・・というか、選挙のたびに、ですが。
 選択肢が提供されない=制度が機能していないのですから、考えらざるを得ません。
 もっとマシな方法はあるはずだ、と。

 そして、今回私がこだわっている理由は、以下のようなことからです。

 今回の都議選は、自民と公明が、定数127議席のうち、それぞれ59と23議席を確保しました。擁立した議員全員の当選という記録的な勝利でした。

 しかし、その数字だけを見ると、あたかも都民の63.5%が自民・公明政権を支持したように受け取れますが、実際に投票した有権者は、43.5%しかいないのです。

 ということは、実体としては、27.7%の有権者しか支持していないのです。

 しかし、結果は、63.5%どころか、ほぼ100%というか「やりはい放題」なのです。なんといっても、過半数以上ですから。

 これは、国政で憲法を変えるという動きも含めて、です。
 実体としては、過半数ではなくて、有権者のわずか4人に一人で、ひょっとしたら5人に一人(20%)の支持で、変えられることを意味しているわけです。

 この数字の魔力!!
 どう思われますか?

 ということで、今回の選挙結果は都政だけの問題ですが、次回の参議院選は、有権者/国民のすべてに関係する問題になります。

 おそろしいと思いませんか?

 危機感を感じた方は、このメールを、ぜひ友人・知人に送ってください。
 特に、マスコミ関係者には。


PS: いまの政治家の中で、おそらくもっとも民意に敏感な大阪市長の橋下さんは、今日、「都議選は、僕の存在に不信任」と言ったそうです。
 しかし、現実を見る目があったなら、「有権者は、政治に不信任」と言うべきでした。
 ということで、彼も現実がわかっていないようです。

2013年6月24日月曜日

都議選の結果



この件については、しつこくてすみません。
でも、これが次回の参議院選を決めるだけでなく、短期・中期に日本の針路も決めてしまいますから・・・

参院選の前哨戦として注目された東京都議選(定数127)は23日投開票され、自民党が全42選挙区に擁立した59人全員の当選を果たし、都議会第1党の座を奪い返した。自民の獲得議席は過去10回では1977年と85年の56議席を抜き最多で、全員当選は史上初めて。協力関係にある公明党も23人全員が当選した。共産党は現有8議席から倍増以上の17議席を獲得し、第3党に躍進。前回54議席と大勝した民主党は15議席にとどまり、第4党まで転落した。都議選では初の本格参戦となった日本維新の会も2議席と伸び悩んだ。投票率は前回(54.49%)を大きく下回り、過去2番目に低い43.50%となった。

上の文章から、何を読み取りましたか?

半数以上もの人が、政治を、そしてこの選挙制度を見限っている、という事実です。
期待が持てないから!
選択肢が提供されていないから!

これまでもそうですが、投票率が低いと自民・公明・共産は強いです。
固定層がいますから。
流動的な層の人たちは、すでに幻滅しているので(=選択肢が提供されていないので)、投票場に行くことすらしません!

これは、行かない人たちの問題なのか?
それとも、制度自体が抱えている問題なのか?

確実なことは、圧勝した側の人たちが、そんなことは考えないということです。
自分たちが勝てさえすれば、それでいいのですから。
官房長官が、「政策を認めていただいた証」と発表しました。
多数の有権者が選挙に行って反対票を投じないことをありがたがりこそすれ、みんなが投票するような仕組みを考えることに努力をするはずはありません。(それは、定数是正への取り組みを見ても、明らかです。選挙で勝てることが目的なのであって、その他のことは一切問題ではありません!)

マスコミも、残念ながら、この点に触れているところはありません!

集団自決は「すり込まれた忠誠心」



集団自決、すり込まれた忠誠心 沖縄戦「慰霊の日」


昨日の式典★で、話した人たちは、みんな「平和への誓い」を述べていました。
しかし、現実は、ひょっとしたら、世界で一番面積あたりの基地(それも、日本のではなく、依然として米軍)の面積が多い状態が続いているところです。
そんな中での「平和への誓い」が空しく聞こえたのは、私だけでしょうか?

大切な日であることはわかります。
死ななくていいたくさんの人たちが亡くなったわけですから。それも、「すり込まれた忠誠心」で。

同じことは、広島や長崎の原爆記念日にも言えますし、東京大空襲を含めた、各地の空襲を記念した式典にも言えます。

しかし、あまりにもあの戦争を被害者の視点だけで見ている限りは、見落としてしまうことがあります。
ここ20年近く(?)、12月8日に関しては報道されることがなくなってしまいました。
アメリカとの戦争開始をもって、日本の第二次世界大戦ははじまったわけではありませんが★★、なぜはじめてしまったのか、を問い続けないと、「繰り返しません過ちは」とか「世界平和の願いを願います」と言ったところで、繰り返されるだけのように思います。過去の歴史から何も学んでいないのですから。


★ NHKのラジオで聞いたのですが、NHKは公共放送なのですから、もっと頻繁にこういうやる必要があります(もちろん、野球放送のように単に右から左に流すだけのような考えない番組ではない、考える番組が前提ですが)。毎週、「のど自慢」ではあまりにも「虚構の平和」を装い続ける手段でしかありませんから。

★★ 日露戦争で勝ってもいないのに、あたかも勝ったがごとく装ったことが(ポーツマス条約では、それを反映した結果だったわけですから)すべての間違いの始まり、という節が妥当の気がします。勝った(=負けなかった)ように見せかけることが、少なくとも当時の陸軍指導部の戦争を始める前からの腹づもりでした。

2013年6月22日土曜日

戦闘機と選挙の騒音公害

なぜ、一見脈絡のないものを昨日、一昨日と扱ったのか、今になって気づきました。


要するには、両方とも「官製」騒音公害なのです。
それも、それを出している人たちに、自分が騒音の発生源になっているという意識がありません。本人たちは、仕事の一環としてやっていますから(少なくとも、そのつもりで。)

しかし、聞かされるほうは、たまったものではありません。

4年に一度、がなりたてることが、自分への投票に結びつくと本気で思っているのでしょうか? ★★

確実にいえることは、票が逃げるということです。
平和を乱されるのですから。

今日は、その最終日ということもあって、各陣営ボリュームが一層アップしています。

名前が聞こえてきた人には、投票はしないことに決めました


★ 選挙管理委員会は、この「官製」騒音公害も即刻やめるようにしないとまずいです。票に結びつかないことを経費をかけてやりつづけることは、税金の無駄遣いですから。それを、あたかもみんなが仕事をしているように見せかけることは、まずいです。
  当日の選挙自体にかける経費と時間についても、このハイテクの時代に「儀式としての」選挙をやり続けることは時代錯誤もはなはだしいです。絶対に、より効果的・効率的な方法はあるはずです! 
   ジョナスのコミュニティでは、これほどアホなことは絶対にやっていません。 

★★ 大切なことは、4年に1週間がなりたてることではなく、それ以外の長~い期間にどれだけのコミュニケーションが取れたかなのですが、それに努力する政治家は基本的に皆無です。(生活クラブぐらいかな?)いったん、投票して議員なり首長になってしまうと、投票してくれた人たちは自分を信任してくれた、と勝手に解釈して、まったく関係ない存在に戻ってしまいます。また4年後の1週間までは。
      ジョナスのコミュニティでは、日々の関係こそを大切にしているはずです。意味のないことに時間とエネルギーを割くことは道理的に考えられませんから。それを私たちは平気でやり続けています。ガマンシテ(?)やりつづけています。

2013年6月21日金曜日

都議選



今度の日曜日は、都議選です。

これまでも、都議選の結果が国政選挙に影響を与えているぐらいに「重要な」選挙だそうです。

しかし、有権者に選択肢が与えられているかというと、市議選、市長選、知事選、国会議員の選挙と同じで、まともな選択肢が提供されていません。
政治家として「この人には任せられる」と思える人が候補者に一人もいないのです。

そんな中で、国政に影響を及ぼす重要な選挙とはいったい何なのか、と考え込んでしまいます。
しかし、選択肢がないのは今回がはじめてではありません。
私に投票用紙が送られてくるようになってから、すでに40年近く続いています。

選択肢のない中での「清き一票」とはいったい何なのでしょうか?★

ジョナスのコミュニティでは、こんなアホなことを繰り返しているのかな?

していない、と思います。

限られた人材を最大限に有効活用しないと機能しない社会ですから。
誰がなっても何も変わらないようなことを繰り返しているとは思えません。
日本のように、役に立たない大量の人たち(=政治家)に無駄金(=税金)を支払う余裕もありません。

ご存知でしたか? この人たち、労働に見合わない給料をもらっているだけでなく、一定以上の年数を政治家でいると高額の年金までもらっていることを。


★ この選挙制度は、もう大分前から機能していません。
  その意味では、選挙管理委員会は、選挙の管理よりも、それが機能するための方法を模索する方が優先順位がはるか上だと思います。機能していない制度の管理をしていても、それ自体税金の無駄遣いですから。

2013年6月20日木曜日

戦闘機のうるさい騒音 2



5月30日にも書きましたが、今日は記録更新でした。
うすらい時間も、音量も。
 
時間は、1時過ぎから6時過ぎまで。(まだ、遠くで聞こえます!!)

回数は、軽く30回以上です。
ということは、30機以上が上空を飛び交ったということ!?

1時15分から2時45分ぐらいは、真上ですごい爆音でした。

それ以降は、空域を遠ざけていったようで、どんどん小さくはなっていきましたが、こちらが静かになった分、うるさくなったところがあったのだと思います。

まさに、『ギヴァー』の書き出しで、ジョナスたちが不安に思っている気持ちがわかりました!!

2013年6月19日水曜日

「気持ち踏みにじる発言」



  またしても、政治家の考えていない発言が飛び出してしまいました。
 政治家というのは、こういう発言をするために存在しているのでしょうか?

自民党の高市早苗政調会長が「原発事故によって死亡者が出ている状況ではない」と述べ、原発再稼働をめざす考えを示した。原発事故では、避難先で亡くなった人や、職を失って自殺した人もいる。18日、与野党や被災地からは怒りの声が噴き出した。
 福島県によると、18日現在、震災や原発事故による避難などにともなう県内の関連死者は1415人。高市氏の発言に、県内では怒りの声が相次いだ。

 これが、当事者と、当事者の立場を考えることのできない政治家とのギャップなんだと思います。★自民党の政治家たちにとっては、原発事故は「すでに過去のもの」であり、何も気にする必要のないものなんじゃないかと思います。

 その後、「私の発言の一部が報道されたことで大変悔しい思いをされた方や悲しい思いをされた方に、心からおわびを申し上げる」と謝罪し、「私が申し上げた、エネルギーに関するすべての発言を撤回する」と述べたそうですが、すでに再稼動に向けてまっしぐらなわけですから、意味するところは「口が滑ったことはお詫びしますが、原子力行政は続けます」というのが本音だと思います。使用済み核燃料の始末の仕方には、一切責任を持つことなく。

★ そういえば、まだ(本人はもちろん、維新の党も)後遺症で悩んでいる橋下発言も、同じ類の問題でした。

2013年6月18日火曜日

すごい絵本シリーズ



すごい絵本シリーズを発見してしまいました。
谷川俊太郎さんたちが書いています。
「ばるん舎」という出版社が出しました。
(いまも存在するのかな?)

内容は、子ども向けというよりも、大人向け???

日英対訳になっています。
日本とアメリカでの同時発売をねらって売り出したという話しもあったそうですが、どちらでもあまり売れなかったようです。
その理由を、ぜひ手にとって見つけ出してください。
(いまは入手できないものばかりなので、図書館から借りるしかないです。)

メム・フォックスの『おばあちゃんのきおく』などとは対照的な絵本です。


単に、日本とオーストラリアの違いで片付けられるものではありません。

谷川さんが『おばあちゃん』で描いた高齢者問題と、ギヴァーの中で描かれている高齢者問題も比較してみるとおもしろいかもしれません。メム・フォックスの絵本や、前にこのブログで紹介した『オールド・フレンズ』(トレーシー・キダー著)などとも比較しながら。日本の現状や今後が見えてくる可能性も・・・

2013年6月11日火曜日

駄菓子屋から日本が見える!



 以前紹介した八島太郎の『道草いっぱい』を詳しく分析していた表を見つけました。

  よく読みこんだ結果が伝わってきます。(表をクリックすると大きくなります)

 ちなみに、この表が載っていた本は『駄菓子屋楽校』(松田道雄著)というタイトルの本です。
 表題にあるように、まさに「駄菓子屋から日本が見える」を実現している本です。
 残念ながら消えつつあるものの一つですが、それを丁寧に追いかけた本です。
 過去と現在が見えるだけでなく、未来も見えてきます。

 道草とギヴァーのコミュニティ(=日本社会)と同じように、駄菓子屋とギヴァーのコミュニティ(=日本社会)も反比例の関係にありそうです。

 

2013年6月7日金曜日

テストは評価の20分の1に



協力者の一人のIさん(高校の先生)が、大阪市が「学校案内」に学テ成績も掲載に、以下のようなフィードバックをくれました。

全く同感です。

「学力テストを軽視する方向で動いています。それが人の能力で測れるのは、20分の1、せいぜい多くて10分の1ぐらいでしかありませんから、ことのほか強調するものではないわけです。
 競争することがいまの世の中で求められていることでもありません。協調する、コミュニケーションが取れる方がはるかに大切です。」

このような考えが多くの方々に共有され、共感を得て、1つの流れになっていくことを願っています。

学校の先生の中には、底の部分ではこういうふうに考えている人は少なくないと思います。(たとえ、していることは、この真逆なことであったとしても。)

しかし、なかなか「一人でシステムとして動いている受験に挑むわけにはいかない」ということだろうと思います。

でも一方で、昔から「教師は、一国一城の主」と言われ続けています。
ドアさえ閉めてしまえば、他の人は教室内で何をしているかわかりませんし、口出しもしにくい状況があります。

ですから、いろいろと情報収集をして★、自分がベストと思えることを選び取り、そしてアクションを起こしてほしいと思います。

※ 単純に、今のままを続けることは、子どもたちに対して失礼ですから。

もちろん、『ギヴァー』のコミュニティでは、学力テストで人や学校を区別するようなことはしていません。もっと包括的な(というか、人間的な)評価の仕方をしています。


★ 使える情報は山のようにあります。たとえば、今日、図書館から借りてきた本の中に、『新しい評価を求めて ~ テスト教育の終焉』(キャロライン・ギップス著)がありました。
なんと、10年前にも借りてきて読んでいた本なのですが、まったく忘れていたことに後で、気づきました。そして少しは、前回は読めていなかったところが読めましたから、よしとしましょう。
 もし、今回のテーマでアクションを起こしたい方で、関連のある図書リストがほしい方は、連絡ください。

2013年6月5日水曜日

哲学・再考



 哲学は、これまでに何度も扱ってきたテーマです。
 特に、2010年の4月~5月は集中して。
 なんといっても、『ギヴァー』を読んだことで、哲学の本が読めるようになったぐらいですから。『ギヴァー』を読んでいなかったら、いまだに読めていなかったと思います。

  ある人からエドムント・フッサールの存在を教えてもらって、借りてきた本の一冊が『哲学的思考 ~ フッサール現象学の核心』というタイトルの本でした。「目次」を読んで、まったく読む気になれません。ひたすら難しい漢字が並んでいるだけです。このまま、返そうかと思って、「あとがき」を読んでみたら、まったく読む必要がないことが確認できました。
極めて、当たり前のことを、あえて難しく書いてある本だということを、著者自らが書いてくれていたからです。「哲学とは、そういうもんなんでしかないんだ」とこれまで私が思い続けてきていたことを再確認させてくれました。
 その当たり前なことを一言でいうと「哲学とは、根源的に問い、確かめ、共有しようとする営みだ」そうです。
別に、そんなこと今さら言われるまでもないことでよね?
「哲学者とは、暇な人」と言われる原因がはっきりしました。

フッサールを紹介してくれた人に、「日本人の哲学好きのせいで(?)、フッサールの訳書も、彼について書かれた本もすごい数ある」と伝えたら、「そんなのはまったく読む必要はない。INAUGURALLECTURE AT FREIBURG IM BREISGAU 1917だけを読めば、十分」とのことでした。   最初から、そう教えてくださいよ。無駄な時間を費やさなくて済んだのに、というやりとりでした。

 要するに、私と哲学との相性は、依然としてあまりよくない、ということです。
 というか、その必要性をまったく感じていないというか。

 以上書いたことは、半分冗談です。
 私のような者には、理解できない深いものが「哲学」にはあると思います。でも、これまでのような内容であり続けるかぎりは、8割以上(?)の人が煙たがるというか、背を向け続けることも、また確かです。私のように。
 その意味で、今年の1月に再会して、ブック・プロジェクトを展開し続けている鶴見俊輔さんの哲学や思想の捉え方は、受け入れられます。単に受け入れられるだけでなく、極めて楽しくもあります。

2013年6月2日日曜日

自立した社会の条件



 「いつの時代でもどのような社会でも、私たちの自立とは、循環性の永続、多様性の展開、関係性の創出を基礎的な条件とする営みである。この三者の結合と多重多元的なネットワークが、自立への歩みを可能にする」(「当事者性の探求と参加型開発」中村尚司、218ページ in『参加型開発』斎藤文彦)。

 『ギヴァー』の社会と、私たちの組織や社会は、これら3つをどれだけ満たしているでしょうか?

 「自立した個人」のレベルで考えると、
エドワード・L・デシの『人を伸ばす力』の中で紹介されている「内発的動機づけ」(自ら進んで行動を起こす)の3つの要素は、自己決定、有能感、関係性でした。
 また、「自立した書き手と読み手」(=学び手)を育てるライティング・ワークショップとリーディング・ワークショップが成功する条件(=いい授業の条件)は5つあります。
 どれにも、関係性は含まれています。自立のために、多様な関係は欠かせないというわけです。
 ちなみに、最後の5つの条件には、上記の引用の3つの条件は含まれていますから、単に授業だけでなく、いい組織や地域づくりの条件にも応用できます。


★ 有能感とは、「自分にはできる」という感覚です。自己効力感や自尊感情(セルフ・エスティーム)に似ています。